第20回西陣R倶楽部 話題提供 個性企画 代表/魅力ハンター 田村 祥代氏
第20回西陣R倶楽部
話題提供 個性企画 代表/魅力ハンター 田村 祥代氏
日時:令和元年12月16日(月)午後7時~午後9時
場所:TAMARIBA
<会長挨拶>
先日、京都国立国際会議場で国連世界観光機関(UNWTO)とユネスコの共催で開催された「観光と文化をテーマにした国際会議」に参加しました。トラベル、エンジョイ、リスペクトの3つがキーワードの会議でした。ULWTOが提示した標語は、「持続可能な観光」です。旅をすると自分自身を変えることができる。そして、自分が変わるだけでなくて周りの社会も少し変えることができる。もし、旅がそういう力を持つのであれば、世界を良い方向に変えるような旅の仕方をしよう。それが、トラベル、エンジョイ、リスペクトの意味するところです。西陣に来ると何か新しい発見があり、その新しい発見で自分も少し変わり、さらに少しお手伝いをすることで西陣の町も変えることができます。その経験をした人が自分の国に戻って、自分の国を良くすることができる。旅と出会い、文化と文化が出会い、やりたいこととやりたいことが接触することで、より素晴らしいものができる。そういう会議でした。
そういう意味で、今、西陣R倶楽部でやっていることは、このまちにくると何かが変わる。ということだと思います。今日は、そんなお話を聞けると期待しています。
<話題提供:個性企画 代表 田村祥代氏>
皆さんよろしくお願いします。個性企画の田村です。西陣R倶楽部に入って1年位経って、皆さんが肩書や立場を超えて純粋にこのまちを活性化しようとしておられ、まちの人たちとのつながりを楽しんでおられることを肌で感じています。若輩ですが私もその一員として私の仕事のお話をさせていただきます。
この表紙は、今日も参加していらっしゃる大武さんに数年前に描いていただいたもので、個性企画のwebサイトのトップページに掲載しています。私は、基本的にはプロモーションの仕事をしていますので、ブランド化、差別化の意味を込めて個性企画という屋号とし、まちの人たちが皆、個性を生かして生き生きと仕事をしている様子を描いていただいたものです。
以前はプランナーと名乗っていましたが、なかなか仕事の内容が伝わらなくて困っていました。そこで仲間のデザイナーたちが「魅力ハンター」という言葉を授けてくれました。やっている仕事の種類はブランドづくりだったり、プレスリリースの作成だったり様々ですが、相手の方と2時間くらいじっくりと対話することによって魅力を発掘してそれを伝えていくことによって活性化していくことが業務の根幹にありますので、そこをうまく拾ってくれて名付けていただきました。自分でも気に入って使っています。
具体的な業務の紹介をします。どんな案件の場合も対話型のヒアリングを重視しており、じっくりとお話を伺います。そこからショップカードのディレクションになったり、webサイトのディレクション、プレスリリースなどになります。そこから先は案件次第ということになります。
このショップカードの案件は印象に残っている仕事です。手作り市やwebショップでベビー布小物を作っている女性作家さんがクライアントでした。どういう風に商品を伝えるとよいか困っているということでお仕事をいただきました。よくお話を聞いてみると、ご本人も自覚されてなかったベビー布小物を作っている理由が分かってきました。自分自身の子育ての時に愛情のこもった手作りのものを与えてやりたかったけれども、そんな余裕はなかったという後悔の念から、子育ての一段落した今、落ち着いて若い親御さんに代わって手作りの布小物を作っているということでした。ご本人もそのことに気付けて喜んでおられ、結果として「子育てへの共感を布小物にのせて」というキャッチコピーでブランド化させていただきました。
次は、うまくいったプレスリリースの例ですが、ラーメン店のオープンを新聞で取り上げてもらってほしいという中小企業診断士の方からの依頼でした。お話を聞き始めて90分位経った時に、元ジョッキーだということが分かりました。元騎手が第二の人生として一条寺でラーメン店を始めるということでした。これだと思って、これを切り口としてプレスリリースさせていただいたところ、うまく記事にしていただくことができました。
