第11回 西陣R倶楽部 開催

第11回西陣R倶楽部

話題提供 蘇生堂 代表 田端 眞人氏

日時:平成30年12月17日(月)午後7時~午後9時10分

場所:TAMARIBA

<話題提供>

蘇生堂の取締役を務めさせていただいております田端と申します。よろしくお願いします。私どものお店は、表から見ただけでは何をしているか実態が分かりにくいと思います。蘇生堂は昨年の8月にオープンした際には古美術と天然石の2本立てでやっていたのですが、古美術の方は、大口のお客様に全てお買い上げいただいたということがあり、また、古美術は信用商売で、一見のお客様に通りがかりに買っていただくという商売ではないということも改めて確認できたということもあって、今後は天然石を中心としたお店とすることにし、古美術については、別のお店で取り扱いをしていくこととしました。今週から改装に着手し、もう少し入りやすい店構えにしていきます。

私は、25歳で、人生の先輩を前に何か話題提供というこことでは自信がないので、わたくしの家族と私がどのようなことをしてきたのかということをお話させていただきます。私は、熊本出身なのですが母が鹿児島の出身ということもあり、生まれは鹿児島です。小学校4年生の時から熊本で育ちましたが、それまでは鹿児島を始めとして、横浜とか三重県など色々なところに移り住んできました。その後、15歳の時に関西に来まして、18歳の時から京都に来ています。私自身、関西が性に合うというか、大好きで、特に京都が好きでこの地に骨を埋めるつもりでいます。そして、鹿児島生まれということもあって私の尊敬する人は、西郷隆盛と父親です。そして、西郷隆盛という人の足跡をたどるときに、京都とのつながりを強く感じます。京都という土地が西郷隆盛を作り上げたと思っています。そういったこともあって、私は京都という地に大きな縁を感じていまして、和樂という会社を京都で立ち上げました。蘇生堂は元々、父が20年前からやっている会社ですが、和樂は、今年の3月で私が法人を設立して2年を迎えます。合同会社 和樂は日本の伝統文化を世界の方々を含めて若い世代にも伝えていけるような場をつくるために、下は18歳から上は僕くらいの平均年齢が21,2歳の総勢10名くらいのスタッフで運営しています。四条大宮の少し北側にある築250年の武家屋敷を借りて、そこで様々な文化芸術事業をしています。

元々、父が熊本で一般財団法人 賢人塾 を運営しており、熊本の阿蘇の山中で6000坪の敷地に十数棟の建物を建築して、若い人たちに日本の文化を伝えていました。私もここで育ちましたので、結果として小学校を中退し、学歴は無いということになりますが、多くのことをこの私塾で学び、日本の文化にも強い関心を持つようになりました。その関係で、15歳の頃から奈良で和太鼓のプロ活動に従事し世界中をまわり、その後、18歳の時から日本最古の文化芸術といわれている能を学ぶために、御所西の金剛流の宗家に弟子入りして通いで学ぶ傍ら、21歳くらいの時に賢人塾という文化事業の手伝いをするようになり、京都と熊本を行ったり来たりする生活が始まり、22歳になった2015年の元旦から賢人塾の理事長を務めることになりました。

2015年の4月に熊本地震が発生し、最初の地震では阿蘇に大きな被害はなかったのですが、その後の本震で、賢人塾と蘇生堂の前身であり営利事業の本拠地であった「和美優の森(わみゆうのもり)」が壊滅状態になってしまいました。「和美優の森」は、軽井沢のようなリゾート地を改造して天然石とバーのお店として事業展開していました。私自身、京都に長く住み、元々、京都に拠点を移したいと思っていたので、地震を機に、京都で賢人塾の後を継ぐような事業を立ち上げようと思うようになり、賢人塾の理事長も兼任しながら、新規事業の事業環境を整えるという2足の草鞋を履くようなことをしておりました。その後、父との意見の違いもあって、今から2年前に父とは別に和樂という合同会社を立ち上げ、Samurai Experienceと銘うって、今では観光の口コミサイトであるトリップアドバイザーで京都市の文化財系施設で第1位にランキングしていただいています。最近では、インバウンドなど観光を基軸としたコンサルタントもさせていただいています。

