第12回西陣R倶楽部

第12回西陣R倶楽部

話題提供 京都瑞鳳堂 ギャラリーマネージャー 竹内 正子氏

日時:平成31年2月18日(月)午後7時~午後9時10分

場所:TAMARIBA

 

<会長挨拶>

みなさん今晩は、お寒い中ご苦労様です。この会も1年近くやってきますと、いろんな方が登場され、若いメンバーの方が着実にこの町の様子を変えているということが分かってきました。また、前からおられる方も新しいメンバーの方を大切に受け入れて、コラボしていこうという機運が高まっています。そういうことが、これから1年、2年と継続することでだんだん深まってきます。そういう2年目に向かって皆さんの力が結集できるような形にしていきたいと思いますのでよろしくお願いします。後半のディスカッションも楽しみにしています。

 

<話題提供>

皆さん今晩は、京都瑞鳳堂でマネージャーをしております竹内と申します。本日はよろしくお願いします。

京都瑞鳳堂とは何かをお話しします。私たちは金属工芸を基本とした芸術作品を製作販売している会社です。設立してから11年ほどの会社ですが、専属の先生方の金工の歴史は長くて、明治まで遡ります。銀の作品を制作する先生は3名いらっしゃいまして、いずれも京都瑞鳳堂の専属の作家さんです。私たちは先生たちの作品や若手の作家さんとコラボレーション作品を創ったりし、芸術分野の幅をさらに広げるべく西陣のギャラリーだけでなく海外に飛び出して邁進している会社です。

次に京都瑞鳳堂が誇る金工についてお話します。世界では、紀元前4千年前から鍛金というものが存在していたと伝わります。日本には弥生時代に大陸から金属の文化が伝わったとされています。平安時代以降には武器や武具の製造から金工品を作るようになったと言われています。室町時代から桃山時代に茶道具が作られるようになり、いまある銀瓶はこのころからあったとされています。江戸時代には日用品にも銀が使われるようになり、明治時代以降にいまある鍛金の技術が確立されました。昭和時代に活躍した関谷四郎という鍛金の先生がおられます。鍛金の分野で人間国宝となられた方で、京都瑞鳳堂の専属作家である雲雄(くもう)先生の師匠でもあります。「材料が銀だからといって、そう簡単に「銀瓶」と呼べるわけではない」彼が残した言葉です。この言葉の意味は、銀を使って作ったからと言っても、銀瓶には細やかな技術が必要なので簡単には銀瓶とは呼んではいけないということです。それだけ金工や銀瓶は奥が深く理解に時間がかかるものです。

 

 

 

 

 

 

師の教えを守ることは簡単なことではありません。技術だけでなく精神や考え方も師匠から教わったことが弟子の作品に反映されていきます。道具一つをとってみても自分で一から作り使い込んでいく中に自分の道具といわれるものが出来上がります。その道具を使った丁寧な作業で一つの作品を作り上げます。今ご覧いただいている写真がその道具たちです。槌で銀の板を当て金にあてて打ち出していくのですが、その細工に合わせて多くの槌を作ります。また材料となる銀の板はすごく薄いもので、叩きすぎると変形してしまいます。銀を叩いて加工する際には「なまし」といって、熱を加えて加工を容易にする作業を伴いますので、思い通り加工するだけでなく、叩きすぎたものを元に戻すことも大変な作業となります。そのため、一つの作品を仕上げるのに少なくても3~4か月掛かります。ですので師の教えを受け継がない限りこの銀瓶をつくることはできません。

私たちがこだわっていることは、当然ですが手作りであるということです。残念なことに現代の技術の進歩によって、銀瓶も機械で大量生産することができるようになってしまいました。銀瓶の得意先である中国にそうした機械製品を大量に売りさばいている業者もたくさんいます。商いとしては一つの方法ではありますが、京都瑞鳳堂が守っている伝統というものには程遠いものがあります。まさに関谷先生の言葉にあるとおり「銀を使っているだけでは、「銀瓶」とは呼べない」ということになります。偽物とまでは言いませんが、師の教えに沿っていないものがまかり通ると、それが伝統のものとされてしまうことがあります。私たちはそうさせないためにも先生たちの技術を世に広めていくために世界に目を向けています。

 