お手元にある扇型の地図は開くと円形になります。フラットエージェンシーさんの依頼で、大武さんと一緒に作らせていただいたものです。フラットエージェンシーさんが管理されているホテルの周辺の案内マップです。セピアとカラーで描き分けており、セピアが昔の事物で、カラーは今の事物です。ミーティングの中で見えてきた地域の価値を地図に落としています。実際に歩いてみないと分からない情報も載っています。例えば「左を向けば大文字」というコピーがありますが、実際にその場所に立ってちょっと横を見ると真正面に大文字が見えて感動したので取り込んでいます。また、すごく面白いお寺の塀を見つけたので「塀を見てみて」というコピーを掲載しています。既存のガイドブックとは違う価値を盛り込めたかなと思っています。
あとは、この会の副会長の赤澤先生のゼミで「取材とその記事作成」のゲスト講義をさせていただきました。相手の方と対話しているときはその人を旅しているみたいですごく楽しいのです。その人の世界観をたどって旅をしているような感覚になることを伝えたいと思って「人を旅するインタビュー」というタイトルで講義をしました。高校時代までの勉強は自分の感性を生かして何かすることはすごく少ないと思うのですが、授業の感想シートに複数の学生が「自分自身の感覚を生かしてインタビューをしてもいいんだな」と書いていただいてすごく嬉しく思いました。
個性企画のコンセプトは造語ですが「ハコニイブキ」です。こんなに成熟した社会でモノもサービスもあふれているのに自殺やいじめなどいろいろな問題があります。どうやったらその先の豊かで幸せな社会ができるのだろうと考えていました。それで見つけた答えがハコの活性化です。広い意味でのハコです。会社であったり、コミュニティであったり、人、地域など様々です。このハコを活性化することが、この先の社会の在り方の答えになるのではないかと意味が込められています。ということで、個性企画の業務を活性化業務と定義しています。
今日は、西陣R倶楽部でのお話なので、まちと私の関係についてお話します。社会人になってこのまちに戻り5年になりますが、まちに内在する価値の芽や若い人たちを育てようとする気風がすごくあることを徐々に感じるようになりました。箔とか実績がなくても暖かいまなざしで期待をかけていただき、お仕事もいただけます。それってリスクもあるのにすごいまちだなと感じるようになってきました。そして、自分もいつか若い方たちに期待をかけてあげられるような人間になりたいなと思っています。そのために今を懸命に駆け抜けたいなと思うようになってきて、本当にまちとまちの皆さんに育まれているなとつくづく思います。シビックプライド(まちに対する誇りや愛着)という言葉がありますが、最初はフーンという感じでしたが、最近、自分もシビックプライドが芽生えているんじゃないかと自覚するようになり、今は、このまちが大好きです。
次に、まちと仲間と仕事の関係について3つお話します。まず、1年ほど前にスタッフとして働いていた会員制のコワーキングスペースで共創という考え方に出会いました。サービスをする、されるという関係性とは全く異なっていて、スタッフと会員さんが一緒に作っていくというスタンスです。新人でも一人で対応しなければいけない現場で不安がありましたが、「大丈夫だよ、分からなければ会員さんに聞けばいいよ」と言われて最初は戸惑いました。けれども、スタッフも会員も同じく主体性をもって空間づくり場づくりを進めて、そこに新たな価値が生まれるということを体験しました。以後、仕事のスタンスが共創にシフトしていきました。
二つめですが、身近な仲間へのヒアリングです。私の仕事そのものがクライアントへのヒアリングから始まりますが、第1稿が出来上がった段階で、その場に居合わせた仲間に見てもらっています。そうすると大抵の原稿が、相手に伝わらなくて、仲間と数分間やり取りするうちに何が伝わってなくて、どうすれば伝わるのかいろいろなヒントやアドバイスをもらえます。結果的にガラッと原稿が変わっています。そういう意味で仲間に支えられて仕事をしています。
