第4回 西陣R倶楽部 話題提供 -京都 おはりばこ-

第4回西陣R倶楽部
話題提供 株式会社北井「京都 おはりばこ」代表取締役 北井 秀昌氏
日時:平成30年6月18日(月)午後7時20分~午後8時15分
場所:TAMARIBA

株式会社北井の北井秀昌と申します。大徳寺さんの向かいで「京都 おはりばこ」というつまみ細工の店を経営しています。つまみ細工というのは、舞妓さんの花かんざしに使われている技法です。私は、職人でもあり、店主でもあり、経営者でもあるという立ち位置で仕事をしています。今回、どのようなお話しをしようかと考えましたが、私はこれまで5軒の町家に移り住んできた町家マニアですので、専門家ではなく、住んできた立場から町家についてお話しさせていただき、合わせて商売の話をさせていただきます。
まず、私のプロフィールをご紹介します。1979年に京都市北区の西賀茂に生まれました。祖父は七本松出水で小さな生糸を扱う西陣の商売人でした。糸の加工を扱っておりましたので、髪飾りを作るようになり、そこからつまみ細工に特化するようになったと聞いています。私自身、学生時代には、バックパッカーをしており、お金を貯めてはいろいろな国に行っていました。そのときに日本の文化の面白さに目覚めました。京都に住んでいると何も気付かないのですが、海外に行くと海外の人から自分が京都について何も知らないことを教えていただくという経験をしました。海外の方は、自分の国やまちのことを良く知っており、自慢話をしてくれるんです。当時、私は日本がそんなに好きではなかったので、海外の街は良いところだなと思っていたのですが、そういう話を聞いて帰国して改めて京都を見てみると、こんなに文化的に豊かで技術も盛んですばらしい街は無いのではないかということに気付かされました。そこから一気に和の世界に傾倒していって、天神さんの縁日で入手した着物に草鞋履きで旅をするなど、自らのアイデンティティーを着物に求めるようになり、その頃から、いつかは着物で生活したいと思うようになりました。

これが、大徳寺の門前にあるうちの店の写真です。昔、イチマさんというお寿司屋さんだった建物です。現在、こんな感じで簪を作って陳列しています。卒業式の髪飾りや花嫁さんの髪飾り、七五三の髪飾りなど、人生行事のハレの日の髪飾りを中心に扱っています。皆さんそういう機会がありましたら、機会が無くても結構ですのでお店に遊びに来てください。