先週までドイツのフランクフルトでアンビエンテという世界最大規模の見本市に出展しておりました。今年で3年目の出展となり、銀瓶の作品の陳列に加えて昨年は鍛金の実演を行い、今年は陶器の上絵付けの実演をしました。昨年の出展期間中に世界的に有名なデンマークの銀を中心とする金属製のライフスタイルプロダクトメーカーであるジョージ ジェンセンの社長がブースをご覧いただき、日本の伝統技術の素晴らしさをほめていただきました。同行していた作家の先生とジョージ ジェンセンの職人さんとの交流も図りました。今年も、その職人さんが来てくださって、言葉の壁を越えて職人同士がお互いの技術を評価している様子を目の当たりにすることができました。私たちが本物の技術を海外の方に見せることで、日本の誇る鍛金や陶芸の芸術世界を知っていただくことができました。ただ単に西陣のギャラリーを拠点にするだけではなくて、常に世界に目を向けて継続的に展示会に出展することはとても意味のあることだなと思っています。今では、台湾や香港に代理店契約を結んでいる企業と提携して、現地の大手デパートでの展示会を開催するなどしています。

京都瑞鳳堂では金工作品だけではなく、様々な芸術作品にも携わっています。ギャラリーの奥に展示スペースを設けています。こちらは若手の作家さんに無料で展示の場を提供しています。その他にもアートフェアに参加して、彼等の作品を多くの人に知っていただく機会を作っています。昨年は金沢の工芸アートフェアに参加して、陶器や漆の作家さんの作品を展示しました。来場者には大変好評で、売り上げにも貢献できました。また、来月の7日から9日まで烏丸五条にあるホテルカンラのダイヤローグというアートフェアにも参加します。ホテル全体をギャラリーとし、一室一室にそれぞれの作家さんが入って展示をしていくというイベントです。京都瑞鳳堂はありがたいことにスイートルームを使わせていただきますので気合が入っています。この機会を無駄にせず、台湾から懇意にしていただいているお茶の先生をお招きして、その部屋でお茶会を開催する予定です。また、陶器や漆の作品だけではなく、西陣織と表具の展示も行います。この会の会員でもある手織の平居さんも賛同していただいて、表具の作家の方と屏風をつくっていただきます。紙だけでなく西陣織の布を使っても表具はできるということを表現したくて、お願いして作っていただいていますので、是非、ご来場ください。後ほど、ご希望の方には招待状をお配りしますので、お気軽にお声掛けください。後は、西陣Rウィークにも参加させていただきます。3月4日の月曜日には、京都瑞鳳堂のギャラリーで金工に関するお話をさせていただきます。完成作品や制作工程の道具も置いていますので、今日よりも分かり易いお話になると思います。どういうものを作っているか写真だけでは分かりにくいので、実際に見ていただきたいと思います。3月10日の日曜日には、終日、お茶会を開催したいと思っています。先ほどご案内したホテルカンラさんのお茶会と同様のものです。ギャラリー内で開催しますので雰囲気も違うと思いますので、こちらも是非お越しください。

京都瑞鳳堂が目指すものは世界です。今まで師の教えを守り、その伝統を次の世代へと受け継いできましたが、残念ながら、金工の世界は狭く厳しいため後継者の育成が不十分です。そのすたれ行く技術を残すべく、京都瑞鳳堂ができることは世界へ目を向けて金工の素晴らしさを世に知ってもらって、より多くの後継者を生むことです。多くの人の目に触れていただけるように展示会に出展したり、ウェブサイトを充実させるなど、縁の下の力持ちとなれるように私たちの弛まぬ努力も必要だと思っています。京都瑞鳳堂のウェブサイトにはしっかりと費用をかけて充実させています。写真もプロに撮影していただき、日本語だけでなく英語や中国語でも発信しています。SNSも多言語対応できるようにしています。そして、接客スタッフも日本語、英語、中国語ができる人材で固めており、常に世界に目を向けています。今回、ご縁があってフラットエージェンシーさんを通じてお借りした西陣の素晴らしい町家で経営していますが、この町家では世界規模のプロジェクトが日々進行しています。ご清聴ありがとうございました。(拍手)

 

<質疑応答>

寺田)専属の作家さんが3人いらっしゃると聞いていますが、京都瑞鳳堂との関係はどのようなものなのでしょうか?

