第14回西陣R倶楽部
第14回西陣R倶楽部
話題提供 有限会社エンドユーザー 代表取締役 細井 隆之氏
日時:平成31年4月15日(月)午後7時~午後9時10分
場所:TAMARIBA
<会長挨拶>
皆さんお集まりいただきましてありがとうございます。この西陣R倶楽部も会を重ねるうちに会員が増えてきました。前会の西陣Rウィークの振り返りの会は、非常に印象的でした。従来は、自ら起業するとそれを子供に継がせたいとか地域に根付いて長く継続したいという意向が強かったと思うのですが、今、この町で町家や空き家を使って起業をする人たちは、変幻自在というか、すごく流動的な価値観を持っておられるということに気付きました。そうした皆さんが自在に変化していく活動がエネルギーとなって町を活気づけます。そうして、町がどんどんと新陳代謝をしていって、皆さん方も新しいビジネスを始めるし、町全体も新しい時代に対応した形に変化していく、そういうエネルギーが大切なんだなと思いました。
その話を東京のナショナルトラストの50周年記念事業で話をしたら、じゃあ住み続けるというのはどうなるのかと真面目に聞かれました。この西陣では、次から次へと新しい人が入ってきますので、仮に皆さんが育って出て行っても、その家は空き家にならずに埋まるし、新しいビジネスも始まります。地方ではそうはいかないのではないかという問題提起でした。そういう地方こそ、どういう人に来てもらえば良いか、若いエネルギーをどのように集めるかということをマネジメントしていかなければいけません。これからの働き方とか仕事の起こし方を、この西陣R倶楽部では勉強しているんだなと思いました。皆さん方の歩いた道が、やがて日本中に広がって行くと思います。これが正しい、こうしなければいけないということは決して無いと思いますので、皆さん方の取組を色々と勉強させていただきたいと思っています。
<話題提供>
今晩は、有限会社エンドユーザーの細井と申します。本日はよろしくお願いします。事務局にどうしても話をするように言われて準備をしてきましてが、私は、全部ひらがなの話しかできなのでお許しを頂きたいと思っています。
最初に、弊社の話をします。弊社は子ども服の販売をさせていただいています。「子供達の過ごす環境を精神的に豊かにする」というテーマを持って事業に取り組んでいます。2001年3月、滋賀県の大津パルコに1店舗目の「雅楽(うた)」をオープンしました。最近、この大津パルコそのものが閉店してしまいました。2店舗目が京都の「音」です。堀川北大路を200メートルほど上がった東側にある京町家を改修したお店です。現在、店舗は、京都に3店舗あります。「音」の南側6軒くらいのところにやはり町家を改装したお店と、二条駅の近くに1店舗あります。その他には滋賀県の南草津店、兵庫県には町工場を改修した「ウォッシュ」というお店があります。大阪府の池田市に町家を改装したお店と枚方T-SITEとあべのキューズモールという店を含めて、全8店舗を運営しています。元々はもう2店舗ありましたが、1店舗は、弊社の元社員にそのまま権限を委譲しました。もう1店舗は滋賀県の葛川といって、朽木の方に店を出していましたが田舎過ぎて通うのが大変だということで止めました。本社は、滋賀県の大津にあります。
弊社が目指しているのは、子供達やそのパパ・ママのサードプレイスになるということです。ファッションというものを通して、その地域の子供たちの成長や子育てに無くてはならない場やサービスを創るということで、子供達にとって、家、学校の次に大切な場所であるかということを常に問いかけています。南草津の店で実際にあったことなんですが、お母さんが出かけるときにいつも場所に鍵を置いていくのを忘れてしまったのです。その小学生の子が「鍵ないねん」といってうちの店に来ました。子供達にとってのサードプレースになっているなと実感しました。そのように、子供達にとっての居心地の良い店を目指して事業を行っています。