パリから帰ったときには伏見のアパートに住んでいましたが、友人と3人でシェアハウスをするために、そのアパートを引き払い、フラットエージェンシーさんにご紹介いただいたハイツレイクサイドに住むことになりました。今から18年前、五山送り火の一つの舟山の麓の尺八池の畔でした。そこから、私の着物生活が始まります。とにかく着物は着ていて楽で、家にいるときの部屋着は常に着物という生活になりました。そして、着物が似合う生活をするためには何が必要かと考え、考えついたのが町家でした。次に着物を着て出来る仕事は何かと考えました。のんきなものです。当時、実家の仕事は、和小物の製造卸をしていました。小さな会社で、無くなった父の後を継いで母が社長をしていました。家内制手工業で、実家の1階が工房でした。この仕事は和物に携わることなので面白いのではないか思いつきました。恥ずかしながら、それまでは家業のことはよく分かっていませんでしたが、よく見ると簪などを作っていて、これをネットショップで売れば面白いのではないかという単純な発想でネットショップを立ち上げました。バックパッカーをやっているときにお金を稼ぐ手段として海外で楽器を買って日本に持ち帰り、ヤフオクで売っていたのでネットショップのノウハウを身につけていたのです。和小物については、欲しいと思っても手軽に買えないので、これはいけると思ってネットショップを立ち上げました。当時は、ビギナーズラックというかライバルが少なかったのでうまくいきました。このままの勢いで実店舗を立ち上げようということになってお店を立ち上げたのです。お店を立ち上げる際に、町家に住みたかったので、町家をお店にするためにはどうしたらよいかと考えました。そこで、町家のことを色々と調べていくと、町家は商売するには便利に出来ているんですね。まず、町家は一棟で借りるので部屋数が多く、スペースがあるので思うように仕事が出来る。町中の路面店を諦めて、最初のお店を千本廬山寺を東に入った所にしました。2003年のことです。そこの織屋建ての町家を貸していただきました。その町家は昔のママの状態で、通り庭やオクドさん、水屋、井戸、箱階段などが残っていました。当時の写真を探しましたが町家の特徴を撮影した写真ばかりで、お店の写真はほとんど有りませ。ここでは、1階の表をお店に、機場(はたば)だった奥をネットショップの事務所にして、2階を居住スペースとし、職住一体の生活が始まりました。店長として、堂々と着物を着て接客できるようになったのです。着物を着て町家生活したいと思ってから1年で実現することが出来ました。このときから、ほぼ毎日着物を着て生活しています。けれども、入居してからたった1年半で大家さんから売りに出すので退去して欲しいという申し出があり、移転を余儀なくされました。雑誌にも掲載され、お客さんも増えてきてこれからというところだったのですが、やむを得ず退去し、2軒目の町家に入居したのが2005年のことです。1軒目よりお店らしくなっています。この町家は現存しており、大徳寺通を上がり、大徳寺の総門をさらに北に行ったところにある織屋建ての町家です。ここでも、2階で寝起きをして楽しい町家暮らしでした。この頃から、付近の町家がどんどんと解体され、跡地がマンションや分譲住宅になっていくのです。それを見て、どうしたら町家が残せるか考えるようになりました。一方、少しずつ仕事も大きくなり、従業員さんも増えてきたので、ネットショップのスペースを新大宮商店街に新たに設けた工房に移転させました。そして、住まいと体験スペースとして住居専用の町家を探し、フラットエージェンシーにご紹介いただいたのが、北大路を挟んで大徳寺の向かい側の路地奥の平屋の町家でした。これが3軒目の町家です。今から10年くらい前のことです。この町家にはエアコンもお風呂もなく、銭湯に通うという実に昭和な生活でした。毎日、国登録文化財の船岡温泉に通っていました。こんな贅沢なことはありません。ウナギの寝床を利用して、仲間で流しそうめん大会をしたりして遊ぶなど、楽しい町家暮らしでした。当時、付き合っていた彼女と結婚することになり、新居はその町家です。エアコンも風呂もない家に引っ越してきてくれるなんて、この女性、相当やなと思って結婚を決意しました。でも、流しで髪の毛を洗わせているのはさすがにつらいということで、上京区のとある路地の表通りに面している2階建ての町家に引っ越しました。敷地は狭かったのですが、部屋数はあり、ユニットバスも付いていました。そこで子供が出来、路地の皆さんに可愛がっていただき、町家暮らしというのは家に住むだけでなく、その町に住まわせていただくことだということを実感しました。友禅の職人さんも住んでおられ、仕事もされているんです。ご近所なのですが、本当の家族のような町家暮らしを満喫しました。その頃から、町家を自分で買いたいなと思っており、やっと自分の求めていた町家にぴったりのものが見つかりました。今の店の近くの幅員4メートルの路地の奥にあり、子供を遊ばせられる路地奥という好条件の町家です。ここも織屋建ての町家で、ほぼスケルトン状態でした。リノベーションするには好都合で、町家の空間を生かしながら好きなように改修しました。機場を居心地の良い吹き抜けの京間の20畳余の部屋にしました。これが5軒目の町家ということになります。そして、2016年12月に6軒目の町家となる現在の店舗に移転しました。今の店舗は、鉄骨造ですが、その庭を挟んで奥にある離れが町家です。諸説あり、真贋は定かでありませんが、一説によると、この離れは、その昔、大徳寺のお坊さんの隠れ世帯の住まいだったということです。このお店はフラットエージェンシーさんにご紹介いただき、その改修工事もお世話になりました。そして、この庭は、知り合いの庭師さんと一緒に自分たちの好みの庭を一から造りました。石を触ったり、しだれ桜の高木をクレーンで入れたり本当に大変な作業でしたが、荒れ果てた庭が綺麗に生まれ変わることが出来ました。以上が私の町家遍歴ですが、如何に町家を愛しているかわかっていただけたかと思います。