竹内)3人の作家の先生方は京都瑞鳳堂の専属の作家さんで、京都瑞鳳堂だけの仕事をしていただいています。先生たちは、平均年齢70歳くらいで、日本語しかできないので自分で販路をつくることができないのです。今まではお得意さんにだけ出荷しており、自分の中にしか世界が無かったのです。そこで、私たちの伝統守り続けていこうとする考え方に賛同していただきました。販売については、瑞鳳堂さんに任せましょうと言ってくださって、今に至っています。

 

大島)着物の悉皆屋さんみたいな感じで、作家さんたちに、あるいは職人さんたちのメディアというか窓口のような立場で京都瑞鳳堂さんは役割を果たされているということでしょうか?最近は金工を志す若い人たちは増えているとお聞きしますが、そういった人たちが、京都瑞鳳堂さんをメディアにして自分たちの作品を発信したいという、働きかけなどはあるのでしょうか?

竹内)実際に若手の作家さんたちの売り込みはあります。そういう人たちには、「もう少し日を置いてから、あるいは熟練してから何かご一緒しましょうと言うのではなく、あなたに出来ることは何がありますか?と聞いて、何ができるかを一緒に考えます。別に金工だけでなく、陶器でも漆ですとか西陣織、あるいは革製品の方が売り込みに来て頂いてもウェルカムです。何ができるかということは、話し合って、作品を見てみないと分からないので、人となりというよりかモノとなりを見て私たちがこうしましょうというという感じで、レール敷きをお手伝いします。

大島)目利きのフィルターということもしておられるのですね?

竹内)そんな偉そうなことではないんです。目利きとかそういうのではないんですが、皆で手を繋いで頑張っていきましょうというフィールドづくりをしているということです。私たちがギャラリストだからと言って、「あなたたちと一緒にやってあげるわ」ということではなくて、皆と一緒にやりませんかということです。先ほどのホテルカンラさんの件もそうですが、若手の作家さんたちが皆集まってやるんです。彼女たちも自分たちの販路はある程度持っているのですが、なかなか販路を拡大できずにいる。世界にも行けず、日本の京都で燻っていますという方が多いのです。それでは、私たちもあなた達の意見に賛同できるので、今回、一緒に京都でやりましょう。それでうまくいけば、海外に行きましょうという感じで、場所の提供をできる限りやろうとしています。実際、ドイツに一緒に行った作家さんも今回、参加していただいていますので、チャンスはゼロではないです。

 

寺田)実際に、京都瑞鳳堂の3人の作家の元に弟子入りされた方はいらっしゃるのでしょうか?

竹内)弟子入りについてですが、ある日、突然に外国人がいらっしゃって、「実は、昨年ドイツのアンビエンテで先生の作品を拝見した、先生の実演も見ました。先生を訪ねてきました」とおっしゃったのです。「すいません、今、先生は工房で作品をつくっているんです」というと「え~!会いたかったです」と言われたので、「すみません。お越しくださったことだけお伝えしておきます」といったんです。その方がその次に言った言葉に驚いたのですが「いや、実は会社を辞めて、先生の所に弟子入りしようと思ってきたんです」と言われたんです。こちらの答えを聞く前に会社を辞めはったんです(笑い)。こちらもびっくりしたんです。まあ、言葉の壁がありますので、その方はお断りをすることにはなったのですが、話を聞いていると、とても有名な金工メーカーの職人さんだったのです。辞める覚悟があって来たと言われたので、すごいなと思いました。それはありがたいことで、世界に日本の金工が伝わった証拠だなと思いました。先生たちの弟子入りは受け付けてはいますが、厳しいですし、狭い世界ですので、その覚悟がある人だけを受け付けていますが、なかなかそこを超えて来られる方はいないですね。今の学生さんたちも、そこまでの苦労をしてでもやりたいという方はいらっしゃらないので、かなり狭き門です。

 

中川)お話の中で世界に向けた取り組みをされていることがしばしば出てくるのですが、金工をやりながら世界を意識された切っ掛けと、世界とのルート開発はどのようにされたのか教えてください。