そういう感じのお店なんですけれども、弊社のテーマの実現に向けて日々邁進しているスタッフを数名、紹介します。総スタッフ数は34名で内、正社員が14名です。小さい会社ですので、システムチックな会社運営システムは一切ありません。マニュアルもなく、みんな勝手に営業しています。今日、京都の「音」に来た時に社員から「今日、社長何するんですか」と聞かれて、「今日は、夕方、フラットさんに呼び出されている以外、何もないんだけど」と答えたら、草抜きとトイレ掃除をするようにと言われました。そんな雰囲気の会社で、みんな自由気ままに勝手にやっています。
さて、デザイン部部長兼京都店店長の場合です。彼女は、父親が元テキスタイルのデザイナーで、京都造形芸術大学を卒業されています。ほんわか家族で、少年の心を持ち、子供が大好きで、末っ子の負けず嫌いで、何でもやりたがり、物事を立体的に考えられる人材です。そうした、彼女の経歴と性格から考えて、今やっているデザイン部部長兼京都店店長がはまっています。やってきたことに対して、そのまま垂直に今の仕事が出来上がっています。
もう一人ご紹介します。京丹後地方の出身で、大学で空間デザインを学び、おしゃれなカフェにずっと居ることが好きなんです。家族に障害を持つ方がおられて、障害を持つ方に着ていただける服を作ることが趣味というか仕事にしています。作業所とも強いパイプを持っていて、気も強いけれども福祉マインドも強く持っており、淡々と物事を進めていくことができます。意外と社内の裏番長であって、モデルの仕事は嫌いということで、この写真でも後ろを向いています。こういう彼女が南草津店の副店長兼作業所イベントの企画者です。弊社は、「子供達の過ごす環境を精神的に豊かにする」ということで、子供の洋服を普通に販売しているんですが、「全ての子供達が平等におしゃれになる権利がある」これは、彼女の名言です。「あー、スゲー、ええこといいよった」です。実は、彼女の採用に当たっては、ぎりぎりまで迷いましたが、その名言で採用が決まりました。確かにそうだなと思うんです。作業所などで、障害を持つ方たちは、動きやすいジャージを着ておられ、おしゃれとは程遠い状況です。その彼女の企画で、障害を持つ人もおしゃれに着ることができる洋服を作っています。着やすく動きやすい服というものも開発しています。そうした服の開発や作業所とのジョイントイベントなどを企画してくれています。
次に、私のことを紹介します(パワーポイントの画面に木村卓也の写真が表れて、爆笑。直ちに本人の写真に切り替わる)。元々は大阪府出身で、すごく古い日本家屋で育ちました。長い縁側のあるような家でした。祖母が俳画をやっていて、お婆ちゃん子でした。そして京都産業大学を卒業しまして、大学時代の彼女がアパレルに就職したから、アパレルに就職しました。けれども、そんなにセンスがないので、すぐに青山商事に転職しました。その時に数値はかなり勉強しました。そして、25歳で結婚して、すぐに子供を授かりました。他人と同じことが嫌いで、買い物が大好きという生活でした。その延長線が今の事業に結びついています。古民家を改装して、「手描きTシャツ(背中に手描きで名前を入れるTシャツ)」を開発して販売し始めました。古民家でちょっと和風なことをやりながら、ちょっと他の人より早く結婚して、すぐに子供を授かりました。そうしたちょっとずつが積み重なって、今の子供服の経営という形になっているのではないかなと思っています。