ここからは、町家が如何に小規模事業者に適しているかを力説させていただきます。最初に町家の特徴ですが、①職住一致(特に織屋建ての場合、機場は大変使い易く、作業場やコミュニティスペースなど多様に使え、そこを活用した様々な業態が可能です。表を店に、奥を事務所に、2階を住まいにすると、生活に必要なスペースを全てまかなうことが出来ます)、②クリエイティブな環境(基本的に躯体から室内まで大工さんの手作りです。今は手作りのものはほとんど無く、その価値は高く、梁や柱など大工さんの仕事の痕跡を見ているだけで刺激を受けます。残るべき物が残っており、100年以上残っているものはそれだけの力が有ると思うのです。ものづくりに行き詰まり、ぼーっと梁を見ている。そうすると、また、新たな発想が生まれます)、③京都ブランドという付加価値(嫌らしい話ですが、町家というだけで勝手にブランド価値が付いてきます。私の場合、ブランド価値を求めて町家に住んできたわけではありませんが、結果的に付いてきました。町家というだけで、いろいろと言っていただいたり、マスコミなどに取り上げていただいたりしてきました。今は、あまり珍しく無くなったかもしれませんが、それでも京都以外の人は町家を評価してくださる。現在、店舗の町家ではワークショップや教室を開催していますが、通常の建物でつまみ細工の体験をしてくださっている以上の価値を感じてくださっているように思います)。以上のように、町家には我々のような小規模事業者が新たに商売を始めるにあたり必要な機能だけでなく、おまけの付加価値も付いてくるので、小さな事業者がスタートアップするのにふさわしい空間だと思います。

離れの町家で新たな事業を検討しています。第一は、宿泊事業です。もともと、この店舗に移転する際には、離れを旅館業法に基づいた宿泊施設を新たに立ち上げるという計画の元にお借りさせていただいたのですが、建築基準法の規制により、一敷地一建物の要件を満たさないということで断念しました。けれども、6月15日に施行された住宅宿泊事業法に基づく民泊が出来るようになりました。民泊は、まだまだ市民権を得ていませんが、周辺住民のご理解を頂きながら法律に則してきちんと運営するならば、これまで出来なかったことが可能になります。ここでは、体験型民泊を立ち上げたいと思っています。さまざまな切り口での体験を検討しています。一つめが、つまみ細工を体験していただくことです。商品としてのつまみ細工だけではなく、その技法やストーリーに触れていただくことでより理解を深めていただいたり、初体験の方にそのすばらしさを理解していただきます。工房の見学・実演、あるいは体験を通じて価値を知っていただくというサービス提供します。1階でワークショップや体験ができ、2階で宿泊するというスペースになります。また、工房で実際に職人が作業をしている場面を見ていただきます。通常、この工房見学は行っていないのですが、宿泊された方には特別に工房を見ていただき、実際にどのように出来ているのか見ていただきます。工房見学は、ものづくりをしている側からすれば、散らかっているし、舞台裏を見られているようで、本来やりたくないものです。けれども、私自身、新しい店をオープンするときにレセプションを行うのですが、酒食の提供やひとつまみ体験をしていただいたりしましたが、一番、評判が良かったのは工房見学だったのです。2階の地味なスペースで、フル稼働する前で職人もそろっていないデモ的な工房見学でしたが、それが一番良かったと言っていただきました。普段見ることが出来ないバックストーリーを見ることに皆さん非常に価値を感じていただいたということがそのときに分かりました。今回の宿泊のお客様にもそういう価値を提供したいと思っています。お金持ちだとか学生さんだとかではなく、知的好奇心の高い方をターゲットにしたいと思っています。そういう方に来ていただいて、実際につまみ細工が作られている様子、職人が実演しているところを解説しながら見ていただいて、最後に少しだけ体験していただくいておみやげに何か持っていただくことを考えています。さらに、簪ですが、見ていただくと皆さんに可愛いと言っていただく自信はありますが、「使えないわ」といっていただく自信もあります。この簪は、振り袖に合わせるものですし、結婚式などのハレの日に合わせます。そのような行事が人生に何度もあるものではありません。わざわざ、それを目指してきていただく全国の客様は沢山いらっしゃるのですが、フラッと入って買ってくださる客様はいらっしゃいません。ということで、最近は、つまみ細工を使ってインテリアを目指してみようと発想しています。例えば、花生けに簪を差して飾っていただくということで試作品を作っています。これを季節に合わせて、色々と変えて楽しんでいただくことが出来ます。これによって、今までのターゲットが着物を着る、人生の節目に当たる女性であったものが、ギフトとインテリアというジャンルに入っていくことで大きく間口が広がるのではないかと思っています。こうしたつまみ細工を使ったインテリアで離れの宿泊施設を飾ることで、つまみ細工の合う暮らしを体験していただく、つまり、泊まれるショールームを目指しています。

