第2回 西陣R倶楽部 話題提供 ― お茶にまつわるたまり場 ―

第2回西陣R倶楽部
話題提供 ― お茶にまつわるたまり場 ―
「暗香庵」主人 佐藤由佳氏
日時:平成30年4月16日(月)午後7時5分~午後8時5分
場所:TAMARIBA

暗香庵というお茶にまつわるたまり場で皆さんが来てくださることを待ち続けている佐藤由佳です。この西陣R倶楽部の最初の話題提供者としてフラットさんから依頼されてこの場にいます。前回、先生方から大変にためになるお話の後の第1回目ですので何を話したら良いか迷いましたが、私がこれまでしてきたこと、今していること、これからしようとしていることをお話しします。
私が最初に関心を持った人物は、絵、書、散文を作品にしている豊子愷(ほうしがい)という人で、その理由は単純で絵がかわいいということでした。それで中国に行ってその人の研究をすることにしました。私の専門である中国の近代を研究する上でも、中国の近代の町並みや普通の人の暮らしを描かれていた豊子愷(ほうしがい)の絵は大変に参考になりました。この人は日本にも6ヶ月程度遊学をされて、日本の文学を学び、様々な芸術家や作家と交流をされた方です。特に影響を受けたとされている作家は竹久夢二だと言われています。けれども、竹久らしくない細かい筆致の絵もたくさんあったので、私の修士論文で、それを調べて見ることにしました。その結果、当時の日本画家で少女雑誌の挿絵を描いていた蕗谷虹児(ふきやこうじ)の影響を受けたのではないかという論文で修士をいただきました。その一方で、私の学習の中心は書道であり、行書、草書、楷書はもちろん書きますし、隷書、甲骨文字、篆刻も学びました。さらに中国画も少し学びました。私が好きだったのは、大篆という字です。中国の古い青銅器などに見られる文字です。これを書いていて面白い、楽しいと思うようになり、自分の作品を書くときの筆致の基本となりました。こんな書を書かせてもらえる町、豊子愷が住んでいた町、そういう文人的な人を育むような町に住んでいました。この町の特産物はシルクとお茶です。美味しいお茶の出来る町で、日々、美味しいお茶を飲みながら幸せに暮らしていました。中国のお茶がどんどんと好きになっていきました。近郊に茶畑があって緑茶を作っている町です。杭州という町です。中国のお茶といえば、烏龍茶と思われていますが、中国人の飲むほとんどのお茶は緑茶です。70~80%以上が緑茶です。その中でも有名な龍井茶(ロンジン茶、りゅうせい茶)というお茶を作っているのが杭州です。美しい自然に囲まれた町です。そして、自然に隣接してモダンな市街地が形成されている大都市です。現在の人口は、1200万人を超えると聞いています。この市街地に接して世界遺産にもなっている西湖があります。その向こうに見える山でお茶が作られていて、休日には、自転車で西湖を廻って山まで行き、のんびりと座って美味しいお茶を飲むという幸せな時間を過ごしていました。大都会の横に大自然があるという町は中国でも珍しい町です。観光客もたくさん訪れる中国有数の観光地でもあります。そういう点では京都と大変、よく似ている町です。
京都も大都会で、その周りに自然があるという都市空間を形成しており、よく似ています。そして、古いものに対する考え方も似ているのではないかと思います。もちろん、国の体制が異なるので、古いものの守り方はずいぶんと違います。古いものを守れなかった時代があり、京都のように大切に古いものを守ることは少し難しかった町です。けれども、伝統に対するあこがれはもちろんあります。まちづくりに関していうと、すごく早い。今ある建物を解体して、古い建築様式の建物を新しく建てます。それこそ2~3ヶ月で運河沿いに新しく古い市街地が整備されます。郊外のマンションを提供するなどして、立ち退きもスムーズに進みます。賛否両論あると思いますが、そうして整備された新しい古い建築様式の建物には、若い人や夢を持った人が入居して伝統文化を継承するなどの活動をしている人が大勢います。そういう町の大学で学び、教え、時に大学の外で茶文化を教える機関で、日本の茶道や日本茶について話をしたり、福建省の国際茶葉博覧会などいろんな所に行って同じようなお話をしていました。また、中国茶に関する国家資格を得るためのテーブルコーディネートや様々な種類の中国茶を学ぶ講座で教えたりしていました。
そして、平成29年1月から新大宮商店街で「暗香庵」という名前のお茶にまつわるたまり場をオープンさせていただきました。日本の方からは、暗香庵の名前の由来をよく聞かれます。特に暗いという文字に負の印象を持たれるようです。杭州に住んでいた林逋という詩人の長い詩の一部に暗香という文字があり、その上に疎影という文字があります。中国語文化圏の人が、この暗香疎影という言葉を聞いて思い浮かべるのは梅の花です「見えない梅の花の香がひっそりと漂ってきて、目の前に広がる西湖の美しい景色と調和してより一層美しく感じる、幸せだ」という詩です。この人は清貧の詩人です。ずっと家に閉じこもり、結婚もしなかった。梅と結婚した詩人と言われました。その詩になぞらえて、私も京都で静かに、誰にも見つからないように、見つけて欲しいですが、自ら進んで見つけて欲しいとは言わないような存在となって皆さんと交わりたいと思ってこの名前を付けました。新大宮商店街の北大路通と今宮通の中間くらいの場所にあります。1階では、地元の方、海外の方、どなたでも来ていただいた方と中国茶を飲み、おしゃべりをする場所です。コーヒーは出ません。また、海外の方が様々な日本文化の体験ができるような場所としています。1階では、生け花の体験をしてもらいます。2階は畳の間になっているので、茶道の体験をしてもらっています。中国人のお茶人さんが習いに来てくださったり、観光客の方などには簡単な体験をして頂いたりしています。私は英語が出来ませんので英語圏の人には、身振り手振りで伝えます。また、中国の美術学校の生徒さん達が日本文化の勉強に来ていただいたりします。着付け教室で着せてもらった着物を着て来られます。(着物体験施設で提供される着物には)賛否両論ありますが、私は大賛成です。まずは着物に触れていただき、2回目に日本に来たときに、日本人が着たいなと思っている着物を着てもらえるように努力をしています。ある時、西安出身の母子が来られたのです。北京の大学を出て銀行員になった息子さんが、貴重な有給休暇を取って、旅行の段取りから費用まで負担して、母親と日本観光にやってこられました。母親は、全て息子がやってくれたと嬉しそうに話をしてくれました。息子さんが点てたお茶を母親に出す際のお辞儀が頭が畳に付くくらい深く、お茶の作法ではありません。中国の親に対する感謝の礼であり、私はこれはこれでよいと思っています。