三つめ、妄想担当という私の役割です。もともと、アイデア出しや発想が得意だという自覚はありましたが、ある時、仲間がそれに妄想という言葉を与えてくれました。自分を妄想という言葉でとらえたことはなかったので衝撃でしたが、以後、妄想と名付けられたイベントに参加するようになりました。ある時、大武さんが企画された「間取図で妄想セッション」に参加することになりました。間取図を見ながらどんな暮らしをするのかを画用紙に書いて発表するというものでしたが、とても楽しく参加しました。その場にフラットエージェンシーの方もいらっしゃって西陣R倶楽部に入るきっかけにもなりました。「上京ちず部」にも妄想担当として誘っていただいています。最近は、知らない方にも「妄想担当の方ですよね?」と声を掛けられるようになり、驚いています。そんなこんなで、まちの仲間に影響を受け、支えられ、見出してもらって仕事をしています。
ここで、最新の事例を紹介します。39プロジェクトにこの5月くらいから携わらせていただいています。TAMARIBAの北大路通を挟んで向かい側にある京都市紫野障害者授産所の「さくさく工房」のお仕事です。今日は、「さくさく工房」の井上所長に来ていただいています。少し、自己紹介をお願いします。
「紫野障害者授産所の所長をしています井上と申します。こちらには北大路テラスネットワークという紫野地域を盛り上げていこうという集まりで来させていただいています。3年前の2017年の4月から「さくさく工房」の所長を担当するようになりました。それまではヘルパーを派遣する事業所でホームヘルパーを派遣したりヘルパーをしたりする仕事をしていました。」
ありがとうございます。「さくさく工房」はクッキーを作っていまして、私自身、4年位ボランティアをさせてもらっていました。当時から、ここのクッキーのファンでした。添加物も少なく、美味しいのでもっといろいろなところで流通したらいいのになと思って、なにかプロモーションをしたいなと思いながらボランティアをしていました。ここで、井上所長に「さくさく工房」及び紫野障害者授産所の紹介をしていただきます。
「この事業所は、障害のある成人の方が通う場所です。二つの機能がありまして、一つが、障害のある方に仕事を提供する部門で、これが「さくさく工房」です。もう一つが、いわゆるデイサービスで、働くには少し障害が重いなという方々が通われる機能で「菜の花」と呼んでいます。この施設は昭和56年にできて、この12月で39年目を迎えます。当時は障害者の方は学校に行かなくていいよという時代でしたので、高校を卒業した障害者の行先は本当に少ない時代でした。そういう時代に京都市内で最初に身体に障害のある方に仕事を提供する場として整備されました。当時はスクリーン印刷とか古物商といって古いものを頂いてきて修理して販売することをやっていましたが、徐々に焼き菓子を家庭用のオーブンで作るようになってきました。そしてさくさく工房という名前でお店を運営するようになりました。現在は「さくさく工房」で作ったクッキーと「菜の花」で作った雑貨を販売しています。以上です。」
ありがとうございます。私は、ボランティア時代にお客様の声を集めるシートをお買い物袋に入れておいて、お客様からのメッセージをボードに掲示するという取り組みをして、すごくあたたかいメッセージがたくさん寄せられるという経験をしました。そして、もっとこの価値を伝えられたらいいなということを考えていました。予算も限られていますし、製造量も限界があるので、お手元に配布していますはがき1枚と2種類のシールを作成するというご提案をしました。最初はおしゃれなパッケージというデザインでしたが、デザイナーも加わって何度も打ち合わせを重ねる中で、人間の多様性をいろいろな動物で表現したり、絵本のようになってきたので、絵本の1ページ目のような文言を裏面に掲載したらよいのではないかと、プロジェクトが育っていって、最初の提案はほとんど見えなくなるくらい育っていきました。打ち合わせの中でスタッフの方ももっと価値を伝えたいんだという思いを持っていることが分かってきました。1月から販売開始になりますが、福祉の世界でプロモーションを行った機会となりました。所長からもプロジェクトのPRをしていただきます。
