裏千家職家表具師 静好堂 中島實氏

新大宮商店街でひときわ立派な京町家

裏千家職家表具師

 

【多様性を大切にする老舗表具師】

裏千家今日庵を始め大徳寺に出入りする表具師。当代の中島さんは、笑顔を絶やすことなく実に気さくで、いろいろなお話をいただいた。また、2階の工房には20歳代の若い方が大勢働いている。伝統的な仕事を将来に継承したいという思いで、全国から若者を受け入れて5年を目途に修行するとのこと。もちろん5年で一人前になることはないそうで、引き続きこの工房で修行する人もいれば、いったん外に出て、戻って来る人もいるとのことである。しかも若者からも学ぶこともあるという柔軟な発想であり、これが意外性の一つ目である。

次に、大切な工房をどなたにも公開して、伝統の技を皆さんに見てもらっている。特に地元の小学生は毎年、見学を受け入れているが、年寄りが仕事をしているイメージが強く、若い人がやっているのを見て驚いている。「仕事が無かったら来てや」と冗談で言っている。この秋も埼玉から修学旅行で来る。どこの家も床の間が無い、障子が無い、軸など見たことが無い。そんな子供たちに伝統産業の世界を知って欲しいと思って積極的に見学を受け入れており、これが意外性の二つ目である。

最後に、どんな仕事も断らないで、洋室の壁に紙の壁紙を張る仕事も受け入れていること。息子さんを中心に若い人の感性を生かした仕事にも取り組んでいることに驚く。お客様からお声がかかると、翌日にはお伺いするとのことでフットワークも軽い。これは先代からの教えである。先代からは、電話かかってきたら飛んで行けと教えられてきた。2~3日開けて行くと「何を今頃来て」となる。早くいったら、「こんなに早く来てくれて」と喜んでもらえる。これが意外性の三つ目である。

伝統に胡坐をかくことなく、古い屏風の修復や軸装、襖の新調をしながら、洋室の壁紙を手掛けたり、紙を使った照明器具、海外からの注文にこたえるなど新しいことにもどんどんとチャレンジしている。

多様性を大切にすることにより、伝統を未来に継承していることに感銘を受ける。

 

【表具師 静好堂中島】

中島實氏は静好堂3代目である。今出川で仕事をしていた初代は、裏千家の先々々代宗室 円能斎から明治40年代に静好堂という名前をいただき、2代目で實氏の父親も先々代の淡々斎に可愛がられたとのこと。父親の代に猪熊通りに移った後、20年前に現在の工房を新築する。隣家の数寄屋大工の中村外二工務店にも見てもらって、「門前町」という地名が良いといわれ、裏千家や大徳寺にも近く、好条件の立地であったので、この地を工房とすることに決めた。

建築に際しても裏千家にお世話になり、裏千家の営繕に図面を引いてもらい、出入りの大工さんに仕事をしてもらった。伝統的な仕事だから、外観は京町家の意匠とし、1階の玄関廻りは数寄屋風にしており、2階の工房は、天井を張らずに、立派な梁などを表しにして天井の高さを確保している。

實氏が高校卒業後に工房に入った時には、父親と、一番弟子と實氏の3人であったが、表具の仕事が忙しい時期であり、その後弟さんが加わり、2年に一人ずつお弟子さんを入れてきたとのこと。現在は、實氏の弟さん、二人の息子さん、そして若いお弟子さんの総勢10数名で工房を運営している。

表具は、掛け軸、襖、障子、屏風など和紙を使った表装・建具のことをいうが、静好堂では、その全てを取扱い、さらに、和紙の照明器具や洋室の壁装など新しい分野にも進出している。とりわけ、裏千家今日案に出入りをしていることから、掛け軸の取扱いが多いが、今日庵の家内の障子、襖の仕事もいただいている。さらに、大徳寺や炭屋、俵屋さんなどに出入りをしている。京都迎賓館の表具も納めさせていただいたが、最近は、補修の仕事も入るようになってきた。その他、個人のお屋敷や茶室の仕事も多く、時に修行を終えたお弟子さんにも手伝ってもらうこともあるという。最近は、世界中から仕事の依頼が増えてきている。ニュージーランドを始め、オーストラリア、アメリカ等のお金持ちが自宅に茶室を作って、そこの表具を任されている。

 