竹内)以前お客様から銀瓶はないかと言われたことが最初の切っ掛けとなりました。私たちも芸術分野に関わっていたので、つてを頼りにご紹介をいただいた先生に、「こういうお客様がいるので作ってほしいのです」というお願いをしました。先生のお話を聞いていると、外国語もできないし、自分たちで販路拡大することもできないとおっしゃっていました。そして、京都瑞鳳堂ができることは何ですかと聞かれたので、「中国語も英語もできるので、代わりに売ることが出来ます」とお返ししました。お金を稼いで先生に還元することで、先生がお弟子さんを雇うことができるようになるので、お金が有効に回りだします。先生も自分の懐も潤えば、お弟子さんを抱える力もできるので、一緒にやることになったのです。そこから、口コミでどんどんとお客様が増えていきました。実際に店舗もお借りして、販売とか展示をする様になって、なおかつお客さんの伝手で台湾に良い業者さんが見つかって、その方たちが、京都瑞鳳堂の総代理をしてくださるようになり、台湾のことは、彼らに全面的にお任せするようになりました。西陣の小さな店でも世界を相手にビジネスが成り立っているのは、台湾の土台と口コミです。さらに先ほど紹介したようにウェブサイトにも力を入れているので、ホームページを見ましたという中国のお客さんやヨーロッパのお客さんがいらっしゃいます。日本でずっと腰を据えたいというのではなく、常に世界を意識しており、その中で日本にも良いチャンスがあればという感じでやっています。どこでもいいです。世界に需要があれば、そこにどんどんと突き進んでいって、研究し、良ければそこに行ってみようとします。ドイツも職人さんの文化がある国なので、それもあって、ご縁でアンビエンテでブースも持たせてもらえるようになりました。そういう感じで、お仕事を広げていっています。

中川)モノの良さを分かられる方は世界にたくさんおられるのですね。

竹内)なんていうんでしょうね。良さが分かる方というよりは、最初は目で得た情報で綺麗だなという方が多いですね。ですので、台湾、香港、ドイツ、どこの展示会でも同じ反応です。見た瞬間に「わー」という言葉が出ます。写真では分かりづらいのですが、本物を見ていただくとすぐにわかると思います。「アメイジング」とか「ビューティフル」という言葉がすぐに出てきます。そのぐらいすごいものだと思います。そして、私たちはうまく見せることが得意です。

 

酒井)京都瑞鳳堂さんのスタッフの構成はどのようになっているのでしょうか?専門性を持った方はどのくらいいらっしゃるのでしょうか?

竹内)決して大きな会社ではありません。従業員も京都には2名しかいません。私の他に一人スタッフがいます。彼は中国語も英語もできます。

 

宗田)社長の朱島さんはどこにいらっしゃるのですか?

竹内)朱島はいろんなところに居ます。外国のお客さんのところに営業に行ったり、本来は私がお客さんの間を飛び回らないといけないのですが、社長があちこち行くことが好きなので、いろいろ営業を懸けに世界中を飛び回っています。ほとんど日本に居ないんです。

宗田)先ほど関谷四郎先生のお話が出ましたけれど、鉄瓶も銀瓶も茶器ですよね。茶器としての歴史はそれこそ500年くらいあり、その鉄瓶が今、ヨーロッパなどで売れています。ベネチアなどに行っても、南部鉄瓶専門店があります。そして漆を塗ったりして新しいトレンドが出てきていますね。一方、中国のお客様には、とりわけ台湾の方には鉄瓶よりも銀瓶の方が好まれているということなんですかね。

竹内)元々は、鉄瓶がものすごく流行りました。もう6年くらい前ですかね。南部鉄瓶が流行り出して、本来は、一つ20~30万円位する高価なものなのですが、型で作ったり、中国で作ったものを逆輸入して、さらに中国に輸出するなどというようなことをして2~3万円でできる新しい鉄瓶というものができたんです。ただ、それを欲しいという人は本当にいわゆる庶民です。私たちが、お客様としてお受けしているのは、もう一つ上の富裕層の方が多くていらっしゃるんですけれども、安物の鉄瓶が出始めたころに、その方たちの中で銀瓶が良いいらしいという噂が立ち始めました。

宗田)銀瓶は、日本でも元々高価なものじゃないですか?お茶の用途に供するというよりも美術工芸品として好まれていましたよね。

竹内)元々は、美術品として嗜好品として扱われていました。

宗田)京都瑞鳳凰堂のfacebookを見ても、用に供するというよりも美術工芸品として芸術性の高いものを展示しておられます。それは日本国内で市場があるというよりも、かなり特殊なお客様が購入されているんでしょうね。