「田村さんには、この事業所で長い間、作業のフォローをしていただくボランティアとして来ていただいて、お話に出ていたお客様の声ボードは大好評でした。クッキーは売れることで、利用者の方の工賃というかお給料となりますので、売れなければお給料を上げられません。また、事業所の厨房の機能にも限りがありますので、一度にたくさんのご注文をいただいてもお受けすることが難しかったりします。コンスタントに着実に売れる方法を模索していました。そういう時に、田村さんと別件で話をしていた時に、今回の提案があって是非やってみたいということで始まったのが39プロジェクトです。田村さんは魅力ハンターとして存分に力を発揮され、打ち合わせを重ねる中でスタッフがドンドンと発言するようになり、それが田村さんの手でイメージされ形づくられていくという過程を見ていました。スタッフの中にも妄想族が沢山いますので、とんでもないことを言って他のスタッフに怒られたりするのですが、なんでも言い合える環境の中で写真のように楽しい時間を共有できたかなと思っています。うちのクッキーがこういう風に別の形で販売できるということは今までにないことなので、期待し楽しみにしています。これが新しい販路となって、利用者の生活の質が高まっていくよう願いを込めて田村さんと一緒に作ってきました。」
所長ありがとうございます。「ありがとうを贈りあおう」、一方的にありがとうではなく、皆が皆にありがとうを贈りあうことで、垣根のないあたたかい社会を目指したプロジェクトになっています。予約限定で月100個ということになっていて商品の数には限りがあるのですが、垣根のないあたたかい社会というプライスレスの価値が無限に自己増殖して社会に広がっていって欲しいと思っています。地域の皆様にはお近くでもありますので、共感していただけたら、垣根のない社会づくりのお仲間になってもらえればうれしいなと思います。イベント時のお土産や粗品にまとまった数のご注文をいただければ嬉しいなと思っています。今日は後で試食もあるので食べていただきます。所長、ありがとうございました。
個性企画には、来年度に向けて膨らませたいキーワードが二つあります。地域と福祉です。地域×福祉でもいいですし、別々でもいいんですが、例えば地域では、学生マンションのための楽しいコミュニティづくりということで、歓迎会や鍋会などの企画です。私も18歳から一人暮らしを始めたときに、なんの地縁もないところにいきなり放り込まれ、鍵をなくした時にはどうしたら良いのだろうかと不安になりました。それこそ災害などが発生した時には本当に困るんだろうなと思います。学生マンションの中にコミュニティがあれば親御さんも安心だし、受け入れていただけるのではないかと思っています。そういうマンションはあるところにはあるらしいのですが、そんなに一般化しているわけではありません。ですので、コミュニティづくりのきっかけとなるような企画ができればよいなと思っています。あと、商店街活性化とコワーキングには興味があってなにか広げていければいいなと思っています。
福祉については、プロモーションとかいう概念が十分には浸透していない分野で、伝わっていない価値が沢山あると思っています。そういう意味では、すごく可能性のある分野だなと思っています。広い意味での福祉ということで言えば、私自身も他人事ではなくて、一時はストレスで起き上がれなくなったこともあって、5年位かけてようやく本調子かなという感じです。もともと車酔いをするので、例えば遠方でいい仕事があるといわれても、引き受けることができない場合もあります。私にも出来ないことが沢山あって、できる範囲の仕事を一生懸命やるしかないなと思っています。こうしたことは、私にとって他人事ではないように、誰にとっても他人事ではないのではないかと思っています。ということで、福祉×プロモーションのような企画、プロジェクトを広げていけたらいいなと思っています。来年度、人とのつながりを大切にしながら豊かな社会とは何かを考えながら取り組んでいきたいなと思っています。
これまで、個性企画は紆余曲折を経ながら変化をしてきていますので、この機会に改めて何故この仕事をしているのかを考えてみたところ、結局、一緒に幸せを創りたいからだと思い至りました。個性企画のプロモーションの方法は、自分自身で実施可能な幸せの作り方でした。周りの仲間と助け合いながら社会の役に立ちたい。改めて個性企画を運営していく動機とモチベーションを理解することができました。最後に、皆さんと一緒にお仕事できるのを楽しみにしていますというメッセージで、私のお話を終わります。今日は、私の話を聞いていただきありがとうございました。(拍手)
<意見交換>
安井)私は、今は全く実体がありませんが「まちらぼ京都」を作ろうと思っていて、京都大学のエコールド京大という環境サークルのメンバーといろいろな活動をしています。京都は学生の町ですので、学生の知恵を借りて実施している活動はされているのでしょうか?