天然石の話に戻りますが、私自身は、天然石と日本文化は深いところでつながっていると考えています。天然石は7千年位前から人間と関わりがあると言われています。翡翠が国石(国の石)といわれ、日本を象徴する石とされています。いわゆる三種の神器の一つでもあり、装身具としての伝統工芸であり続けてきました。そういった観点では、私たちは、天然石と伝統工芸、伝統文化は互いに通じるものがあると考えて事業に取り組んでいます。また、日本では、天然石はパワーストーンとして扱われたりしますが、パワーストーンというのは日本だけの造語で、元々はジェム(Gems)、半貴石といわれるもので、ダイヤモンドやルビー、サファイアなど硬度の高いジュエリー(jewelry)といわれる貴石に対して、硬度の低い水晶やアメジストなどです。この天然石が持つ貴石と異なる特性をブランディングによって差別化し、アクセサリーなどとして希少価値がある商品としていくようにコンセプトメイクをしていくことにしています。

私たちの中で、天然石事業と文化事業はリンクしています。人は仕事をしてお金を儲けなければ生きていけませんが、それだけではなく、心を豊かにしていくものとして芸術文化が存在すると考えています。京都には、古くからの芸術文化がたくさん残っています。インバウンドの事業をしていて、大徳寺に一番関心を持つ外国人はフランス人だということ気付きました。そのため、大徳寺の近くにあるこのお店で事業することで、文化的なことを好まれる方々とお近づきになれるのではないかと思っています。

私自身、あまり一人でお話しすることは得意ではないので、これからは皆様方のご質問にお答えする形で進めていきたいと思います。ありがとうございました。(拍手)

 

<質疑応答>

寺田)天然石とは具体的にはどのようなものなのでしょうか?もう少し具体的に教えてください。

田端)一般的によく知られているものは水晶だと思います。いわゆる水晶のアクセサリーなどもありますが、もっと大きなカペーラのようなインテリア系のものもあります。元々、天然石は、地球の奥深いところで高い圧力と高い熱で水に溶けた高い純度の鉱物が滴のように空洞の中に落下して長い年月をかけて冷えて結晶化して出来たものです。大きなものは数万年もかけて結晶化します。さらに不思議なことにこうしてできた天然石はどこかの軸を中心に完全なシンメトリーになっています。それを半分に割ったものがカペーラというものです。天然石は、普段、あまり目にすることがないものが少なくありません。クラスターという水晶だったり、アメジスト、最近ではジルコンという結晶の中にチタンが入っているようなものもあります。

寺田)天然石を販売する際には、加工したり加工しなかったりすると思いますが、どのようにされているのでしょうか?

田端)様々な形で加工して販売します。色々な彫刻品であったり、先ほどのカペーラであったり、あとは水晶球のように球状に加工したりします。日本の研磨技術は世界でトップクラスなのです。刀の研ぎと同じように何工程にも分けて、研磨し、丸いモノから長いものまでさまざまに加工します。

寺田)価格はどのようなものでしょうか?

田端)ピンからキリまであります。安いものは何千円単位であります。上はキリがありません。天井知らずといっても良い状況です。天然石の値段のつけ方は独特なのですが、希少性と大きさで決まるのではなく、同じくらいの球状の石でも、その状態にするために削った分量が多いほど価格が上がります。天然石が好きになって目が肥えてくると、そのあたりも分かってきて、少ない削りで美しいものというお買い得な石を見つけることができるようになります。

寺田)球状に加工したもの、あるいはカペーラのようなものなど、お客様の好みは偏るものなのでしょうか?あるいは、好きな方は様々に加工した天然石を求められるものでしょうか?

田端)パワーストーンとして装身具として加工したものをお求めになる方もいらっしゃいます。一方では、天然の美術品として大きなオブジェのようなものを求められる方もいらっしゃいます。

寺田)天然石は世界中から集められるとお聞きしていますが、そのマーケットはどこにあって、どのように成り立っているのでしょうか?