竹内)お茶の先生など、見せるものとして日本の方で購入される方もいらっしゃいますが、弊社の銀瓶は99.9%の純銀で作っているので、使う分には問題はないのです。ですから、皆さん使っておられます。中国の方は、京都瑞鳳堂で購入された高価な銀瓶を平気でお湯を沸かすために使っておられます。美術品として飾っておられる方もいらっしゃいますが、ほとんどの方が実用に使っておられます。そういうお客様が少なくありません。

宗田)そういう意味では、まさにニッチな市場ですよね。

竹内)ただ、富裕層の方は無くなることはないので、市場が無くなることもないと思っています。

宗田)銀瓶の市場がずっと続いていくものなのかどうかですよね。京都瑞鳳堂さんとしては、今は銀瓶だけれども、将来は世界から注目を集めるような日本の工芸品をプロデュースしていくことを考えておられるのですか?

竹内)銀瓶は弊社のベースであり続けるということは常に考えています。その銀瓶+αでほかの芸術品、美術品をそろえていけたらなということもあって、若手の作家さんとのコラボをやったりしています。瑞鳳堂は銀瓶だけではないんだよ、芸術品や美術品も扱うんだということを見せたいなと思っています。ドイツのアンビエンテで銀瓶だけを展示したのではなく陶器の作家さんとのコラボで上絵漬けの工程を見ていただき、その作家さんの陶器の作品も展示しました。

宗田)3人の作家さんがおられますが、雲雄さん、雲山さん、雲龍さん、皆さん京都の方ですか?

竹内)みなさん京都に住んでおられます。

宗田)その専属の作家さんからどのくらいの数の作品を引き受けられているんですか?

竹内)先生によってペースが違います。雲雄先生は一番ペースが遅い方ですが、年間に8個作られます。複数の作品を同時並行して制作されますので、一つの作品をつくる期間は3~4か月くらいかかります。

宗田)銀瓶は鍛金ですか?

竹内)鍛金です。銀の板から打ち出していきます。胴周りの直径で4寸から4.5寸です。

そんなに大きなものではありませんが、1リットルの薬缶くらいの大きさはあります。

宗田)瑞鳳堂さんが作品を預かられて販売される際にはマージンをかなり載せていかないと、経費が捻出できないのですよね。

竹内)そんなに載せてないです。私たちも技術料くらいしか載せることができません。日本のお客様は職人の制作の手間だとか苦労が分かっていただけますが、中国のお客様はなかなかご理解いただけません。「え~、こんなにするのか」から始まります。「負けてくれ。2個買うから60%くらいにしてくれ」「いや、無理でしょう」という話はよくあるんです。

載せてしまうと本当に大きな金額になるので、それこそ嘘だということになります。偽物を売っているくせに値段だけ張っていると言われます。その価値を価値として認めていただきたいと思っています。

宗田)もう少し、竹内さんご自身のことをお伺いしたいのですが、ご出身やご経歴などいかがでしょうか?英語と中国語が堪能なのはどうしてですか?

竹内)堪能ではありません。若いころに台湾に留学していたので、中国語はある程度できますし、英語は商談で使用できる程度できます。

宗田)このままこのお仕事を続けて行かれますか?このお仕事はお好きですか?

竹内)好きですね。芸術品も好きですし、芸術作品と会話したいんです。お客様と会話するのは苦手なのですが、作品を見てジーっとしているのがすごく好きなので、会社でもよく、ジーっと作品を見ている時間が1日に30分くらいあるくらい好きです。

宗田)ちょっと、作品を語ってもらえませんか?作品は写真と実物は大違いで、写真で見るとのっぺりとして見えますが、実物にはものすごく奥行きがあり、こんなものをよく叩き出せるなと思ってしまいます。

大島)デザインもそれぞれの作家さんがされているんですか。デザイナーさんがいるわけでもないんですね。写真ではずいぶんとモダンに見えますが、70歳代の人が良くこんなデザインを考えられるものだと感心します。

宗田)伝統的な型というか、デザインのモチーフがあって、それを上手に継承しながら時代に合わせておられるんでしょうね。

竹内)そうですね、直線は簡単に見えますが、とても難しいですね。皆さん想像できないかと思いますが、ただ、叩いてへこますだけでなく浮き上がらせているんですね。なので、線をつくるのは、両方から打って浮き上がらせて線をつくるので、裏から見ると、全部へこんで模様になっているんです。ですから時間がかかるのです。鋳物であれば、型をつくって流し込むだけで簡単なのですが、分厚くなります。今、プレスも流行っているのですが、プレスでやると板が薄いと割れてしまいますので、分厚くしてあります。手作りかどうかは、出来上がりの厚さで見抜いたりもします。

宗田)一見して銀製品とわかるものの他に、金色をいているものがありますが、これは何ですか?