田村)実は、今は学生さんとの絡みが結構あります。個性企画とは別に、今年度は草津市が運営しているアーバンデザインセンターびわこ・くさつというまちづくり組織でスタッフとして働いています。立命館大学のびわこ・くさつキャンパスのJRの最寄り駅に立地し、産学公民の連携を謳っているセンターです。そこで、地域で面白いことを仕掛けている学生さんとのセミナーを企画するなど、学生さんと一緒に仕事をする機会は多いです。
安井)今の学生さんは福祉に関心を持つ方が多く、幸せをバトンタッチしていくという意識を持っているので、「さくさく工房」のクッキーをもっと広めていくためにはどうしたら良いかなどいろいろとアイデアが出てくると思います。エコールド京大では家庭に眠っているエコバッグを回収して留学生にその意味を伝えながらリユースするという活動をしています。その取組に商店街に協力していただいて、期間限定で、エコバック一つに100円チケットを添えて渡していただくと商店街の活性化にもなるのかなと思ったりします。そんな知恵を学生さんたちからもらいながらやったことがあります。いろいろな方の意見を聞くと違った着地点も見えたりしますので、何かヒントになるようなことがあればお伝えもしたいと思いますのでよろしくお願いします。
田村)是非、よろしくお願いします。確かに今の若い世代には、何のためにやっているのか、人生とは何なのかという本質的なことを考える人が多いように思います。時代が変わっていっていることを実感します。39プロジェクトに関して言うと、第1ラウンドが今回の取組ですが、その先は地域の皆さんに育てていただいてどんどん広まっていくのが理想形なのではないかと思っています。今回のチラシは絵本風のテイストなんですが、その延長線で垣根のない社会というメッセージを込めた絵本をつくるというビジョンがあります。まだ、道筋は見えていませんが、今回の取組が少しずつ地域の皆さんに広まっていく中でできていくことなのかなと思っています。是非、一緒に育てていっていただけたらと思います。
寺田)39プロジェクトは、ありがとうを贈りあおうというプロジェクトですが、具体的には、どのような仕組みで贈りあうのですか。
田村)今まで来ていただいているお客様は中高年の女性の方で、このプロジェクトのターゲットもその延長線で少しずつ広げていこうとしています。#(ハッシュタグ)を付けてSNSでやり取りすることは考えにくいので、スタッフの皆さんからはメッセージカードを添えようかという話が出ています。
井上)まだ、具体的にどのようなモノにするか検討中ですが、商品を贈られる方に対して贈る方が何か感謝の気持ちを込めたメッセージを添えて贈ることを考えています。
田村)打ち合わせの中では、「菜の花」さんにメッセージカードを作ってもらって、プロジェクトに巻き込んではどうかなどの意見が出ていました。どういう形になるか私も楽しみです。
安井)「さくさく工房」に来られる主なお客さまはどのような方ですか。
井上)お店に来られる方は、地域にお住いの中高年の方が中心になります。加えて、同じ建物の中に同居している児童館や図書館に通っている子育て真っ最中のお母さん方にお買い求めいただいています。
安井)最近、食堂などで見かけますが、メッセージカードを付ける代わりに100円余分にいただいて、その使途を明確にして、社会貢献に参加していただくという仕組みを作れば、購入された方もいいことをしたなと幸せになるかなと思いました。
田村)敢えてメッセージカードを高めに設定するということですかね。
安井)その値段の設定は難しいかもしれませんが、100円くらいかなと思います。
荒川)今の話の流れを踏まえつつ、少し巻き戻しの質問になりますが、39プロジェクトはクッキーを作るということが最終目標だったのですか。あるいは、それは一つのアイテムとして、障害者授産所をアピールしたり、「ありがとうを贈りあう」社会を作る手段として取り組まれている最中にあるものなのか教えてください。
田村)クッキー自体は、39プロジェクト以前からあったものですので、クッキーを作ることが目的ではありません。このプロジェクトの目的は、実際にお店に来ていただいて、さくさく工房をはじめとする障害者授産所の雰囲気を感じていただくために、ここで過ごしてもらいたいということです。