二つめです。日本の四季を体験していただきます。せっかくの奥まった町家です。ここには四季いろいろなお花が咲くようにしています。桜が終われば芝桜、次は紫陽花、桔梗、秋には紅葉などです。一泊一組限定の宿泊施設です。この庭の景色を独り占めしていただき、また、違う季節にお越し頂くという具合にしたいと思っています。ゆっくり泊まりたいなと思っていただけるような体験を提供したいと思っています。
そして三つめが、ローカルな暮らしの体験を提供したいと思っています。民泊を利用される方は観光地を巡ることよりもローカルな雰囲気を体験することを求めておられる方が多く、徒歩や自転車で地元の人が行くような場所やお店を巡ることを目的に来られています。一日目は観光地に行くのですが、感想を聞くと「人が多かった」という感想しかなかったりします。長く滞在される方ほど、地元を散歩することが刺激的だとおっしゃいます。さらに、町並みがすごく綺麗だと言ってくださったり、こんなお店見つけたよと逆に教えていただいたりします。
実は、昔、自宅で海外のお客様に泊まっていただいたことが何度かあって、色々な方と交流することが出来、色々なことを教えていただきました。その中で、皆さんローカルな暮らしを体験するということを求めていらっしゃることが印象に残っています。その体験も、ホストがしっかりとご案内したり、ご紹介したりするとお客様の満足度は高くなります。常に町は変化していますし、広告に掲載されているお店ではなく、人繋がりで紹介される人に会いに行きたいと思っておられます。

そうしたご紹介や、ご案内、いわゆるアテンドを収益化する方法はいろいろあると思っています。工房を見学しに行くということにお金を払うだけの価値があると考えている方は沢山いらっしゃるんです。だから、物を買っていただかなくても工房を案内してちょっとお土産をお渡しするような体験としてパッケージすることは可能だと考えています。例えば、この店主の好みで作ったこういうお店があるよという情報はすごく喜ばれます。しっかりとコンサルしブランディングされたものではなく、店主の趣味丸出しみたいなお店、そこに対して「うーん、もう一つだったかな」という感想でも良いですし、「めちゃくちゃはまった」と言っていただいたときは、すごく楽しいことになるのではないかと思っています。

そこで、皆様にお願いがあります。皆様の事業で海外のお客様にご紹介できるよというような事業がありましたら、どんなことでも良いですし、是非、教えていただきたいと思っています。店舗を運営されている方はもちろんですし、BtoB向けの事業をされている方でも結構です。結構、BtoBの仕事の接点を求めてこられる方は多いのですが、どこから入ったらいいか分からない。それが、どういう事業でどういうお仕事に繋がるか分かりません。ですので、BtoB向けの事業されている方、ものづくりされている方でも結構です。工房見学や体験、会社見学などなんでもOKだと思います。観光地では体験できないこのエリアを、このエリアに集まっておられる素晴らしい方々を海外の方に紹介したいと思っています。西陣、紫野というエリアは京都一ローカルな楽しいエリアだと海外の人の間で話題になるようにしたいと思っています。このエリアは人の顔が見える町だと思います。お店に入るとその人の顔が見える、雰囲気が分かる、そういうローカルな小さなお店を楽しめるエリアとして、わざわざ訪ねて来ていただけるような町になることを信じています。今回の話を聞いていただいてこんなことが出来るよというご提案がありましたら、是非、お声かけください。私、大抵、店にいますので、是非、お話しいただければと思います。
本日は、お話を聞いていただきありがとうございました。

