第1回 西陣R倶楽部 記念講演 宗田好史 氏

第1回西陣R倶楽部
記念講演「まちづくりの今と西陣界隈の可能性」
京都府立大学副学長 宗田好史 氏
日時:平成30年3月26日(月)午後7時10分~7時55分
場所:TAMARIBA

○西陣のこれまでのまちづくり

京都市は1990年に西陣活性化モデルプランを策定した。これまでの産業振興から産地振興を目指した取組で私もこれに参加した。バブル経済の崩壊と共に西陣をはじめとする和装産業の衰退が始まっていた。
この京都市の動きよりもよりダイナミックな動きを見せたのが市民団体の「西陣町家倶楽部」であった。本日も来られている妙蓮寺の佐野住職と東京から来られた写真家の小針氏が始められた運動で、こちらの方が本来の活性化のモデルプランだったように思う。最初は、西陣織の渡文さんの支援を得ながら大黒町の織物工場跡を拠点に若者達が骨董市や様々なイベントを行った。その後にアーティストインレジデンスを始めた。国内外のアーティストに西陣の空き家を提供して、アーティストが住み着くようになり、西陣に大きなインパクトを与えた。

○ なぜ西陣だったのか

西陣はものづくり・職人のまちであり、そこにアーティストの卵達達・若者達が住み着くことにより、日常の暮らしを通じてお互いに刺激を受けた。
彼らの創造性を刺激する町家の町並みがあり、伝統的な価値感やものづくりに刺激を受けながら若者が新しいイノベーションを起こし、まちに元気にしてきた。
以下に、こうしたまちづくりの世界の潮流を遡る。

○ ジェーン・ジェイコブス(ユダヤ系アメリカ人、ニューヨークの高層ビルの谷間のグリニッジ・ビレッジで市民活動に取り組む)

1962年に「THE DEATH AND LIFE OF GREAT AMERICAN CITIES(アメリカの大都市の生と死」を発刊し、高層ビルを中心とする都市開発を批判した。「新しいアイデアは古い建物から生まれる。だから若いアーティスト達は古い建物を求める」と主張し、ヒッピー達がそれを実践した。

○ ピエールイジ・チェルヴェッラーティ(イタリア、ボローニャの都市計画局長)

1972年.丹下健三に設計依頼した副都心開発を無駄遣いであると批判した。古い町並みに住み着くことを提唱した。経済の衰退と共に空き家化していた都心部に人が住むことにより、都心の公共的な資源(学校、病院、店舗等)を有効に活用する方が経済合理性が高い。古い老朽住宅を再生して若い人に住んでもらう。高齢者と共存してもらう。ある場合には、経済性の観点から古い建物を解体して建築様式を引き継いだ新しい建物をローコストで新築し、公営住宅として若い人を入居させる政策を展開した。

○ ピオーリとセイブル(アメリカのMIT教授)

1984年に「第二の産業分水嶺」を発刊。20世紀の経済成長を実現したフォーディズム(大量生産方式)の限界を指摘し、第三のイタリア(職人産業、小さなクリエイティブな会社が活動する)などネットワークによる新しい生産方式を提起し、全米に広がり(サンベルト、シリコンバレー、ミッドバレーなど)世界に広がった。

○ チャールズ・ランドリー(シンクタンク 英国コメディア創設、都市の文化戦略家)

2003年に「THE CREATIVE CITY(創造的都市)」を発刊し、町並みが保存された英国の歴史都市が長い不況から経済復興を果たした要因を新しい文化経済活動にあると指摘し、それを創造都市と呼んだ。バーミンガム、マンチェスター、リバプール、リーズなど重厚長大産業都市が創造都市に変わってきた。そのための手法を都市再生のための道具箱(町並みを保存再生し、そこに若いアーティストを呼んでくる。寛容性を持つ都市である)と呼んだ。

○ リチャード・フロリダ(アメリカの経済学者)

2002年に「THE RISE OF THE CREATIVE CLASS(創造階級の勃興)」を発刊。金融機関やトヨタで働く高級サラリーマンより創造階級の人の方が豊かになると指摘。若い人はアーティストを指向し、創造的職能(美容師、パティシエ、料理人、工芸職人等)に向かい、近いうちに、この創造階級は高級サラリーマンより豊かになると主張。
(ここに、創造的都市・西陣の理論的背景があり、今、西陣は創造階級の人たちが集まってきている。)