中国人に対するメディアの情報は、否定的です。もちろん、そういう中国人もいっぱい居ます。しかし、このように親に対して礼を尽くす人もいっぱいいて、いろんな面を持っています。日本の男性で、費用を負担して母親と一緒に旅行するという人は少ないのではないかと思います。この一枚の写真は子の孝と親の仁が現れている良い写真ではないかと思います。
あるとき、台湾から若い男性が三味線を持ってきました。日本人の友人が祖母の遺品として三味線を貰ったが、彼は弾けないので、ギタリストであり舞台俳優である自分にプレゼントしてくれたので、嬉しくて、持ってきたとのことでした。体験教室の後、三味線を弾く場所がないので弾かして欲しいといわれたので、弾いていただき皆でお茶を頂きながら三味線を聴きました。
この暗香庵の空間は気楽な空間であり、好きなように使ってもらっています。あるときは、日本料理を体験したいという人に対して、近所の方に頼んで、場所を借り、日本料理を教えてもらい、一緒に食べてもらっりしました。
いったい、私は何がしたいのかと言われ、この際、整理してみました。対象は、日本語文化圏の人と、中国語文化圏の人です。私が、一人で出来ることは茶道や華道の体験を暗香庵で提供することですが、その他の日本文化を学びたいという人に対しては、そのアレンジをする役割が、また、ビジネスチャンスをねらっている中国の方と京都との繋がりを作っていく役割が果たせたら良いなと思っています。日本の方に対しては、ふらっと寄っていただいて、お茶を飲みながらどうでも良いような話や、どうでも良くない深い話などをして、色々な情報を交換したり、お力を貸していただいたりするようなことが出来たら良いなと思っています。今、中国や台湾の人は、日本の匠の商品が非常に関心があります。日本が嫌いな人もたくさんいるけれども、そういう人でも日本の匠を尊敬しているという人はたくさんいます。私が作ったものでもないけど、私を目の前にすると日本の匠の技を褒めてくれます。それは、ここに居る方、京都の方、日本の方がずっと積み重ねてきてくださったおかげで、何もしていない私が褒めてもらえます。そういう商品をもっともっと世界に発信していくこと。私の得意なことは中国との結びつきですから、中国や台湾などの中国語圏の方に発信していくお手伝いをしていきたいと考えています。これが暗香庵として出来ることです。
皆さんが中国の方と繋がりたいなと思ったら色々な手段があります。けれども、faccebookやライン、ツイッター、エアービーアンドビーのような既存のSNSでは、中国大陸とは全く繋がりません。イーチャットというfacebookとラインの機能が一緒になった中国独自のアプリを中国のほぼ全員が使っています。小学生から90才の高齢者まで、中国人のほぼ全員がスマホを持って使いこなしています。決済システムも独自のジクバオやALIPAYの他、ヘビーチャットに付属している機能も使っています。この数年の間にキャッシュレス社会となりました。アマゾンや楽天に匹敵するtaobaoというインターネットショッピングアプリがあります。日本を含めて世界中の商品が購入でできます。日本にはまだありませんが、大衆という出前アプリもあります。このアプリは出前にとどまらず、京都の会席料理やそば屋も予約できます。予約が出来なくても写真だけでも掲載され、そこに多くの評価が書き込まれています。中国人は提供側の情報は信用しません。直接、そこに行った人の評価を信用します。中国人は自分がどこかに行ったら必ず評価して、次に行く人の助けにしたいと考えています。ウェイボーは有名な中国のインフラSNSです。さらに中国のairbnbである小猪(xiaozhu)というアプリもあります。こうしたアプリを使えば、中国の人達と繋がっていけます。
暗香庵という場所を作った目的は、「超える」ということだったのではないかと思っています。今日も、一つ超えることが出来ました。今まで日本の方に私の書道の作品を見ていただいたことは一度もありません。皆さんが初めてです。これも暗香庵を創ったおかげだと思っています。お茶には、超えるという力が潜んでいるのではないかと感じています。お茶にはリラックスする効果もあります。お茶に付随する様々な長い歴史の中で育まれた文化がお茶に超える力を与えているのではないかと感じています。暗香庵に来て、男だとか女だとか中国とか日本とかスーパーとか商店街とか、そういった区別が無くなって、もう一回、新しいものをポーンと創り出すような時間と空間が持てたらいいなと思っています。「超える」これがこれからの暗香庵のテーマじゃないかなと思っています。お茶を飲むことで、持っている価値観を一端リセットし、一瞬、無になり、もう一回創り出す。そして、また、リセットしてということを繰り返すための媒介がお茶だと位置づけました。お茶は、私にとっても、皆様にとっても、そのような「超える」ための媒介となって行くことを祈りつつお話を終わります。