弊社の考え方ですが、「自分の人生のプロは自分なんだ」です。例えば、ピアノを習っていた人で、料理が好きで、京都出身の人のならば、ピアノが習える京野菜レストランの経営者になっているのとちゃうかな。というようなことです。次、小さい時に家族を病気で亡くしました。正義感が強くて美人。答えは、テレビで有名になる女医さん。三番目。小さい時に家族を病気で亡くしました。正義感があって、美人ではない場合、まちで話題の肝っ玉婦長さんになるわけです。算数が得意で、話すのが好き、子供が居る、服が好きな人は、子供服の経営者になるわけですよね。最後に、兄弟の仲が良くて、おしゃべりだけど、兄弟それぞれに個性がある。これは、千原兄弟ですよね。弊社の考え方ですが、それぞれの経歴、体験、経験が全て今の自分を作っている。それを無駄なくしたところに自分がプロとして居ることができる場所があるのではないかと考え方でスタッフには話をしています。
自分の価値を知るなんてことをこんなところで偉そうにいう事とちゃいますが、昨年、大学院で日本画を専攻された方が弊社の入社試験を受けに来られました。その方の自己PRは「ファッションに興味がある。人と話すのが得意。子供が大好き。なので販売職がしたい」と書かれていました。面談をさせていただきましたが、人と話すのが好きとかファッションが好きとはとても思えませんでした。「服、どこで買っていますか」への答えからファッションが好きちゃうやろと思いながら、何故、彼女が弊社を応募してきたのか不思議で色々と聞くと、分かってきました。彼女は、自分の周りにいる学生は皆、自分よりも絵が上手いと思っているのです。ほんまに下手なのかなと思って彼女の作品を見せてもらいましたが、素人の私には素晴らしい絵画だと思える作品でした。彼女の描く日本画は大学院の中ではトップクラスではないかもしれませんが、京都市民の中では確実にトップクラスにいると僕は思いました。それだけでも価値があるのに、島根出身で歴史が好きで、書道有段者で、お父さんも芸術家だと分かりました。その時に、自分の価値に本当に気が付けば、何かのプロになれるのになということを思って、本人にも「もっと生かしたほうがいいよ。服じゃあ無いよね。ファッション。子供。まあ、良いけど。一回帰って、よう考えてみ」と言って、帰しました。二度と現われませんでした。そういう事を考えながら、仕事をしている会社です。
これまではスタッフについての考え方ですが、弊社のテーマである「子供達の過ごす環境を精神的に豊かにする」という話に戻します。まず、「精神的な豊かさ」とはなんやろうということです。精神的な豊かさを感じる場面というのはどのような場面ですかね?(「自分がほめられて心が動くとき」「身近な人の成長を実感するとき」)すばらしい意見ですね(笑い)。僕だったら、コンビニのパンではなくてちょっとええとこのパンを買った時くらいしか頭に浮かびませんでした。でも、まあ色々と考えていくと、どれだけ豊かな体験をしたかということではないかと思っています。精神的な豊かさは、経験や体験の量に比例するのではないかということが僕たちの結論でした。子供達の精神的な豊かさは経験、体験したことの量に比例し、さらに言うと、その体験や経験をどれだけ繋ぎ合わせることができたかということではないかと思っています。ということを弊社の中では答えとして導き出しました。ですので、私たちの会社はお子様の体験をすごく大切にしています。そのためにどのようなことをしているかというと、まずはファッションショーです。しょっちゅうファッションショーをしています。何年か前に豊郷小学校を借り切ってファッションショーなどを行う豊郷キッズフェスタを開催しました。今でも弊社主催ではないのですが灘キッズコレクションとか滋賀キッズコレクションなどのスポンサーとか衣装提供をさせていただいています。ファッションショーというのは、どういう経験になるかというとリハーサルからの様子を見るとよく分かります。最初のリハーサルでは、子供たちは全く内向きで半分泣きながらやっています。本番は2部構成になっており、1回目はまだ緊張していますが、2回目になると「私を見て」という感じで参加してくれます。