竹内)これは金消といいまして上から金を付けているものです。金箔とはまた違って特殊な方法で金を付けています。日本古来の技術です。

宗田)一種の金メッキですか?被せというかちゃんと銀と化合しているんですね?

竹内)本物の金を使っています。表面は金ですが、内側は銀で作っていたり、赤胴という貴重な合金でつくったりしています。

宗田)デザインを凝った作品もありますね。

竹内)そうですね。丹頂鶴という新しい商品を出したのですが、羽の一枚一枚を彫刻の先生に彫っていただいて、それを銀蝋で貼り付けるという作品です。とにかく細かい作業になります。ホームページにも受賞作品として掲載していますが、制作期間は1年くらいになります。口の部分も銀の板を鍛金で丸めて、銀蝋で接着しているんです。

西陣Rウィークの際には是非、ギャラリーにお越しください。4日は、銀瓶のお話をさせていただきますが、10日は中国茶のお茶会ですので楽しいと思います。買ってくださいなどとは言いませんので(笑い)、来ていただけるだけでも嬉しいです。

寺田)この銀瓶の肩を鋭い角に仕上げるのは大変そうですね。

竹内)それは、手絞りといいまして、一番こだわっている部分なのです。全部、手で仕上げていかないと、このエッジは作れません。今、中国に出しておられる業者さんはヘラ絞りといって機械で曲げていきます。簡単に丸く仕上がりますが、肩の鋭いエッジと肩から口にかけての逆円錐形の局面は手仕事でなければできません。日本で、手絞りでやっておられる先生は、数えるくらいしかいらっしゃらないと思います。

宗田)台湾や中国のお客様は、なんでこの銀瓶を買われるのですか?日本の伝統芸美術だから買うのですか?

竹内)台湾とか中国にはお茶の文化があって、銀瓶でお茶を飲むことにメリットがあることをご存じなのです。純度の高い銀には銀イオンの効果があるので、お水をまろやかにしてくれます。それで、お茶の味がものすごく変わります。海外の展示会に行く際には、銀瓶を持って行って、ただの水を入れて飲んでもらいます。そうすると何もしない水との違いを感じていただけます。洗脳などではなく本当に違うんです(笑い)。

宗田)確かに銀イオンにはそういう効果がると分かっていて、水だけでなく空気も浄化されますよね。

竹内)そういう効果が口コミで広がって、数年前に銀瓶は素晴らしいということがアジアを中心に広まり、銀でお茶を入れたら美味しいじゃないかということで銀瓶が売れるようになりました。それまでは鉄瓶だったのです。それだと水に鉄分が溶け出るのでお茶の味が変わってしまうのです。プーアール茶などは癖が強いので鉄瓶でもそれほど気にならないのですが、日本の緑茶は色が変わって鉄くさい味になります。鉄止めといって、漆を塗って止めるんですが、それでも溶け出ます。一方で、銀に関してはそれがありません。成分が溶け出すというのではなく銀イオンの効果でお茶やお水の味を変えるという効果が認められて皆さんに使っていただけるようになりました。中には、ワインとか日本酒を入れて飲まれる方もいらっしゃいます。中国語でお酒をよみがえらせるという言葉があるんですが、そういう意味でお酒を銀瓶で飲むとお酒の味も風味も良くなります。台湾の方でワインを飲むために銀瓶を3つも買われた方がいらっしゃいました。

宗田)台湾、中国の方は、われわれ日本人が知らない銀瓶の効能に目覚めているということなんですね。

竹内)昔のお殿様やお姫様が銀瓶を茶器として使っていた時代があり、献上品として使われていましたが、それは銀という材料の希少性だけでなく効果・効能があるので使っていたと思います。昔はイオンなどという言葉がありませんでしたが、やはり味が違うので、良い器として使っていたということは聞いています。