荒川)そのためのツールとしてチラシとパッケージを作ってプロジェクトは完了なのですか。それとも、これは最終目的のための一つのアイテムで、様子を見ながら次の手段を考えようとするものなのか、どちらでしょう。それを総合プロデュースすることを仕事としておられるのか、パッケージを作ったら終了するのか、どちらでしょうか。
田村)ひとまずの契約はデザインを納品するところまでです。もちろん機会があれば継続してやらせていただきたいですし、プロジェクトの目的は垣根のないあたたかい社会が広がっていくことなので、そういう意味では道中だと思っています。最初の切っ掛けを仕掛けて、後は地域の人たちに愛されるものになっていったら良いと思います。
荒川)それで、共感できる方が近隣に増えて、世間の耳目を集めることによって収益が上がったり、より大きなプロジェクトに発展していくという循環が起こっていくということを目指されているわけですね。
宗田)たぶん、大きいものは目指していないと思います。先ほど所長さんがおっしゃったように、授産所なので当然、焼けるクッキーの数は限定されているわけで、人手も決まっている中で、一定の収入がなければだめなんだけども、それを大きくしようとは思っておられないのではないですか。
井上)今は、事業拡大を考えていないのですが、今のサイズでできることをどこまで引き出せるのかということが私たちの力だけでは難しかったので、田村さんに依頼したということです。
宗田)普通のビジネスモデルだと大きくすることにこだわるんだけども、これはコミュニティビジネスなので、そこは目的とはならないのです。
荒川)分かります。売上高を上げていくというよりは、より多くの方に知っていただくとかイメージを上げるという、いわゆるプライスレスのものを拾い上げたいということですね。
田村)事業ベースで拡大できる余地は、予約限定で100個という世界で、そこ以上を目指しているわけではありません。コンセプトが無限に増殖してくれることと、横展開というか、他分野の福祉の世界にもプロモーションが入ってなくて、そういう余地が沢山あるのではないかと思っています。別に個性企画の事業チャンスが増えるという意味ではなく、自分のところも持っている価値を伝えたいなと思っていただき、どんどんこういうプロジェクトが生まれていけば、面白いことになるのではないかと思っています。花遊小路に「はーと・フレンズ・ストア」というのがあって、いろいろな施設の商品を集めています。カフェなど手広く展開している事業者が運営を受託されて、すごくおしゃれな商品ばかりを集めています。そういうプロジェクトがどんどん広がっていけば面白いと思っていて、そういう意味では拡大を目指しています。
宗田)僕は、ビジネスを拡大することが良いなんて全く思ってなくて、むしろコミュニティビジネスはそこに価値を見出してはいけないと思っています。田村さん自身は経済的に自立しておられるのですか。
田村)今は、草津市のおかげで自立しています。
宗田)草津市のアーバンデザインセンターに有期で雇用されているということでしたね。失礼ですが、年齢はいくつですか。
田村)36歳になりました。
宗田)今みたいなお仕事をしながら生き続けられる状況が一番良いと思うのです。田村さんにはその才能があると思います。個性企画を運営しながらどんどんと社会を面白くしていきたいという人が生きられる社会が良い社会だと思います。以前、この会で「音」という子供服の社長にお話を伺いましたよね。ああいうことなんですよ。あのビジネスは大きくはないけれども、本当に洋服が好きな人と、作るのが好きな人、子供に着せるのが好きな人がみんな繋ぎあって、子育て、親育てをする服屋のモデルを実現したわけですよ。あれは経営的にも成功していますが、田村さんの場合はそこまで成功しているわけではないのですが、やっていることは同じだと思います。だから、先ほど来年のキーワードとして地域と福祉というテーマを掲げておられましたが、一番面白いのは人を育てることだと思います。