田端)基本的にはネパールとかその近隣国で鉱物の物流が盛んに行われています。日本国内では先ほどの翡翠とか山科の水晶といったものしか採掘できません。世界ではアメジストやルビーなど様々な石が様々な国で採掘されており、トレード市場に買い付けに行きます。特に、ネイティブアメリカンの居住区であるセドナというところが、そういった天然石の物流のメッカになっています。そこで開催されるミネラルショーという鉱物の市場にも定期的に買い付けに行っています。

寺田)天然石の事業を始められた動機をお伺いします。

田端)私自身は、家業であり、子供の頃から天然石に親しんできたということが第一にあります。父親は、仏教や神道を学ぶ中で、天然石が身体の体調を整えていく目に見えない力を持つということを知り、そのことが科学的、医学的に立証されたことから天然石に傾注するようになったと聞いています。また、天然石が装飾品としても価値があることから事業として取り組むようになりました。

 

荒川)阿蘇にある賢人塾の運営形態と活動内容について、改めて教えてください。

田端)賢人塾は阿蘇山の麓に役6000坪の敷地に武道場や寄宿舎など18棟の建物や滝行の場を整備して、精神修養道場という位置づけで開設したものです。父親が事業の傍ら、私財を投じて20年かけて整備をしてきました。これまでは活動するためのハード整備に重点を置いてきましたが、ソフトの充実をしようとしたタイミングで熊本地震が発生しました。そのため、現在は、ソフトを充実するための塾生を募集しており、京都からも関心のある若者を送り込んでいます。一般財団法人ですので、基本的には父親の私財と寄付などで経営をしています。将来的には、和樂のように、文化ビジネスとしていくことも展望しています。活動内容としては、日本の伝統文化の全てと言ってよいと思います。能を始め、日本舞踊や居合などの武道など、あらゆるものを修業することで精神の鍛練を行っています。ホームページを見ていただければ、様々な活動の状況をご理解いただけると思います。一方、和樂では、全て事前予約制で体験希望者を募集しており、この1年間で約5000名の受講者に体験していただきました。そのうちの約8割がいわゆるインバウンドで、日本、京都に来た際にインターネットで検索してお申込みいただいているという状況です。京都の文化に対する関心は非常に高いものがあることを実感しており、今後、日本の中でまだまだ伸びていく事業分野だと思っています。

 

関岡)和樂の活動拠点は、四条大宮の武家屋敷だけでしょうか?

田端)活動拠点は、その武家屋敷だけですが、出張講演として、長岡京にあり京都が一望できる三光寺や伏見の清和荘という料亭などとタイアップして行うこともあります。

関岡)その際の講師はどなたがされているのでしょうか?

田端)基本的には私が講師として実施してきましたが、現在は、インバウンドということで、海外の方に日本の文化を伝える通訳的な講師や伝統文化の技能を体得してもらうように講師の育成をしています。

 

寺田)和樂ができるころとインバウンドが活性化する時期がほぼ一致しているのですが、それは、たまたまなのか、あるいは戦略的にそこをターゲットとされたのかお伺いします。

田端)結論から言いますと、たまたまが半分と、半分はそこに導かれるようなご縁がありました。祇園甲部で舞妓をしていた妹が舞妓を辞める前の最後の都おどりがあって、京都で伝統文化に触れようという趣旨で賢人塾の全国会員を二日間に分けてお呼びすることとしていました。その初日の前々日に熊本から夜行バスに乗ろうとしていたときに、最初の熊本地震が発生しました。高速道路の熊本のバス停を出発する数分前のタイミングで最初の熊本地震が発生したのです。いつものように新幹線か飛行機を利用していたら、京都には行けなかったのですが、高速バスは、ノンストップで福岡まで走り、次の日に京都に到着してしまいました。その時は、阿蘇には被害がなかったので、賢人塾の理事長である自分が熊本に戻らなくてよいのだろうかと悩みながらも賢人塾全国会員の会議に備えて京都に滞在していましたが、その次の日に本震が発生して、阿蘇の賢人塾が壊滅的な被害を受けるという出来事がありました。そこで、これはどういう意味かとすごく考えました。そして、結局いつの日にかはやらなくてはいけなかったであろう、熊本以外での賢人塾の拠点づくりを京都でやろうと決意しました。そのタイミングが、まさにインバウンドの規模が拡大している時期でもあって、追い風となったと考えています。やはり、日本の伝統文化に関心の高い海外の方に評価をいただき、受け入れていただいたと思っています。賢人塾は、日本の方たち、とりわけ私と同世代の若い人たちに日本の文化を再確認していただければという思いで運営していたのですが、和樂については、それにこだわらず、海外の方も含めて日本の伝統文化に関心のある方たちに発信していこうという思いでスタートさせました。結果としては海外の受講者の割合が大変に高い施設となりました。