<意見交換>
寺田)町家がもてはやされていますが、現実的には座る生活は高齢者には厳しかったり、若者には敷居が高かったりします。これに対して、北井さんは若いときから町家大好き人間だったということですが、何が、そうさせたのでしょうかお聞かせください。それから、庭に関心を持たれて、最後は作庭まで手掛けられたとのことですが、何故、こんなに手間のかかる庭作りに取り組まれたのでしょうか、お聞かせください。

北井)昔から古い物が大好きで、高校生の時分から古着を愛用していました。古い物は誰かの手を経て生き残ってきた物なので、すごく魅力を感じていました。10代の頃から天神さんに行って、古道具を買い集めていました。その中で、一番、手の込んだ大きな骨董が町家だったんですね。名品とされる骨董はなかなか買うことは出来ないけど、町家は借りることが出来ます。そして、その中に住むことは、本当に幸せなことでした。生き残ってきた古い物に囲まれる暮らしの安心感。こうした感覚のルーツは何か、私も分からないのですが、気が付けば、古い物が好きで町家の美意識に引かれていました。もしかすると、祖父が西陣の糸屋の町家に住んでいたことがそのルーツかもしれません。感覚的なことなので自分でもうまく説明できません。また、お庭ですが、町家の本などに立派な町家のお庭の写真が掲載されています。日本のお庭の面白さは、華やかではない所にあるのではないかと思っています。わびさびというのか、何かしら物寂しさがあり、その辺にある岩に美意識を感じたりしているところがあると思います。そもそも、庭を作ることはとんでもないことですから諦めていたのです。けれども、町家に住んでいるとそういう人が集まってきます。2軒目の町家に住んでいたときに、物好きな庭師さんが来られて「裏の庭をなぶらせて」といって、勝手に手入れをしてくれるようになったんです。その人と仲良くなって、「金持ちになってでっかい町家を買ったら、一緒に庭を造ろう」と冗談で言っていたんです。そしたら、案外早く、町家が手に入ったので、「もう、ここはやるしかないだろう」とその庭師さんと一緒に庭を造りました。

大島)ありがとうございます。非常に面白いお話しで、熱も伝わってきました。既に20年近く事業を継続しておられるので、町家が好きということと事業が成功するということが良いスパイラルを描いておられると感じました。いくら町家が好きでも事業が成功しないと続きませんが、それを継続されていることがすごいなと思います。しかも、店舗と製造と体験教室と民泊という4つの草鞋を履いておられ、そのバイタリティもすごいと思います。その中でも一番重要なところは店舗と製造だと思います。実際、自社でつまみ細工を製造して販売しておられます。少し、立ち入った質問になりますが、商品は自社だけで製造されているのか、そして事業の中で商品の付加価値づくりをどのようにしておられるのかお伺いします。

北井)弊社で扱っているつまみ細工は全て自社で製造しています。ただ、私が全て作る訳にはいきませんし、弊社の従業員さんだけで作ることも出来ません。いわゆる内職さんという方々に手伝っていただいています。技術力の高い方々ですので、私は、職方さんだと思っています。私が母からつまみ細工を教わったときは、技術を出したくない、一子相伝な感じで扱われていました。けれども、現在は、そういう情報をクローズにすることによって、新しい情報が入ってこなくなる弊害の方が大きくなっていると思っています。どんどん、情報を出していった方が人は集まってくるし、応援してくれる人も多くなります。各工程のエキスパートをしっかりと育てて、それを組み合わせて商品にしています。体験教室事業も、実は作り手さんを育成するために最近始めた事業です。これまでは、作り手を育てるためにはコストと時間の負担を求められました。ある時、教えながらお金をもらえるのではないかということに気付いてしまいました。教室をやれば、お金を頂きながら人を育成することが出来ます。その人達の中からさらに次の職方認定講座をクリアした人にはお仕事を出させていただきますよという仕組みにしようと思っています。教室に習いに来ている人にすると、「お金を払って習っていたのに、お仕事がもらえるの、しかもお金になるの、子供の簪を自分が作れるの、すごく嬉しい」と思っていただけます。実際に教室をやってみると、水曜クラスと土曜クラスの内、土曜クラスの方々はほとんど京都以外の方です。月に2回開催しますが、神奈川、静岡、長崎、大阪、滋賀など遠くから来てくださっています。そういう方達にしっかりと教えています。その人達は「職人になりたい」とおっしゃっています。すでに作家活動をされているのですが、職人になりたいと教室に来られています。すごく嬉しいことなんです。そういう方々にお仕事を出せるようになります。さらに、ネットで通信講座を始めています。ユーチューブを使った配信事業です。それをやることによって、教室に来たいという人を育てます。職人の世界は後継者難です。一子相伝でもなければ、内弟子という時代でもありません。せっかく育ててもすっと辞めていきます。そのため、私の技術を分解して、各人毎に割り振ってそれを総合化するようにしていきます。そのことによって、職方の育生も早いですし、職方が辞めるリスクや仕事の増減のリスクにも対応できていくので事業の成長も見込めます。