帰るころになると「次、いつあるの」と聞いてきます。ちょっとして経験なんですが、確実に彼女、彼らの精神的豊かさにつながっていると思わされます。その他に、モデル体験、これもそうです。今日、皆さんにお配りした弊社のカタログに掲載されている子供達はプロではなく、弊社のお客様です。応募をしていただいて選ばさせていただいています。こうしたモデル体験をした子供達は、次も出たいなと言ってくれています。次に、駅広告への参加体験です。弊社のイベントの一つで駅の広告にどんどんと載せていくということをやっています。ラクスルという会社の「駅ばりポスター」というすごく良い企画に乗せているのですが、費用は格安です。駅広告への参加体験というのは、駅を通るすべての人たちに見ていただけますので、効果は大きいです。この4月に実施したのは、コングラッチュレーション入園、入学みたいな感じで、弊社のセレモニー用のお洋服を着て参加していただきます。4月の15日まで、京都駅、出町柳駅、二条駅、阪急西院駅に掲載されていました。これも、良い思い出であり、体験になります。あと、チッチャニアというどこかで聞いたことがあるような名前の一日子ども店長体験を12,3年、続けて開催しています。これは普段、店長がしているディスプレー、服をたたむ、レジ打ちなど等、様々な仕事の体験に参加していただくイベントです。結果としてお子様自身に体験値が加わり、自信を持つお子様たちが育つのではないかと考えています。
そして、弊社のスタッフ自身も体験・経験から自己表現ができる職場を作るということを重視しています。自らが精神的に豊かでなければ、人に精神的な豊かさを感じてもらうことはできないと考えています。豊かになるためには体験・経験してそれを生かしていかんなければいけないよと言い続けて言います。自分たち自身がキラキラしているということを重要視しています。ルールもマニュアルもなく、勝手に自分たちで働いているというのはそういう会社だからです。その結果として、子供達に多くの経験・体験を与える場を作って、子供達に精神的な豊かさをという風に考えています。まずは、弊社が出店している地域のお子様そしてご家族が精神的に豊かになることを考えて、日々、従事しています。そして、最終的には、日本国民が精神的な豊かさを感じることができるようにということまで考えています。できたら、我が家の子供達がお父さんの会社は、ブータンのような豊かさを感じられるような社会を作ったと思って貰えるようになればとも考えています。ブータンのように豊かな地域、国ができれば弊社の目的は達成できたのかなと思っています。
大変、まとまりのない話で恐縮ですが、一応、この当りで話題提供を終わらせていただきます。今後とも弊社のことをよろしくお願いします(拍手)。
<意見交換>
佐野)「音」さんは、堀川北大路を上がった東側にある店ですよね。シャッターが面白い店ですよね。婦人服も、少し南側のお店でやっておられましたよね。前からよく見かけていたんですけれども、この間、嫁さんがええとこがあるというて、帰ってきました。「子供服の隣の婦人服の店が非常に気に入った。いままでずっとズッカを買ってたけれど、この店に替える」と言うてまして、もしかしたらそこじゃあないかなと思うて。この間、その話があったとこで、今日の話を聞いてビックリしています。偶然というかなんというか。嫁さんがめちゃほめてたんで、また、子供服もすごくいいというので、孫にも是非、買わせていただきます。
細井)よろしくお願いします。ご家族皆さんで来ていただければ全てのお洋服が揃います。
寺田)ご経歴では、京都産業大学を出られて、アパレル、青山商事に勤められて、数値はだいぶ勉強されたということですが、そこから今のお店まで少しジャンプがあるのでそのあたりをお伺いします。
宗田)そうそう。今、年はおいくつですか?