寺田)和樂を立ち上げるに際して、賢人塾の塾生とのつながりは何かあったのでしょうか?また、和樂に限らず、賢人塾の塾生との継続的なネットワークは存在しているのでしょうか?

田端)私たち兄弟姉妹と塾生とのつながりはあるのですが、父は昔気質の非常に厳しい人で、塾生は気安く塾に立ち寄れないという意識だったように思います。登竜門であり、育った後に出入りする場ではなかったように思います。私自身もかつての塾生の内の十人に一人くらいの方としかお付き合いがない状況です。私自身も14歳の時に1年間、中国の少林寺に武術留学をしましたが、体力的にはハードでしたが、賢人塾よりも楽に過ごすことができたという体験をしたことがあります。それぐらい賢人塾は厳しかったです。

寺田)その塾生の方々は、その後、どのような分野でどのような活躍をされているのでしょうか?

田端)京都にもいらっしゃいますが、染に携わっておられたり、日本の文化をたしなみながら整体をしておられるなど色々な方がいらっしゃいます。父は、日本に生まれたからには日本の伝統文化を通じて精神修養をするべきだという思いで設立しましたので、職業の選択に影響を与えるものではありませんので、その後の仕事は本当に多様です。私自身は、精神修養というよりも、日本の伝統文化を学ぶという切り口を中心に事業を進めていこうと思っています。

寺田)京都は、文化を切り口に産業を興してきたという歴史を持っています。例えば、お茶やお花を全国に広めることにより、大勢のお客様をお迎えする広間の茶席にふさわしい着物や帯を全国に流通させることで経済的に潤い、その経済的な余裕を生活空間の充実や文化の洗練に投資し、産業のイノベーションにつなげてきました。そういう意味では、和樂と蘇生堂との関係は事業戦略としてどのように考えておられるのでしょうか?

田端)京都には老舗が残り、生活文化が生きており、僕が理想とする世界そのものです。京都に住まいしながら、京都の伝統や文化を後世に伝えていくために、どんどんと変わっていくライスタイルにどのようにコミットしていくことができるのかということを常に考えながら仕事を進めています。

三輪)私の友人がスリランカから宝石を輸入して、結構良いデザインで加工して販売していました。国際見本市などにも出品して受賞したりしていました。そういう人たちをご覧になっていると思いますが、将来の希望や目標がありましたらお聞かせください。また、主にどの国から天然石を輸入されているのでしょうか?

田端)先ほども、申し上げましたが、石はネパールやインドなどを中心として天然石の原産国は世界各国にあり、それぞれから輸入しています。また、加工の技術は、日本が世界の中でもトップレベルにあります。今後は、京都にいらっしゃる現代作家さんと一緒にブランドづくりをして、どこかに和を感じていただけるような繊細なカットだとか入れ物を含めた装飾などのトータルプロデュースをして輸出していきたいと考えています。和樂ではインターネット事業を展開しているので、通販事業を含めて世界の方々とつながっていきたいと考えています。

 

関岡)日本の加工技術は高いとのお話でしたが、京都にもそういった職人さんがいらっしゃるのでしょうか?

田端)専属で加工職人を抱えている事業者はいないのではないかと思っています。加工職人さんは、基本的に兼任でやっておられます。けれども、私どもでは、今後は専属の職人さんを雇用して自社で加工して、自社で販売するという事業形態にしていきたいと考えています。

関岡)加工の職人さんは、全国にどのくらいいらっしゃるのでしょうか?

