第5回 西陣R倶楽部 話題提供 CIRCUS COFFEE

第5回西陣R倶楽部
話題提供 株式会社CIRCUS COFFEE 代表取締役 渡邉良則氏
日時:平成30年6月18日(月)午後7時20分~午後8時20分
場所:TAMARIBA

普段のコーヒー講座等のお話しと勝手が違って少し緊張しています。今日はサーカスコーヒーがどうやって出来てきたのかということと合わせて、僕の経歴とお店の経営の状況についてお話しさせていただきますので、よろしくお願いします。

サーカスコーヒーはコーヒー豆の販売をしている店で、場所は北山大宮の北西角にあります。昔は、日本茶の販売をされていたお店でした。開業は、2011年12月で、7年目になります。業態としては、コーヒー豆の販売店で、焙煎して販売しており、カフェのようなドリンクの販売は全くしていません。自宅店舗という形で店をしており、保健所の許可の関係もあってそのような業態としています。よく「何故、カフェしないんですか」と聞かれますが、僕はコーヒー豆の販売というお店をしたかったのです。コーヒー好きの方は、それぞれがお持ちのレベルや求めておられるコーヒーの品質とかが違うので、そういう人達に丁寧に説明する必要があると思っていました。カフェをしてしまうと、そちらに手を取られて、しっかりと説明が出来なくなると思って、あえて、カフェは止めて、コーヒーのことをしっかりと伝えることが出来るコーヒー豆の販売店という形にしました。
独立当初は、既に子供が3人いましたので、家計の面でリスクが少ないようにお店は僕が一人でやって、妻は外に働きに行って貰いました。お陰様で、開業から3~4年してお店も忙しくなったので、二人で店をするようになりました。

こうしたロゴをつくって、お店の内部はこんな様子で、お客様の要望をお聞きし、店内に置いている焙煎機で焙煎してご提供するというスタイルで仕事をしています。
「CIRCUS COFFEE」という名前の由来なのですが、これも良く聞かれます。結構、思い入れを持ってこの名前を付けました。僕もカフェが好きで色々なカフェに行っていたんですが、なかなか覚えられないかっこいい名前が付いているお店が少なくありませんでしたので、覚えやすい名前が一番良いと思っていました。そこで、色々と考えて、和製英語になっている言葉の中でサーカスという言葉を調べていくと、「人が集まる」とか、「人が集う」というサークルという言葉の派生語だということが分かりました。お店自体も世代を超えていろんな人が集まってくれる場所であればいいかなと思ったことと、美味しいコーヒーがあれば人が集まる。サーカスのコーヒーを買って帰って家族が集まってコーヒーを囲んで話が出来るという時間を作って貰えたら良いなという思いがあって、サーカスコーヒーという名前にしました。
コーヒーに関しては僕が担当していまして、品質の高いコーヒーを選んで、焙煎してブレンドして、地元の人達に単純に美味しいなと思ってもらえるコーヒーを作っています。コーヒーは今、ブーム的な所があって、○○農園等という非常に専門的なコーヒー店もありますが、もう少し気軽に飲んでもらえる専門店でありたいなと思っています。コーヒーにも地域の嗜好性があり、東京の豆の味、九州でこの豆、大阪でこの豆、京都でこの豆、それぞれ違いがありますが、僕が元々育った地元の味を、余り難しく考えないで、美味しいなと飲んでもらえたらなと思っています。パッケージなどのデザインは妻が担当しています。コーヒーの専門店というのは普通の人にはすごくハードルが高く、普段、コーヒーを飲まない人はもちろんですが、飲む人でも専門店に入るのはなかなか勇気がいると思います。そういう難しいお店ではなく、毎日飲むコーヒーとして消費してもらえるように、女性が興味を持ってもらえ、ワクワクするようなパッケージ、器などを妻がデザインをしてくれています。肉は肉屋さんに野菜は八百屋さんに行くようにコーヒーはコーヒー屋さんで買ってもらえるようなお店にしていきたいと思っています。妻はプロのデザイナーではないのですが、元々、作ることが好きで、フランスの直営店の手芸雑貨屋さんで働いていたこともあります。そういったところで身につけた色遣いなどが、他のコーヒー屋さんとすこし違っている所も、ご支持いただいている理由の一つかなと思っています。