<意見交換>
大島)日本で、京都で暗香庵をやろうと思われた理由ときっかけを教えてください。
佐藤)私は大阪の生まれで、中国にいるときから日本に帰るならどこに住もうかと考えていました。夫は広島の生まれでしたので、広島か大阪と考えたときに、広島には中国の人は来なさそう。大阪は買い物をする町というイメージが付いてしまっているので文化的なことをやってみようと思ってくれる人の率が下がるなと思いました。一方、中国に居るときから京都の評判はすごく良くて、日本といえば京都、京都以外に行くところはない。京都、京都と中国の人達が言っていたので、日本に帰るなら京都しか無い。京都に住まわせてくれたら嬉しいなと思ってフラットさんを訪ねたら、良いところがあると紹介されて決めました。

北井)ご近所でお仕事をしています。また、お尋ねしたいと思っています。拝聴していると多様な国からのお客様が来られているように思いましたが、どういうところを窓口に、どのようにお客様に来ていただいているのか教えてください。
佐藤)最初は、中国時代の友達などの人脈を使いました。中国では友達であるということは非常に大切なことで、人が人を連れてきてくれます。中国の人は、提供側の情報は信じません。信じるのは、自分の近しい人の情報です。さらに、今ですと、中国に強い旅行社がお客様を連れてきていただけるというパターンもあります。欧米の方は、仲良くしているゲストハウスの方が、暗香庵を紹介してくれます。後は、中国のアプリのイーチャットに宣伝ページを掲載するなどしています。そこで、中国の仲間が一生懸命宣伝して呼んできてくれたりもしています。

寺田)暗香庵には文化に関心の高い人達が来られているようだが、その要因を教えてください。
佐藤)まず、第一に私の住んでいた中国の地域が良かったということがあります。私の周りの友達は文化に興味のある人達が多かったし、そこから繋がってくる人達も同様です。茶道、華道だけではなく京都の文化に興味があります。旧大宮通にある金継ぎの漆芸舎さんにも興味があり、やってみたいという方はたくさんいます。そして、この西陣界隈という地域性もあります。この地域のゲストハウスに泊まって私の所に来ていただける方は文化的なことに興味がある人が多いと思います。京都のことをもっと深く知りたいと思ってくださる方が多く来ていただける地域だと思っています。

