個性企画 代表/魅力ハンター 田村祥代 氏
「ハコニイブキ」をコンセプトに、地域や組織の魅力を共に発掘して人々に伝えることにより活性化を図るお手伝いをする。人呼んで魅力ハンターである。
<学生時代に起業を志向する>
広島の中高一貫の女子校を卒業後、関西の大学の中で最も自由な雰囲気のあった立命館大学に入学する。当時、びわこ・くさつキャンパスには経済と経営と理工学部が融合した文理総合インスティチュートがあり、その中の経済学部の環境・デザインインスティチュートに進み南草津に2年間住む。しかし、数式の世界の経済学は自分のやるべきことと違うなと思い、大分県にある立命館アジア太平洋大学に1年間国内交換留学し、4回生の時に帰ってきて京都駅前に住む。大学を出て就職するという道には違和感があり、色々と本を読んで考えている内に大学院で社会学をやってみたいと思うようになり、3年の時間を経て京都大学大学院の人間・環境学研究科共生人間学専攻(社会行動論)に進む。真面目に学問に取り組む環境の中で鍛えられ、一旦常識を疑って社会を見てみるという姿勢が身に付く。
その中で、自らのスキルを磨くという志向から、社会に対して何かをしてみたいと思うようになり、ゼミの活性化をしようと懇親会を企画したり自己紹介シートを作成するなど、今の企画の仕事の萌芽のようなものに取り組む。まだ、何がしたいか分からなかったが、とにかく社長になりたいと思うようになり、修士2回生の時に開業届を出した。そこから、この会社にこんなものがあったらよいのではないかと思いついた会社の社長宛に、郵送で飛び込み営業をしていた。たまに、礼状が届いたくらいで、採用されることはなかった。そして、一度も就職することなく起業なんてという批判の声もあったので、就職してみることにした。
<個性企画の根っこに出会う>
大企業に入ってどこで何をするのか分からないという状況になることは嫌だったことと、大企業と地域の企業や商店が共存するには地域は知恵を絞る必要があると考えていたことから、ローカルな企業を目指す。モノを売ることが好きで、京都と広島で探して、広島が本社で60店舗位展開しているフレスタというスーパーマーケットに入社する。企画がやりたいと言って入ったが新人の常で最初は売り場に配属される。青果の売り場は面白かった。ポップの作り方や商品の並べ方で売り上げが変わるという経験をし、プロモーションという世界を垣間見ることになる。1年目の終わりにWEB事業部に配属され、ネットでこだわり食品を売るという仕事をする中で「魅力を如何に見出して伝えるか」という今の仕事のビジネスモデルが養われた。メルマガを書いたりFacebookを書いたりしていた。長年「そごう」の食品部門で勤務していたという他部署の社員さんに食の展示会に連れて行ってもらうようになり、主体的に商品を選び、発信をするようになる。響かないメルマガだと注文が無く、響くと注文が入るという経験をする。
<個性企画の立ち上げとコペルニクス的転回>
フレスタには3年弱、在籍した。最後の半年は、副業禁止を外れるために正社員からパートにしてもらい引き継ぎをしながら、独立の準備をする。2014年に京都で起業する。
起業して直ぐは勢いがあるので、Facebookで依頼が来たり、京都商工会議所の交流会で中小企業診断士とつながってプレスリリースの仕事をもらったりしていた。開業の1年後に個性企画という屋号をつける。対象の個性を見つけ、差別化し魅力として引き出すという意味で名付ける。その後、体調を崩し、2015年から3年間ほどは自分らしい仕事ができない状況が続く。自分に自信の無い時期は営業という行為ができない。しかし、社会と繋がりを持ち続けるためにアルバイトはしていた。
その後半は、コワーキング∞ラボ京創舎のスタッフをして、生き方は180度変わった。大学院の時の社長になりたい、早く年収1000万円になりたい、という観念は消え去った。手描き図面工房マドリズの大武さんが京創舎のオープニングスタッフであったことから京創舎のスタッフとして働くようになり、京創舎でコミュニティの世界にはじめて足を踏み入れた。ここを皮切りに385 PLACEやGROVING BASEなどのコワーキングスペースにも出入りするようになる。京創舎で教わった考え方は利用者と共に創るであり、今まではそんなことを考えたこともなかった。同じ立場で一緒に場を創っていくという考え方に初めて出会う。
京創舎の2周年イベントの時に、お客様感謝祭を想定したが、ここで改めて共創なのだと言われて、無意識のうちにお客様はお客様だと思っていることに気付かされた。一緒に作るという考え方が、少しずつ自分のものになっていって、それは個性企画の仕事に大きな影響を与えてくれた。プロモーションをしたお客様には何か提案をして会社の売り上げに貢献しなければ価値がないと思っていたが、私の一言で売り上げが上がるわけはなく落ち込んでいた。今は、一緒に作っていくという価値観をクライアントと共有することによって自分自身と先方の双方が満足できることが大切だと思えるようになってきた。たたき台は出すが、先方に肉付けしてもらい、一緒に意思決定をし、結果も一緒に責任を負うという感覚で仕事を進めて行けるようになった。私のサービスで相手の何かを変えてあげるという上からの目線では何も変わらない。私の働き掛けで一緒に何かを作っていくことはできるかもしれないという考え方に変化して今日に至っている。
<新しい個性企画>
今、個性企画のコンセプトは「ハコニイブキ」である。ハコは、会社であったり、コミュニティ、個人、地域、都市などいろいろで、そこに息吹を与える、活性化すること。丁寧に向き合って、対象に内在する魅力を見出し、それを言葉につむぎ、表現し、お互いの相乗効果を楽しむというプロセスを大切にしている。 具体的には、相手との対話を大切にし、どんな人で何を思って仕事をしているのかを把握したうえで、様々な人にサンプリングやヒアリングしてニーズを確認している。基本は、何か注文したいことがあった上での依頼なので、先ずはそこに応えること。さらに根本的な課題などが共有できれば解決案を考えたりしますが、起業されている本人の方にこうしたいという思いが強くあるので、魅力を発掘して伝えるということに専念している。
<個性企画の新たな展開>
現在、アーバンデザインセンターびわこ・くさつ(UDCBK)で週に4日働いている。京創舎の縁でスタッフを公募していることを知った。産学公民連携のプラットフォームとして都市空間の課題解決と活性化を目指す機関なので、色々な立場の人の話を聞いて素材を集め、それらを上手く料理して企画にできればと思って応募した。
また、京都市北区にある京都市紫野障害者授産所の「さくさく工房」で作っているクッキーの価値を多くの人に伝えるというプロジェクトに携わっている。スタッフの皆さんの思いとも共鳴し、デザイナーにプロジェクトチームに加わってもらい、コンセプト発信と魅力的なデザインの商品づくりとして結実し始めている。もともと、品質の高い美味しいクッキーで、職員の人たちのモチベーションも高いので今後、色々な展開が考えられる。
出会った人との会話がきっかけであったり、紹介であったり入口は異なるが、縁を大切に、今後も魅力を伝えていく「ハコニイブキ」というコンセプトに違うことなく一つ一つの仕事を関わった皆が満足感を得られるようになったら良いなと思って進んでいく。