細井)47歳です。
宗田)青山商事には何年おられたのですか。
細井)7年です。
宗田)結婚して子供が生まれたときは青山商事の社員だったんですね。
細井)はい。
宗田)創業は何年ですか。
細井)2001年です。
宗田)それで、今、8店舗を構えていらっしゃる。最初のお店はどこですか。
細井)大津パルコです。
宗田)都合、18年やっていらっしゃる。
細井)そうです。
宗田)ここまで来るのはすごいじゃないですか。
寺田)青山商事で数値を学ばれた方が、子供服を作ろうと思われた動機をお聞きします。
細井)一部上場企業だった青山商事。当時は、アパレル業界ではナンバーワンの会社でした。僕は、人と同じものが嫌いなんです。けれども、青山商事は、同じものが一杯ある会社だったんです。そして、京都の方はあまりご存知ないと思うのですが「キャラジャ」というブランドを扱っているカジュアル部門がありました。今で言えばユニクロさんのような事業の一部なんですが、一年目から、志願してその部門に配置してもらいました。そして、あるとき、28歳の一ブロック長だった自分が、本社の会議で「他のマネすることは止めません」という発言をして、上司の逆鱗に触れるという事件がありました(笑い)。それで、まあ「辞めますわ。ここは自分がいる場所とちゃいますわ」ということで辞めて家に帰ってくると、嫁に「辞めて何すんの。子供二人おるのに何すんの」みたいな話になって、「まあ、何でもできるし」みたいな話の中で、一番最初に行きたかったのがパルスという会社でした。フランフランという雑貨を扱っている高島社長がやってられる会社です。僕は、高島社長の考え方がすごく好きだったので、そこに行こうと思ったんですが、フランフランの最終面接で人事部長さんに「細井さん、納得がいかない会社の指示が出たらどうしますか」と聞かれて「納得するまで説明してもらえたら、誰よりも結果を出します。納得できなかったらやりません」と答えました。すると、人事部長さんから「自分がやったほうがええで」と言われて、「ですよね」と言って帰ってきて、自分でやることになりました。そして、自分に何ができるんやろと考えたら、やっぱり、アパレルが中心かなと思って、東京行って、大阪、京都回って、いろいろ見て、一番、自分が表現できる部分が多いと感じたのが子供服でした。既存の有名な子供服メーカーの製品が、全て同じにしか見えませんでした。いくらでも可能性のある業界だな、自分の思っていることを表現できるなと思って、子供服に取り組むことにし、自分の子供に自分が思っている面白い服を着させてやったら面白いよな、というところからスタートして、予想以上に売れました(笑い)。
大島)ありがとうございました。最初に、カタログを拝見していると、ユニークなネーミングの服がありました。それで、デザインとかネーミングはどういうプロセスで作っておられるのか教えて下さい。次に、私自身の経験ではファッションに対する自我が目覚めてくるのは、小学校の4,5年位だったかなと思います。ただ当時はあまり選択肢もなかったということもあると思いますが。「音」さんの場合、子供が自ら服を選んでいるのか、親が子供に着せたいと思う服を選んでいるのかどちらなのでしょうか。子供にとっては、ファッションで自己表現をしたいという欲と、皆と同じものを着ることによる安心感の両方があると思うのですね。「音」さんの服を選ぶにあたって、子供が自我の表現として選んでいるのだとしたら、時代が変わっているのからなのかと思いますが、そのあたりはどのように考えておられるでしょうか。最後に、今の時代、選択肢も増えて、いろいろなところから服を選べるという中で、「音」さんは、服のデザインやネーミングなどが評価されているのか、ファッションショーなどのアクティビティーなどお店が提供するサービスで支持されているのか、どういう戦略をお持ちなのかお聞かせください。
細井)まず、ネーミングについてです。全部の話題に共通するかもしれないのですが、スタッフ全員に伝えている私の生き方ですが、「商は笑にして勝する」という言葉はご存知でしょうか。このことを常にスタッフに伝えてきています。「笑う門には福来る」とうことと同じような感じで、とにかく面白おかしくすることを大事にしています。スタッフが笑っていたらお子さんもお客さんも笑ってくれるとか、お客さんが笑顔だからお子さんも楽しくて、そこで勝つというイメージですかね。とにかく、面白おかしくやらな損やぐらいの感じでやっています。ですので、ネーミングに関しても、ふざけているわけではなく、少し、その先が見えるようにしています。