宗田)今、京都府では、宇治茶の茶畑を世界文化遺産登録とすることを目指していますが、中国とかインドなど世界のお茶の産地を全部集めて、それぞれ世界遺産に登録するときに連携してやろうという取り組みがあります。中国では、既に杭州は西湖の茶畑が世界文化遺産になっていて、プーアール茶の産地の雲南省など何ケ所か産地があります。人々の暮らしが豊かになってくるとお茶の楽しみ方が広がるのかもしれませんね。

竹内)台湾ではウーロン茶が有名なんですけれども、台湾の富裕層ではプーアール茶がブームです。日本でいう古酒という感覚で古いほど良いとされるので、古いプーアール茶を飲む事がステイタスということで、黒い煎餅状の茶餅をバリバリと崩してお茶を入れることが流行っています。それで、台湾のお客様が京都に来られた時に、持参された古いプーアール茶をいただくことがありますが、値段をお聞きするとびっくりしてしまいます。100グラムで何十万円もします。そういう世界になっています。

 

寺田)まだまだ、お聞きしたいことがたくさんありますが、残りはこの後の懇親の場で直接お尋ねいただくということで、中締めとさせていただきます。最後に竹内さんに大きな拍手で感謝の意を表したいと思います(拍手)。

 

<京都商工会議所の床モザイクの保存 マルモザイコ代表 外村まゆみ氏>

今日は、急遽お時間をいただきありがとうございます。商工会議所の床モザイクは1階のワールドコーヒーさんが入っているロビーにあり、いつもはテーブルや椅子で隠れてよく見えないのです。この写真は、昨年の12月に商工会議所が開催した会議所ビルの探検ツアーに伺った際に撮影したものです。私も初めて全貌を見てすごいものだなと思い、今後どうなるのかお聞きし、後日、これは残さないというお返事をいただきました。この建物は取り壊されてホテルになるとお聞きしました。それで、もし、取り壊されるのであればご連絡くださいと事務局長さんにお願いしました。その後、1月30日に事務局長さんから、ホテルでは活用しないということなので、よければ譲渡申請書を提出してくださいと言われたので、翌日、提出しました。これは大理石の床です。1964年の東京オリンピックの年にビルが出来た際に制作されたモザイクで、モザイクの世界では有名な矢橋六郎さんの作品です。この図柄は12支の干支です。干支の図柄の直径が5メートルくらいあります。図柄の一つ一つが大理石のピースです。真ん中に円を描き、その周囲に干支を配置しています。これは今年の干支の猪です。モザイクは元々西洋のものですが、干支という東洋の文化と融合したモザイクは貴重なもので、残したいと思っています。これが制作当時の写真です。おそらく紙張りか何かの上に大理石のモザイクを貼っている途中の写真だと思います。

この作者の矢橋六郎さんという方は1960年代に、いろいろなビルにモザイクの作品を残されています。その中でも、名古屋の中日ビルはその建替に際して、カラフルなガラスのモザイク天井は、保全の方向で決まりました。また、大垣市庁舎も隣接地に移転新築される際に、新しい市庁舎に矢橋先生のモザイクは残す方向だと聞いています。それで、是非、このモザイクも保存したいと思っています。ただ、壁や天井と比べて床のモザイクを取り外すのは大変な工事だと思います。2月以降、様々な方にお聞きしても良いお返事がいただけないので、先週、京都新聞の記者の方にお話しして記事を書いていただくようにお願いしました。その記事が切っ掛けとなればよいと思っています。このモザイクを新たに活用していただく場所が決まらないと、取り外すこと自体が費用の面で難しいと考えています。

それで、このことを皆さんに知っていただきたいと思うと同時に、なにかいいご意見があれば教えていただきたいですし、様々な施設や大学などに働きかけていただければ嬉しいなと思っています。

大島)移設費用はどれくらいかかるのですか?