寺田)中国の方は、大阪での買い物を楽しんだり、富士山を楽しむ方が多数だと理解していたが、佐藤さんのお話では京都ファンが圧倒的に多いと伺いましたが、今の状況とのギャップはどのように理解したら良いのでしょうか。
佐藤)おそらく、過渡期なんだろうと思います。数年前からブームになって日本に来られる人達は、最初は団体旅行がメインでした。今はビザの関係で割と自由に日本に来られる人が増えてきました。この方達は、以前は団体旅行を体験され、団体旅行の面白くなかったことを体験されています。連れ回されて、ガイドさんに無理矢理、物を買わされてたり、皆についていかないといけないということが面倒くさいという記憶があります。中国人は日本人以上に、ワガママなので自分のやりたいように動きたい。そうなると今度はプライベートな旅行をしようという人が増えてきています。そういう人が京都に注目し、京都でゆっくり時間を過ごしたいと考えているのだと思います。そういう人が、暗香庵を見つけてくださって、来ていただくという流れが出来つつあるのかなと思っています。

大島)私は、中国茶がすごく好きで、杭州にも行きましが、台湾の食べ物とお茶が好きで10回以上行っています。台湾にはお茶の楽しみ方として茶藝館という存在があります。1000円くらいでお茶のお湯が淹れ放題、お菓子も自由な所もあり、ご近所や親しい人達がだべる場として存在しています。暗香庵さんも、ご近所さんがお湯代だけで長い時間過ごすことが出来るという使い方はできるのでしょうか。
佐藤)今の状態は、まさにそういう感じです。私、普段は余り居ないのですが、居るときにはふらっと入って来ていただいています。お金もいただけるならいただきます。それより一緒にお話をしていただいて、私に色々な情報をくださって、学ばせてくれるならば、いくらでもお茶を入れ続けます。

寺田)いつも、居る訳ではないということはどういうことなのですか>
佐藤)体験教室は予約制にしています。残念ながら、新大宮商店街は、清水寺、金閣寺のようにたくさんの外国人の方が歩いていらっしゃらないので、効率を上げるために予約制にしています。その他の時間は、営業に行ってみたり、勉強に行ってみたりしています。また、杭州で引き続き研究員として大学に在籍していますので、2~3ヶ月に一度は中国に行ったりしています。この5月にもまた、行く予定にしています。行くと2週間くらい滞在しますので、その間は店を閉めています。電話をくだされば、いつでもお店でお待ちします。

寺田)お茶、お花は、佐藤さんご自身でプレゼンテーションされますが、その他の日本文化のご紹介や体験はどのようにされているのでしょうか。近隣の方とのおつきあいはどのようにされているのですか。
佐藤)基本的には、そういうネットワークを広げようと、努力をしているところです。お話をさせていただいて、佐藤が何か言ってきたら助けてやろうと思ってもらえるようにしています。中国の方は、何でも突然なので、サポートいただく方にも「突然なんですが、やっていただけませんか」とお願いをすることになります。大抵、皆さん、「あっ」と驚かれるのですが、やらないと佐藤に怒られるかもしれないと思われてのことだと思いますが「とりあえず、良いよ」といってくださいます。おはりばこさんにも、ご希望があればお連れするのですが、そのときに心構えをしておいていただきたいことがあります。欧米の方々は礼儀正しいし、前もって物事を準備されますが、中国の方は本当に思いつきで、衝動的に行動されます。「やりたい」と思ったときにやりたいと言ってきて、5分、10分たって気分が変わると「やっぱり行かないことにした」ということもあります。佐藤が、また、あんなことを言っている「だめだ!」というパターンだと私もだんだんと恐縮して、そんなことが出来なくなります。なので、心おおらかに助けてやろうという人とご一緒したいと思っています。