例えば、「木曜日の○○」とか「月曜日の○○」など、曜日をテーマにしているものもあります。そして、なぜ「月曜日」なのかというと、「なんで月曜日なんですか」と聞かれることが商品説明の切っ掛けになります。というのが一つです。とにかくアミューズメント性を持たせたり、その商品の一つ一つに対して物語を作っていくことを重要視しています。今回の「オクノ」というブランドの場合は、紫野を逆から読むと「ノキサラム」になります。そこで「ノキサラム」という町を勝手に作って、その日本人街で過ごす斉藤さんちの日常みたいな話からワークショップを作っています。お客さんには「ノキサラム」という町があるじゃないですかという話をするわけです(笑い)。その「ノキサラム」の町の斉藤さんのところのお嬢さんが・・・・という世界観を作っていくことによって商品自体が表情を作っていくということをやったりしています。
自我についてですが、服を子供達自体が選んでいるかというと若干微妙なところではあります。ただ、服に対する傾向というのは3歳くらいからはあって、ああいうんが好き、こういうのが好きというのはあります。何よりも、試着をしていただいた時に母親が喜ぶのを見るのが自分の喜びになっています。お母さん、お父さんが喜んでいることが嬉しいのです。服を選ぶという感覚ではないのかもしれないのですけれど、母親が着て欲しいという服を着て、母親が「似合うやん。○○ちゃん」と言っている服が子供にとって一番似合う服になっているんではないのかなと思っています。
戦略としてファッションかアミューズかということは考えたことがありません。でも、そもそもはファッションからスタートしていると思うんです。子供服業界というのはちょっと変わった業界で、大変な数のイベントが開催されています。豆まき大会なんか大人服業界でやっても受け入れられませんが、キッズだからこそできるというようなことが多々あって、365日イベントが一杯あります。入学、卒業、お花見、イースタンなどいろんなことをやっています。アミューズメントについては「商は笑にして勝する」と申し上げたように、楽しませたいという気持ちはすごくあります。なにかサプライズを起こして商売をやっていくという感覚ではないですが、外から見るとそうなっているかもしれないです。
杉本)私は、十数年前に第1号店の大津パルコのお店で子供Tシャツを買わせていただきました。名前のTシャツでした。そのことを思い出していました。嫁が、どこかで「音」さんのことを聞いてきて買い求めました。すごくいいTシャツでしたので2回くらい着させて、残しています。子供が結婚した時にでも、会場に飾って「こんなん着てたんやで」と言って、プレゼントしてやろうと話していたのを思い出しました。青山商事を辞めて、子供服を始められた時に、どのように商品情報を発信していかれたのかお聞きします。それから、第1号店は大津パルコの中でも端っこの方だったと記憶しています。また、その後も葛川とか豊郷など、そんなに人が大勢来られるような場所ではないところでお店をやられているのですが、何故なのかお聞きします。
細井)お店の情報の広め方については、正直、そんなに戦略的に考えたことがありません。必死に売ることしか考えていない人にはできないだろうなと思うことをやっています。例えば、買っていただいたTシャツでも、たまたまテレビ局が目を止めていただいたり、葛川も専門誌に掲載された記事をみたテレビ局が何件か来ていただいたりしました。面白いことをやっているなという目でお客さんが見ていただいたのと同じように、マスコミにも見ていただけたので、それが広がっていくきっかけにはなっているのかなと思っています。今回、5月1日で令和に改元されることから、5月1日から7日まで生まれた全国の子供さん全員を対象に、弊社の手描きロンパスを無料でプレゼントというイベントをします。今、日本の出生率では、一日平均3千人が生まれていますので、合計2万1千人が対象になります。大体1億円の経費ということになります。1億円あげちゃうキャンペーン、どこかで聞いたことがありますが(笑い)。実際は、そのうち3%くらいの方が応募してこられると想定し、その3倍くらいのご注文を頂けるのではないかとも考えています。でも、根本の考え方は楽しもうということです。