外村)最初、私は自分で掘りに行こうかと思っていました(笑い)。ただ、商工会議所の専務理事さんから聞いたお話では、施工会社の見積もりでは500万円位ということでした。私が手でやれば、ずいぶんと安くできると思ったりもしますが、やはり床ですので、しっかりと施工してあり、ワイヤーソーなどを使うようになると何百万円の世界だと思います。矢橋六郎さんが元々在籍しておられた岐阜の矢橋大理石などの大きな会社と相談しながら解体する必要があると思っています。私が東京でお世話になった工房では、旧国立競技場にあった十数点のモザイクの内、かなりの数を撤去、修復して2点は新国立競技場に設置するとのことです。モザイクにあまり美術品としての価値を認めてもらえないで、建物とともに取り壊されることが多いのですが、中には国立競技場のように偉い先生が動かれることで保存されることがあります。ですから、言わないと分かってもらえません。商工会議所のモザイクも会議所の人でもその存在をご存じない方もいらっしゃいます。モザイクは西洋のものです。ギリシャ・ローマ時代のモザイクは何千年も残っているものがありますが、日本ではそういう風には考えられていません。このモザイクはたった55年なんですね。ビルは55年で老朽化かなにか理由は分かりませんが取り壊されるとしても、この美術品であるモザイクは、設置の仕方によっては、何百年、何千年と残っていくものです。京都にはモザイクの入っているビルは少ないので、これを遺産として残すことによって、新しいモザイクも建築に入っていけるのではないかと思っていますので、よろしくお願いします(拍手)。

 

大島)少し前の商工会議所の会報に歴史を振り返るメモリアルとして掲載されていました。ですので、商工会議所としても一応、意識はしているのでしょうね。

 

宗田)昔、矢橋大理石と縁があって、矢橋大理石の歴史を書いた本を読んだことがあって思ったのですが、これは新しい課題なんです。京都会館のときも内部に有名な作家さんの壁画がありました。東大の安田講堂の地下の壁画も壊されました。1950年代、60年代の建築にはこういう作品がたくさん採用されました。それらが一斉に耐用年数が来て建替える時期に来ているんだけれども、中に美術品があるという状況なんです。初めての経験なんで、これをどうするべきかということを模索している段階だと思います。幸いにしてロームシアターでは部分的に残すことができたのですが、東大は壊してしまった。

外村)これは、話題にもなっていないので、おそらく私が言わなければ、解体業者が4月から粛々と解体したと思うんです。京都新聞社が書いていただけるかどうか分かりませんが、お金と行先の両方が必要なのです。私が家に持って帰っても有効には使えないのです。これは多くの人に見てもらえることが望まれます。今は、コーヒー屋さんの床で見る人もいないのです。

 

寺田)皆さんの中でどなたかお知恵がありましたら、外村さんにご連絡いただきたいと思います。

 

<事務局長挨拶>

本日もご多用な中、第12回の西陣R倶楽部にご参加いただき誠にありがとうございました。私も京都商工会議所に毎月2回くらいお伺いしていますが、このモザイクのことは気付きませんでした。できるだけ、お声をかけてみたいと思っています。

本日は、京都瑞鳳堂の竹内様の話題提供をしていただき誠にありがとうございました。瑞鳳堂さんとは4年ほど前にご縁をいただき、西陣の地で町家を借りていただきました。オーナーさんも西陣関連のお仕事をされておられまして、瑞鳳堂さんに借りていただいたことを大変に喜んでおられます。また、ホームページにも力を入れておられるとのことで、私も拝見して、一番印象的だったことは、瑞鳳堂さんという屋号が100年前に出来、この100年間、先人が頑張ってこられたこと、その努力であったり、培ってきた技術があるからこそ今があるということです。それを、今また色々なところに発信していくことが印象的だなと思って見させていただきました。私も町家を考える会に参加しており、昨日も、その研究会に行ってきました。何故、町家を今の時代の方が借りるのだろうか、世界から町家が注目されているという話し合いがありました。やはり、町家も今まで培ってきた技術や物語があるからかなということを考えました。今は、物がなかなか売れない時代ですけれども、ストーリーや物語には、皆さん興味を持っていただき、強い商品。サービスとなるということを、今日のお話を聞きながらつくづくと考えさせられました。また、京都には本物というものがあって、今日のお話にも話題に上がっています。淡交社さんとお話をさせていただいた際に、京都には本物があるとおっしゃっていました。西陣には、瑞鳳堂さんだけではなく、たくさんの本物がありますので、これを機会に西陣のエリアから本物を発信していきたいと思っています。そして、3月に開催される西陣Rウィークも、いろいろなところに発信して、多くの人に来ていただいて本物を体感・体験していただけるような1週間になることを期待し、お願い申し上げてわたくしの中締めのご挨拶とさせていただきます。本日は、どうもありがとうございました。


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