今は、学生を一人前に扱って地域のまちづくりに参加させようとする動きが主流なわけですが、田村さんの人柄からすると、違う関わり方がふさわしいと思います。ちょっと気の利いたお姉さんが、18歳で初めて京都で一人暮らしをはじめた学生に、どこのお店に行けば何が買えるかとか、どこに行けばボランティアができるかとか、実家から母親が来た時には西陣のこのお店に行くと美味しいスイーツが食べられるとか、ちょっと遠出をするときは誰かと一緒に車で行ったりとかして、学生マンションに暮らしている学生にこの町での過ごし方を教えながらまちづくりに巻き込んでいくことです。その結果、その学生が「さくさく工房」のパーマネントなボランティアに来てくれたりとか、まちづくりの仲間になってくれたりします。そうして仲間を増やしていくことによって、だんだん田村さんがやりたいことを実現していく環境が整っていきます。そのことによって、垣根のないあたたかい社会づくりに向けて、「さくさく工房」をまちづくりの核としながら進めていくことができるようになります。それからアートでまちを良くしたいということについても、そのことを上手にやってくれる仲間が出来たりします。田村さんのやさしさは、学生マンションに入居した学生たちを上手に仲間に巻き込むことができます。そのことが直ちに収入になるかどうか別にして、個性企画が受注した仕事を仲間となった学生たちと一緒に仕事をしていくことができるかもしれません。コーディネーターが核となってまちづくりや福祉の分野で活躍するときに、そのコーディネーターが比較的低廉な収入でも暮らすことができる社会が良い社会ですよね。これからの学生は大企業に就職したり公務員になったりしても将来は無いんですよ。そういう時代は終わっています。田村さんのように、自分で生きる力や生きる術を身につけたほうが良いのです。今、生活できていればそれで良いし、これから福祉の分野も行政による補助金の世界からもっと広がっていきます。実際に福祉の世界では田村さんのような人材を必要としています。こんな素敵な生き方ができるのであれば、それを学生に教えていけばよいと思います。大学のキャリサポートセンターで、こういうことをすればこういうところに就職できますというのは本当にむなしくて、3年といわず3か月で辞める学生は一杯います。今、社会がぐちゃぐちゃになっているから、路線の決まっている職業に就くことが嫌なんですよ。田村さんのように生きることがよっぽど充実しているし、よりクリエイティブだしね。
田村)私は1年の期限付きで草津市の嘱託職員として雇用してもらっています。いつまでもそこのお世話になり続けていても個性企画の仕事を充実させられないので、シャキッとしなければと思っています。そこで、コワーキングの仲間に見積の出し方などを相談していると、一つの法則を発見しました。いつもの弱気な見積に×3をするというアドバイスをいただきました。来年度に向けて徐々にそれに近づけていきたいと思っていますので皆様よろしくお願いします(笑い。)
宗田)そうだよね。労働時間に応じた対価を貰うのではなくて、契約して稼げるお金があるというのは誇りにもなりますよね。そうしないと単なるフリーターになります。個性企画という旗印を掲げてアイデアで飯を食っているんだから、この西陣R倶楽部にふさわしい仕事ですよね。西陣というまちは、まさに田村さんのような人を必要としています。
荒川)何か見えていないことを客観的に、鋭くも優しいまなざしで見ていただいているのかなと思います。頑張って働いている人でもその仕事の価値というか、どのように社会に貢献しているのか分からない人は少なくありません。地域というのは離れてみてよく分かるといいますが、そういう視座をお持ちだと思います。先生がおっしゃるとおり、これからの時代、愛を持っている方が必要になるのかなと思っています。
宗田)今、愛とおっしゃったけれども、愛ではなくて「一緒に幸せを創りたい」というフレーズが良いんです。最初のお話のあった「子育てへの共感を布小物にのせて」というコピーが凄く良いのは、子供のために作った手作りの布小物を他の人にも分けて共感したいということが手作り市に出店する意味だということを、人を旅するインタビューで見つけてきて、この喜びを人に伝えることがこのお母さんの喜びになるんだというコピーになっています。まさに一緒に幸せを創りたいというお仕事になっています。一緒に幸せを創るということが、ビジネスの一番のネタになります。ボランティアでもそうだけれど、少し人を幸せにできたら自分も幸せだという人になりたいと思う人が沢山いると思います。