田端)日本の歯科技工士は量的にも質的にも世界で最も高い水準にあると聞いています。その方たちも副業的に石の加工に携わっておられ、歯科技工士を辞めた後にもアクセサリーの加工に携わっておられます。そういう人たちに来ていただいたり、その他にも少し別の道に進みたいと思っておられる彫刻家のような人たちに試験的に取り組んでいただき、新しい職人による新しいデザインを開発していかなければならないと思っています。

 

寺田)お父様が熊本で事業化しておられた「和美優の森」というお店は、世界で一番大きな天然石のお店だとお聞きしていますが、田端さん自身は、そのお父様の路線とは少し違った形で天然石の事業化を検討しておられるのだと思います。古美術や京都の伝統文化と融合を図りながら、情報技術がますます進化する時代に合って、伝統文化をベースにした人間復興とそれにふさわしい新しいデザイン、商品の開発を目指しておられるように思います。そうした新しい文化ビジネスの可能性をどのように考えておられるのでしょうか?厳しい和装産業において頑張っておられる方は、新たな技術を導入してまったく新しいジャンルの世界を切り開いたり、作家として優れたデザインの希少性に富む方々ですが、蘇生堂としては、どのような目論見で切り開こうとしておられるのでしょうか?イノベーターとしての伝統産業、伝統文化の担い手としての将来展望をどのように考えておられるのでしょうか?

田端)合同会社和樂は、僕ともう一人、企業会計や経理を統一するというファイナンスアプリを開発されていた方との共同代表で設立しました。これまで、伝統文化や文化産業は、ITとの接点があまりありませんでしたが、そこをくっつけることで、発信する素材が欲しいIT側と持っているものを発信してほしい伝統文化、文化産業からは素材を提供するというウィンウィンの関係が築けるのではないかとの思いからでした。一緒に仕事をすることで分かったことは、お互いが理解をすることで、新しい発想が生まれるということです。まさに文化産業にイノベーションを興すことができます。そして、AI化が進めば進むほど、こうしたイノベーションを興した文化産業や伝統文化に世界の耳目を集めることができるということです。ちなみに和樂の集客も全てITを活用し、Webだけの完全予約制で成り立っています。

 

佐野)天然石のことは素人で良く分かりませんので和樂のお話になります。京都には、伝統文化というもののすごい歴史があります。いまだに色々なお家元が京都には沢山いらっしゃいますから、京都で伝統文化に関わる事業をされるということとは非常にいいことだし、素晴らしいなと思います。会場となる場所も、京都には一流のお寺や庭がいっぱいあり、そうした神社やお寺をお借りすることもできます。私も京都にずっと住んでいますが、今でもあちこちに拝観や参拝に伺います。京都には清水寺に行ったことが無いということを自慢にしている人がいますけどね、せっかく京都に住んでいながらそういうことを体験しないということはもったいないと思います。海外の方にこうした伝統文化を楽しんでもらうということは非常にいいことだと思います。日本人は、得てして自分で日本の良さに気付かないことが多いように思います。昔から海外の人が認めて、逆に日本人が再発見するということが往々にしてありますので、そういう意味でも、海外の方に日本の伝統文化を伝えていただくことは、非常にいいことだなと思います。頑張っていただきたちと思います。

 

金山)天然石の価格というのはどのように決まっていくのでしょうか?ヨーロッパやアメリカで価格標準が決められるのか、それとも日本で独自に決めているのでしょうか?

田端)基本的には、先ほどお話ししたように同じ大きさでも、より多く研磨した方が価格が高いという価格相場もありますし、希少性から決まる場合もあります。基本的には金と同じように流通の中で価格相場というものが決まっていきます。それにどのくらい乗せて価格設定するかということになります。そのマージンの限度というのもおおむね決まっていて、それからどれくらい下げて価格設定するかということになります。上げることは基本的にありません。そういう意味ではダイヤモンドなどの宝石と同じような価格設定の仕方ということになります。

寺田)それでは、時間も来たようですので意見交換はここまでとさせていただきます。改めて田端さんに大きな拍手で感謝の意を表したいと思います(拍手)。


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