宗田)今、お話を聞いていて思ったのですが、佐藤さんのような方がいるということはこの地域にとってすごくありがたいことなんです。日本人は中国のことはほとんど知らないで、中国人も日本人と一緒であるべきだと思っています。ところが、中国人と一言で言っても色々な中国人がいます。アフリカ人的な中国人もいれば、ヨーロッパ的な中国人、アメリカ人的中国人もいて、日本人的な中国人もいます。本当に多様です。中国の気候風土の多様性、都市と農村の多様性などもあり、我々日本人にはわかりにくい存在です。それを佐藤さんは上手に解説してくれます。リチャード・フロリダがクリエイティブな都市である最大の要件は、寛容であると言っています。日本は日本の歴史そのものが中国との交流の上にあり、中国文化圏の惑星みたいな存在です。その日本人が、これから中国という大きな文化・文明、それも現代中国と出会って、新たな付き合い方をしていかなければなりません。それ抜きには日本の未来はない。そのときに、ここ西陣は、京都の他の地域や日本の他地域と違って、佐藤さんがいるおかげで、中国と上手につきあえる可能性が出てきたのです。
私も、イタリアで5年間生活した後日本に帰るときに、東京には住めないと思いました。ピサで1年半、ローマで3年半過ごして、やはり、日本で住むのだったら京都なんですね。私も、イコモスの委員になっている関係で世界遺産になっている西湖のある杭州には良く行くのですが、とても、きれいな大都市です。あの町で文化的な暮らしをしたら、大阪や広島では暮らせないですよね。この魅力が京都にはあって、国際的な人が集まってくる町なんです。フラットの吉田会長も、シベリア鉄道でふらっとヨーロッパを巡って日本に帰ってこられたら、横浜でも東京でもなく京都でお商売を始められたということを良くお話になります。そういう人達が京都に来るときに、四条でも東山でもなく西陣なのですね。そこには何かしら響きあうものがあって、そういう人達が集まってくる町だからこそ、中国の人達も受け入れやすいということがあるのだと思います。世界中の観光都市の中でも外国人が集まりやすい町があって、ローマでいうと、エスクイーノという所は高級住宅街で京都でいうと下鴨みたいな町です。若い人が出て行って高齢者の町になっている。この町の高齢者は閉鎖的なんです。一方、テスタッチオという町は、庶民が暮らしている、京都でいえば東九条のような町です。外国人が大好きなシチリア出身のお年寄りや中南米からやってきたお年寄りが、変わった店があると大いに関心を示す。直ぐに、そういう店を出しているフィリピンや中南米の若者とうち解けて、直截な評価もしてくれる。そういう魅力的な場所は、パリやロンドン、ミュンヘンにもあり、そういった場所に漂っている人達や雰囲気が良いのです。そして、こういう町に住むクリエイティブな人達がクリエイティブな人を呼ぶのです。そういう意味で、佐藤さんの所に集まっている中国人が、文化人かというとそうではない。そうだけど、好きなことが好きという人達で、お互いに響き合うものがある人達がいる都市が本当の文化都市だと思っています、こういう人達がのんびりと好きなことをしながら過ごせる。これがグローバル化の面白いところで、これからそういう人達がもっと集まってきます。我々は西陣の町にお金持ちを集めようと思っていません。お互いに刺激し合えるような、センスの良いお友達が集まってくれたら良い。僧職ではあるけれども佐野さんもそういう人なんですよね。センスの良い人が集まってきて、お互い感じあっているのが好きだという人達が肩肘張らずに暮らしているそういう町だと思います。
最後に、もう一度、佐藤さんの作品を見せてください。これは篆書ですか。

佐藤)これは篆書の中でも大篆というもので、ハクバンという古い青銅器に書かれていた文字を私なりに写したものです。その左側は、隷書が基本として私なりに書いたものです。日本と中国の書で一番違うところは、中国では基本を大切にするところです。それは、余白の取り方と線の運び方と線の力強さです。日本の字はなめらかで美しいのですが、中国の書は紙の中に墨がグーッと染みこんで、グーッとつかみ取っていくような強さがないと美しい線だとは言ってもらえません。中国の方は、長い間、色々なものを見て、それらを真似て書く(臨書)によって訓練をした後に自分の文字を書いていくのです。そうすると私の美大の先生が嘆くのです。皆が子供の頃から一生懸命、臨書をしてきたので、そこから離れることが出来ない。私のような、そういう訓練が十分でなく、ゼロから教える方が教えがいがあると言って褒めてもらえます。

寺田)今日は、新大宮商店街の中村理事長がこられていますので、佐藤さんのような方を媒介として、新大宮商店街に世界中から面白い人が集まってくるという状況が生まれてくることをどのように評価されるか伺います。
中村)ここに集まっておられる方の多くはクリエイティブな人ですが、私は、全くクリエイティブではない。しかし、これからは観光客の方も体験型に変わってくるので、そういう状況になるということは大変居良いことだと思う。商店街も昔の商店街とは変わりつつある時期にあるので、大いに歓迎します。

寺田)今の理事長の発言によって、この地域が如何に寛容であるかが示されたと思います。これで、第一部を終了させていただきます。ありがとうございました。