【職人の技と材料、道具】

襖は木製の格子上の組子の上に下張りを10工程行った上に、上張り(表張り)を行って、最後の縁を取り付けるところまでが仕事となる。

 

組子の四隅は、三角形の朴木(ほおのき)の薄板で補強し、紙の拠れなどが出ないようにしている。

下張りに使われる紙は多様であり、最初の「骨縛り」は、薄くて繊維の強い和紙を障子のように張って霧吹きをして、和紙の繊維を収縮させて、組子を締め付けている。下張りは、それぞれに意味や目的がある。

先述の骨縛りを強固にしたり、組子の骨の透け防止をしたり、空気層を作って断熱や吸音効果を持たせるもの、紙の周囲だけに糊付けをして袋状にして、奥行きのある風合いを出すもの等である。それぞれに紙の種類も糊の濃さなども異なる。

引きの強い反故紙は、特別な場合に使用するという。最後に、唐紙などの本紙を上張りする。

さらに、漆塗りの縁を取り付けて、完成させるのであるが、全国の競技会でこの工程で優勝をした女性職人がわき目もふらず仕事をしておられた。

まさに、見えないところに様々な工夫をして、その出来が襖の仕上がりを左右することが良くわかる。とりわけ難しいのは、古い襖や屏風の修理である。表を傷つけないようにしながら、敗れた部分を修復して、元通りに戻すことはベテランの仕事となる。

掛け軸の書や画の部分を「本紙」という。この本紙は、薄い吉野の和紙で「裏打ち」をする。柿渋を塗った板の上で、少し大きめの和紙を薄く糊を溶いた水を霧吹きで全体的に湿らせ、その上に本紙を重ねる。刷毛でしわを伸ばしながら、細かいゴミをピンセットで取り除いて乾燥させる。そして、何度か裏打ちと乾燥を繰り返す。工房には、この途中の工程の本紙が貼られた板が何枚も吊られている。

一番最初の裏打ちが難しいとのこと。その後の作業の土台となり、出来栄えを左右する。掛け軸は小さく巻くので、薄く柔らかく仕上がるように裏打ちの紙の選定や糊加減が難しい。ムックリと仕上げるためには濃い糊は使用しない。一番良いのは、古糊(ふるのり)を使うことである。毎年大寒の時に糊を炊いて、十年近く熟成させたものであり、接着力もコシもほとんどなく、何度も刷毛打ちすることで、本紙と裏打ちの紙の繊維が絡まって張り合わされる。そのため、100年後に軸を直す際にも、容易に剥がれて、軸装をやり替えることが容易になる。そして、仕上がりもムックリと見える。

見た目が奇麗であることは当然であるが、「本紙」に合わせた裂地の選定をすることも大切である。夏に使う掛け軸の裂地は涼し気に、冬に使う掛け軸は暖かくという具合である。また、お客様としっかりとお話をしてお客様の好みに合わせることも大事な仕事となる。そうした要素を総合的に判断しながら、紙や糊、裂地、軸の選択をしている。掛け軸そのものも総合芸術である。

 

【職人の育成】

この工房には、若い職人が沢山働いている。取材中にも、出先から40歳代の息子さんに率いられた3人の20歳代の若者が戻ってきて、瞬間、工房が賑わった。

少しでも表具の良さ、和の良さを知ってもらいたい、継承していって欲しいと、若い職人を弟子に取っている。ここで修行をした若者はこれまでに20名程度いるが、表具の仕事を辞めたものは2~3名とわずかで、中島氏の思いが若い人に伝わっている。また、京都には4名の卒業生が仕事をしており、忙しいときには手伝ってもらう関係ができている。コロナで中断しているが、年に一度、お弟子さんが集まって懇親会を開催し、情報交換をしている。

修業期間は5年であるが、最初は基本を覚えて、あとは色々と工夫をしてもらうとのこと。最初の一年は、包丁の使い方を覚える。

奇麗に切れるようになると同時に、研ぐことも覚える。道具の手入れをしながら使い方を覚える。修行期間を過ぎても希望する者は工房に残る。昔と違って、修行中といっても従業員であり、給与も支給され社会保険にも加入している。今の若い人にも修行に入りやすくなっている。良い仕事をすることだけでなく、若い職人を育てていくことも、静好堂の責務としており、それを喜びとしていることが中島氏の言葉の端々に伝わる。気持ちの良い工房であった。

 

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