○ トーマス・ライソン(アメリカ、コーネル大学教授)

1982年に「Civic Agriculture(市民のための農業)食と農を地域に取り戻す」を発刊。
大企業に支配されている農業を市民の手に取り戻し、豊かな食を獲得する政策を示唆。今では市民権を得ている地産地消、高品質・高付加価値、非大量生産、消費者直結を提起した。

○ ローマのマクドナルド反対運動

1986年「イタリアの子供達からマンマのパスタを奪うな」という主張

○ スローシティー

「グローバル化を追う駱駝より自らの速度で進む蝸牛を目指す都市」
「排ガスの代わりに鳥がさえずる。地には高速道路の代わりに、水路が巡り、広告の代わりに色とりどりの花が咲くまち」
そういう町がクリエイティブクラスの人によってより魅力的により生産的になる。

○ スローフード運動

トリノ郊外にスローフードの大学「美食科学大学」を創設。小さな大学(常勤教員6名、非常勤教員9名、1学年30名の学生)世界中から料理人が集まる。学生食堂では挑戦的な料理が提供される。

○ 歴史都市から創造的農村へ(イタリア)

1960年代以降 アグリツーリズムからスローフード→スローシティー
景観政策(町並み再生)などでイタリア全体がスローな状況になってきた。
若い職人、アーティストは歴史文化だけでなく豊かな自然や農業からも刺激を受けて、作品に取り込みビジネスに展開した。
こういうクリエイティブシティ、創造的農村の流れはイタリアからフランス、イギリス、スペインに拡がりを見せる。

○ ビトーリオ・ブランカッチョ(イタリア、2007年からアグリツーリズム協会会長)

ソレントの郊外に22haのオレンジ農場を所有し、アグリツーリズムを展開。
有機農業で自然に熟させる。温暖な気候も幸いして、オールシーズン甘い柑橘類が収穫でき、それを農家民宿で提供する。農業もアートとなる。
京都は、近郊に農地があり、こうしたアグリツーリズムとも連携できる。

○ 20世紀の常識が覆った

ビル、マンション→LOHASな暮らしを町家で。おしゃれな店も新ビジネスも町家で。
広い道→車が歩行者を裏通りに追いやり、裏通りが魅力的になる。
高層ホテル→ブティックホテル、ビンテージホテル、アートホテル
新幹線で活性化→駅前の砂漠化を招く
若い観光客→中高年の女性、外国人

○ 今後、地域を発展させる社会資本整備とは町並み保存に取り組むことであり、その結果地域には

・自然食の店ができ
・ギャラリー、陶芸家の店ができ
・おしゃれなブティックができ
・骨董品店、古道具の店ができ
・町家ホテル、オーベルジュが開店し
・町歩きをする人が増え、ゆっくり歩く町になり
・元気で真面目な若者、子育て世代が定着する
(まさに西陣がアートの町、若者の町となり、新しいクリエイティブな活動を実感)

○ 人々はどんな街に住みたいか(中京でなく西陣に可能性がある)

*人口減少社会においては好きな町の好みの住まいが自由に選べる
・空気・水・光、緑豊かないい住まいを選択できる
・働きやすく、買い物もしやすい町を選択できる
・友達がいて、社会貢献できる町(コミュニティビジネス、クラフト制作などを実現)
・子育てがしやすい町を選択できる
(きれいな眺めがあり、お洒落な街角、小綺麗な町並み、文化芸術活動が盛んな町を志向する)

○ まちづくりの方向が変わる

・無駄な社会資本の維持管理コストの負担、空き家、空き地が増えて社会の負担となることから脱却
・身の丈サイズのまちづくりに切り替えていく方向にある(余分なモノは作らない、早く処分)
・公共投資を整理(将来の財政負担とならない開発を選んで実施)

○ 西陣R倶楽部の目的

・町家、空きビルを活用しながら、古いモノを大切にしながらアイデアを生む若いアーティスト、クリエイティブクラスを受け入れ、これまでの住民と交流を促進し、クリエイティブな取組を進めていくこと。
・25年間の西陣で取り組まれたクリエイティブな挑戦を振り返り、引き継ぐものは引き継ぎ、改善していくものは改善していく取組を進めていくことを確認して私の基調講演とします。