大島)そういう意味では、体験型の観光が流行っていて、お金を払ってゲストハウスの受付を体験することなどが求められる時代になっているのでなるほどなと思いました。ということは出口としては舞妓さんも含めて、消費者はまだまだ沢山いるということなのでしょうか?それなら心強い現実だと思ったのですが。

北井)やはり、着物の需要というのは完全に先細りです。右肩下がりが続くばかりで、着物を着る人口を増やそうとしていますが、正直言って難しいと思います。ウチは振り袖に合わせて髪飾りを扱っていますが、今年、「はれのひ事件」という致命的な事件も起こりましたし、さらに成人が18才に引き下げられるなど、これからどうなるか分からない状況です。だからこそ、つまみ細工という技術を他のものに使えないかと考えています。つまみ細工の本質は何かというと、ひとひらの花びらまで分解出来ることだと思います。それは何のために存在しているかというと、飾るためであって、これまでは、その対象が髪飾りであった。それを空間を飾るものに転用することも出来ます。そうすると空間を飾りたい人が全てお客様になるわけで、髪飾りは着物を着ていて髪を飾りたい人だけがお客様です。それをインテリアやアートなどに転用することによって、空間を飾ることで、一気にお客様が広がっていきます。けれども、髪飾りは止めません。髪飾り屋だと言い続けたいと思っています。絶滅しかけている日本髪の髪飾りの新作も発表し続けていこうと思っています。それは、自分たちが髪飾り屋だという矜恃を持ち続けると同時に、技術力を発露するためのものです。実際に収益を考えるときには、つまみ細工という技術を使ってどういう商品に転用できるかを常に考えています。髪飾り屋だけでは生き残っていかないと思っています。

下岡)ウチは、京町家の宿やをやっていますが、いつもお客さんに「おはりばこ」さんを紹介しているのですが、なかなか、お客さまの足が向かないという現実があります。理由は、女性向けのお店だからなんです。だいたい、カップルで泊まられます。女性も男性に遠慮をされるのか足を向けていただけません。そういう意味では男性向けのつまみ細工の商品とか教室などは検討されないのでしょうか?

北井)そこは、よく言われるところなので、いろいろと考えております。先日も、お客様から、ブルトニエール(ラペルピン?)というのですか、スーツに付ける飾りを作って欲しいというオーダーを頂きました。これからお作りしてお収めします。やはり、原点に立ち返って、飾る物、男性を飾る物、例えば、ハットピンですとか、タイピンですとか、お洒落なスーツを着た際に飾っていただけるような切り口で考えていますが、なかなか、男性用の物はこれだというものが見つかっていません。