田村)おもてなしという言葉があるのですが、本当はやりたくない苦しいおもてなしもあったりすると思います。お金が介在してサービスする、されるという関係になるとどうしてもそういうことがあると思います。そういう時には、自分自身がおもてなしをされるということが苦手だったりします。いわゆる接客をされるということが凄く苦手だったりします。もう少し、フラットに一緒にできたらいいのではないかと思います。
宗田)サービスするのはおもてなしではありません。単なる労務を提供しているだけなのです。おもてなしというのは田村さんが言っているように、その人が幸せになることをお手伝いすることなのです。「音」さんが凄かったのは、子供がこの服を着て写真を撮るとすごく喜ぶ。それは、お母さんが喜んでいるのを見て子供が喜ぶからだ。そういう子供は服を選ぶことが好きになる。お母さんと子供が一緒に服を着る幸せを楽しんでいる。それが、「音」の商売ですと明言したのです。幸せを売っていたのです。それは田村さんのしたいことですよね。
田村)すごく重なると思います。
寺田)昨日、京都大学元総長の長尾先生のお話を聞く機会がありました。「情報化社会の行き先」というテーマでした。一つは、AIは人の仕事を奪うのかというテーマで、ほとんどの仕事はAIが担うようになり、家庭裁判所の判事ですらAIがするようになり、まさに創造的な仕事しか残らないという話でした。その時の社会の目標像としては、人が健康でオープンマインドの社会の中に溶け込んでいることで、豊かな交流のあるまちということでした。そういう意味では田村さんの仕事は時代の先端のその先を行っているのかもしれません。先ほどの39プロジェクトに戻りますが、今は、授産所の事業規模に合わせて、ありがとうを贈りあうという価値を拡充していく段階だと思いますが、やはりモノを介在させることによってよりその価値を理解してもらうことができると思います。ユニセフではありませんが、あなたの寄付が具体的にこのように貢献するという仕組みを導入すると、事業規模としても大きくなるし、大きくならざるを得なくなるのではないかと思います。
田村)39プロジェクトの、例えば加盟店舗みたいなのがあって、それが増えていくのかもしれません。
宗田)授産施設に詳しいわけではないのだけれども、クッキーにこだわる必要はないのかもしれません。いわゆるインクルーシブなんだと思います。障害を持つ人がそれぞれの時代ごとに社会に参加する手段は時代によって変わってきていると思います。今はクッキーだけれども、少し前は、製造業系が多くて今はサービス業系が多くなって、カフェをやったり花を育てたりしています。社会とやり取りをしながら、こういうことをしたら楽しいかもしれない、ああいうことをしたら上手にできるかもしれないということを次々と社会側が提案をして、一緒に何かできるようになるのが一番インクルーシブだと思います。だから、こういうことがシステムとして「さくさく工房」に内在化すると良いと思います。
田村)「一緒に幸せを創りたい」というところに注目していただきましたが、最初からこんなことを考えていた人ではありませんでした。いかに年収1000万円を稼ぐかということを考えていました。大人の通信簿は年収だと思っていたので、1000万円を稼がなければ誰にも認められないと思っていた時期があります。そんなことを考えていてはビジネスはそうそううまく行くはずはありませんでした。それでも器用だったら稼げていたのかもしれませんが、不器用だったので稼げませんでしたが、今となってはそれで良かったと思っています。この間、様々な紆余曲折を経て、このように健やかな理念に5年くらいかけて至った次第です。ようやくスタート地点に立てたのかなと思っています。
寺田)最後に田村さんに大きな拍手で感謝したいと思います。
田村)井上所長にも。