二つ目のご質問のあまり良い場所に店を構えていないということに関してですが、堀川通に出店するときも何で四条河原町ではないのとよく言われました。でも、1等地は要らないんです。弊社は子供達とわいわいがやがやしながら楽しんでもらう接客をしていくスタイルなので、弊社にとっての一等地というのは一日10人位来てくれるところです。一人のスタッフが一日に3客から4客、接客してくれればそれで終わりというところが一番良いお店です。ですので、弊社のあべのキューズモール店もその館内ではなくて、少し離れたところに出店させてもらっています。リーシングされる方に「ここでいいんですか」と言われ、「ここで良いので、その代り、家賃を安くして」と言いました。1等地に出店して瞬間的な売り上げが上がるかも知れないけれども、そのかわりに接客の質が低下するのであれば意味がないと考えています。ある程度、暇なところで、ある程度お客さんの数が読めるところに出店しています。先ほどの佐野様のご家族にご来店いただける、そういう顔の見える商売ができるところが、弊社にとって一番良い場所だと思っています。
岡本)私も。子供が小さい頃に、子供服に良いのが無いなと思って、自分で作っていました。親にとって、子供服の素材とか縫製はすごく気になるんですが、そのあたりはどのようにされているのでしょうか。また、「音」さんのところで売られている洋服は全部エンドユーザーさんがデザインをされているのでしょうか。
細井)カタログに掲載させてもらってる商品に関しては全て弊社のデザインです。デザイナーが4名いまして、それぞれのデザイナーが別々のブランドを持っています。「オクノ」「ホソ」「ミチ」「コアラ」の4つです。けれども弊社は元々、セレクトショップだったということもあって、お店に来ていただくと、カタログに掲載されている商品の3倍位の他のメーカーから仕入れている商品も並んでいます。
それから、弊社のオリジナルな商品に関しては、その生地は和歌山で生産しています。吊り編み機という織り機を使っています。色々な縫製技術がある中で、子供達が来ていてもクタラナイことと、嫌がらないことを条件に選びました。私自身、昔、真綿の布団を引きずって歩いていました。真綿の布団ですごく柔らかいものでした。それも和歌山の高野口で作っていました。気持ち良すぎて、それが無いと寝られないというものでした(セーフティーブランケットといいます)。そして、たまたまなんですが嫁の家が真綿の布団を作っていて、これも、たまたまですけど、義理の父が一番最初にもらってきた機械がタイナカファイルという高野口では超有名な新幹線のシートとか国家議事堂のシートとかを作っている会社の機械でした。その人から数珠つなぎで紹介してもらって、フリースとかコットンなど、ほぼすべての生地を和歌山から仕入れています。ですので、弊社の製品は、世の中に流通してそうに見えるけど少し違います。そんなところに何で手間をかけるのかと言われます。義理の父親が真綿の布団を作っていたご縁で弊社しか仕入れることができない生地を入手することができるので、和歌山の生地にこだわっています。縫製もほとんどが国内です。オリジナル商品の95%は国内の縫製です。日本で流通している衣料品の国内生産比率はどれくらいだと思われますか?(5%くらい?)。すごいですね、普通、20%くらいと答えるのですが、3%です。3%しかありません。ですので、安心、安全のご提供はできていると思います。
宗田)綿製品が多いのですね。
細井)そうですね。でも、ポリエステルのフリースなども扱っています。
寺田)お店を繁華街でないところに構えるということは分かりましたが、何故、堀川通りのこの場所だったのでしょうか?
細井)住んでいるのは滋賀なんですが、京都産業大学出身で、この辺りには土地勘がありました。この店を最初に見つけた時も、近所にある冷やし中華のサカイで食事をして帰る途中でした。空き物件という看板を見つけたのです。その時は通り過ぎて、1週間後に、その店の前から仲介をしていたフラットエージェンシーさんに電話をしたんですが、その時は「うどん屋さんに決まりました」というお返事でした。その2~3週間後に取引先の社長と京都に遊びに来た時に、北に向かって車を運転しながらこの店の前を通って「ここ、良い店があるんですけど、もう決まっているんですけどね」と言ったら、その社長が「えっ、空き物件て書いてあるで」と言ったんです。それで、Uターンしてその店の前から、またフラットエージェンシーさんに電話したら「そことの契約が無くなった」ということだったので、すぐに借りますといいう話になりました。この「音」の店も、その6軒南隣の婦人服の店もそうなんですが、空いたら良いなと思っていたら、全部、空くんです。そういうシステムになっているんです。葛川の店も、大学生の時に学校帰りに地元の良く分からないものを売っていたなと思っていたら、たまたま、貸物件の看板が立っていました。