大島)蝶ネクタイどうですか?欧米の方は、正式なパーティーなどでは、蝶ネクタイを着けられますよね。

北井)つまみ細工で出来た蝶ネクタイ。可愛いですね。ありがとうございます。

田端)兄は、日本の武道の体験教室を行っているのですが、そこは男性がメインで、ウチは刀とか骨董とかも売っているのですが、やはり、そういう文化に触れた後にそれに関連する物が欲しいというニーズが高いと思います。そういう意味では、なにかのお稽古に関連する商品。例えば、お茶に心引かれ方に向けてお茶碗を飾るものとか考えられないかと思います。男性でも心引かれるものがたくさんあるのではないかと思うのです。これに引かれたと思われた方に、関連する物につまみ細工が生きるんですという提案が出来れば良いと思います。日本人は、そういう要求に応える能力、海外からの文化を日本で深めて日本の文化にしてしまうという能力が高いと思います。海外の方が引かれていることがらを把握すると、これに関連した物をつまみ細工で飾ることも出来るのではないかと思います。私も骨董という古い物が今に如何に生きるかということを常に考えています。私は、舞妓をしていたのですが、つまみ細工の簪がすごく好きでした。月々に花を変えて、その時々を切り取って一瞬を楽しむという文化に海外の方は引かれるのだと思います。京都の人は伝統に恵まれすぎて気付かないことも有るのではないかと思います。伝統を伝統のまま、受け継ぐのではなく、海外の方や京都以外の方の方が伝統の価値を評価されているので、そういう方々の意見を聞くことによって良い物が残ることに繋がると思います。そういう意味では、こういう交流の場で意見を交換することはすごく大事なことだと思います。私も、これまでは家族の中でしかこうした意見交換は出来なかったので、この場に参加出来たことはすごく嬉しく思っています。

北井)お客様が答えを持っていると常に思うので、迷ったときには耳を傾けたいと思っています。ですので、宿泊をすることによって、宿に泊まりに来られたお客様といろいろお話しする中で、どういうものが欲しがられるか見つけていくことになるのかなと思います。

三浦)大変に勉強になる話を聞かせていただきありがとうございました。私はリビング京都という生活情報誌を作っていまして、どうしても仕事関連のお話しになりますがお許しを頂きます。私の新聞にはいろいろなお店の広告が載っていまして、どうしても広報的なことが気になります。先ほどのお話で、雑誌に取り上げられたりしたとお聞きしましたが、長く事業を継続される中で、何度も雑誌で取り上げられる機会があるものか、それとも、ご自身で情報を積極的に発信していくことが多いものか、広報戦略をお聞かせいただくと嬉しいです。

北井)お店を立ち上げたときにはそういう広報活動ということは全く知らなかったので、とりあえず、お手伝いいただいた建築士の方から人づてに紹介していただくところからスタートしました。一度、メディアに掲載されると次々と取材に来てくださるようになって、こういうものなのかと思いました。それでも、私も30才を過ぎる頃から広報というものをしっかり勉強しようと思いました。最近はプレスリリースをしっかりと出すようにしています。レセプションのときもマスコミの方と一般のお客様の時間を分けて、先にマスコミの方に時間を設けて、しっかりと取材を受けるということをしています。新しいものが出たときは、ダメ元でもとりあえず、プレスリリースを行った方が良いというアドバイスを頂いています。それをすることで少しずつ記憶に残っていくというのです。それ以降、積極的にプレスリリースは出させていただいています。加えて、やはりネットでの広報です。私は、インターネットが大好きなんですね。アナログのようで結構デジタルな人間なんです。ネットでSNSを使って広報していったり、そこから、いろんな人に取材に来ていただいたりということもあります。職方さんの募集に関しては全部、リビング京都さんにお願いしております。非常に費用対効果が高い媒体です。

森)町家の魅力がどこにあるかという話なんですが、僕が思ったのは、どんな人も本物にはひかれるんではないかということです。外国に旅行に行ったりすると、その街がすごく魅力的に見えるのは、目新しいだけではなく、自国の本物をすごく大切にしているからだと思うんです。一方、日本は外国の文化を取り入れることは上手で、模倣する文化は長けていると思います。その中で、日本の本物としての町家に魅力を感じるのではないかと思いました。僕の仕事をするスタイルとしては、商売を上手くやっていって、仕事を上手く回していくというよりは、作家として、ものづくりをメインにしていこうと考えています、今日、お話しを聞いていて、仕事として成功していくためには色々と考えていかなくてはいけないなということがすごく印象に残りました。僕は、一ものづくりの作家としてやっているので、良い物を作っていったら結果は後から付いてくるのではないかと思っています。僕は器用ではなく、不器用さが僕の価値となっていて、僕に仕事を頼むと1年待たないといけない。なかなか出来てこないけど、完成を待っている時間も楽しいと思ってもらえる方がお客さんになっていただいています。人ぞれぞれのスタイルがありますが、付加価値をどこに求めるかという自分のポイントみたいなものを自覚することがうまくいくことに繋がるのかなと思いました。質問というより感想になりました。

寺田)まだまだ、お話しは尽きませんが、この後の懇親の場に委ねることとし、一旦、中締めとさせていただきます。