寺田)今後の話ですが、もっとお店を増やして全国制覇を目指されるのか、そうではないのかお伺いします。
細井)全国制覇は、弊社としては狙いません。弊社は、私の子供が3歳くらいの小さい時から始めているんですが、このファッションの情熱とか思いとかは、通じる人たちにしか伝わらないと思うんです。ですので、弊社として全国制覇を狙うという形ではなく、細井が考えたものが、先ほどご紹介したスタッフたちが自分の個性を加えて、少しずつ変えていったもので、広がっていくと嬉しいなとは思います。ただ、それもどういう風になるかは分かりません。まずは、店の規模を大きくするということが目安ではなくて、自分たちができること、自分たちが思っている空間、環境を作っていくということを無駄なく無理なくできるだけやっていくという風には考えています。
宗田)「子供達の過ごす環境を精神的に豊かに」という言葉がすべてを語っていると思います。なにが精神的に豊かかと言ったら、美しいと感じる、素敵だなと感じることなんだと思うんですね。さっき仰った親御さんが子供を好きになる服、そして、子供もお父さんお母さんがすごく喜んでいると姿を見て喜ぶ、そういう感動を見たい、演出したいと思っておられるんでしょうね。すごい問題提起をしておられると感じています。工業化社会におけるアパレル産業というのは、皆が同じものを着るということでした。われわれも、皆が背広を着ているから背広を着てるけれども、ほんとにこの背広が好きかと聞かれたら、そうではなく、量販店が提供している背広を買って満足しているんですね。けれども、今、断捨離ということが言われていて、タンスにある服を触った時に感動するものだけを残しておけと言われています。さらに、フランス人女性は、服を5着しか持たないとか言われています。そういう目線で見ると、エンドユーザーさんは、ファッションの楽しみ、本当に服ってこんなに人生豊かにできるんだ、感動できるんだよということを子供に伝え、親と一緒に経験したいという文化を売っておられるんだと思います。服を売っているのではなくて、着るということの楽しみ、美しさというか、そういう感動を見たいという思いでやっておられる。これを、少し解説すると、薄利多売で大きな店を構えて全国制覇をして、利益率ではなく数で勝負するというのが、量販店のビジネスです。その逆で、高利小売で、少ししか売らないけれど利益は大きいというビジネスが始まっています。その場合、感動が大きいから、高くても買うんです。この店でなければと思うから、エンドユーザーさんの固定客になってくれる。これからの人口減少社会で、経済が小さくなっていく中でも、絶対、生き残るビジネスモデルだと思います。細井さんは賢いから、若干20歳代にして、量販店のビジネスモデルが破綻するということ直観されたんだと思います。直接的には好き嫌いで判断されたということなんだけれど、1995年に生産年齢人口が減少に転じて、バブル崩壊などもあって、薄々感じておられたとは思いますが、人と同じものを売ることが嫌だったとか、皆が着るから着るとかということは違うのではないかと思われたんでしょうね。御社は、素材に触っても気持ちがいいし、ちょっと着せてみたら気持ちがいいという商品を精神的に豊かだとか感動するという文化として売っておられます。これは子供にオシャレをさせて、記録にとどめ、それを見るという子供写真館と量販店の間にあって、感動とかファッション、美しいという本質をついているところがあると思うんです。私も、イタリアでの暮らしが長く、その後もヨーロッパとの行き来が続いた90年代、子供が小さかったので、イタリア製とかフランスのシリウスというブランドの子供服を買って帰るのが楽しみだったんです。今、日本にそういう行動が売る側にも買う側にも徐々に出てきて、西陣のような町のなかで生まれてくるんですよね。エンドユーザーさんは、独特のデザインとオーガニックな素材ですごく上手に新しいビジネスモデルを作っておられると思います。この種のものが生活産業としてファッションにも行くだろうし、食にも行くだろうと思います。こういうことが、まさに町家や西陣の町が似合うんだなと思っています。先駆的であり、素晴らしいことをやっておられると感動しました。ありがとうございました。
寺田)エンドユーザーさんのお仕事を西陣のまちづくりやこれからの地域産業、生活産業の在り方に引き寄せて、解説していただきました。西陣R倶楽部の本質でもあったかと思います。最後に、大きな拍手で細井様に感謝をしたいと思います(拍手)。