ここからは、何でこういうお店をやるようになったのか、私の経歴をお話したいと思います。僕は、1974年に京都市北区の紫竹、今のお店の5軒くらい隣で生まれ育ちました。元々、実家は5台くらいの織機を置いて機織りをしていました。けれども、私の記憶が残っている頃には、既に2~3台くらいしか動いていなくて、事業的には厳しい所もあったみたいで、両親も毎日ピリピリと生活をしていた記憶があります。自営業は大変そうだなと思っていたのに、結局、自分も自営の道を選ぶということになってしまいました。私が中学生くらいのときに機織りを止めて勤めに行き、住んでいた町家も解体して新しい家に建て替えてしまいました。その父の勤め人としての苦労を見てきたことや、時代が終身雇用で無くなってきたことなどもあって、会社に振り回される人生は嫌だなと思っていました。何か食べていける技術を身につけて、主体的に人生を選択していきたいなと思っていました。けれども、特に何がしたいということもなく、そんなときに、大学の入試がありました。地球環境に興味があったので農学部を受験し、農学科か水産学科かの選択をすることになって、海洋環境学に興味があったのでマイナーな水産学科を選び、環境調査の研究などをしていました。そして、卒業を前に就活をする中で、インドネシアで真珠を作らないかという話があり、海外で活躍している真珠技術者の存在を知りました。思い描いていたあこがれの技術職だったので、これで生きていきたいなと思って、その会社に就職しました。1年間は愛媛県宇和島で真珠の養殖を勉強し、現地の漁師さんのような方に厳しく指導して貰い、2年目からはインドネシアの西ティモールというところに配属になりました。ちょうど、スハルト政権が崩壊して大混乱の中で暴動とかがあって、ホテルで待機という状態になって、少し後悔もしたのですが、そのまま、そこで働いていました。いきなり30人ほどのインドネシアの人達の上司として配属されて仕事をしていました。住んでいた地域には、私の会社の10人ほどのスタッフと海外青年協力隊の人達しか居なかったので、発展途上の現地の人達と近いところで生活をしていました。毎日、人前では話せないようないろんなトラブルがありました。生活に慣れてきた頃に東ティモールの独立紛争が起こって真珠貝の盗難とか発砲事件が毎日のように起きるようになりました。僕も、そのタイミングでデング熱に罹って、あこがれの真珠養殖技術者の道を諦めて一旦、日本に帰ることになりました。

そして、水産高校の先生になるために不足していた単位を履修しようと思っていたときに、たまたまコーヒー会社の採用試験を受けることになりました。元々、海外に行くのに、観光ではなく仕事で行きたい。そうでないと現地のことが分からないなと思っていました。そして、そのコーヒー会社の面接のときに本社の横に新設のコーヒー工場の立ち上げ計画があるということと、ブラジルに行けるかもしれないということを聞かされて、それも面白そうだと思って、コーヒーの世界にはいることになりました(笑い)。全く、コーヒーの知識が無かったのですが、配属された部署が、品質管理や研究開発をするところで、プレッシャーもありましたが、すごくコーヒーの勉強をすることが出来ました。勉強する中で、私がかつて住んでいたインドネシアもコーヒー豆の主要な産地であることを知り、何かの縁を感じました。また、コーヒーは、搾取とか貧困の歴史を抱えていて、インドネシアの現地の生活を見て来た中で、コーヒー豆を通じて何か出来ることが無いのかなと思っていました。特に、私がコーヒー業界に入った頃は、コーヒー危機といわれる、コーヒー相場の大暴落があって、コーヒー農家の生活が窮地に陥って、コーヒーの生産を止めてしまうような時期でした。このままだとコーヒーを作る人がいなくなり、美味しいコーヒーを飲めなくなるので、コーヒー生産者を守っていくということも大事だというサステイナブルコーヒーという考え方が広がった時期でもありました。私の業務は、生産と消費の現状検査、原料検査、他社の分析、新しいコーヒー器具の検証など、コーヒーに関わるあらゆることを勉強することが仕事というポジションで5年ほど学ばせていただきました。その後、一般の消費者に近いところでコーヒーのことを伝えたいという思いから、大阪のヒロコーヒーというカフェに転職しました。そこは自家焙煎のお店で20店舗ほどあるのですが、製造部ではなく、あえて店舗の方で働かせていただきました。ヒロコーヒーではサステイナブルコーヒーを消費者に伝えるということを上手くされておられ、お店の経営を含めてすごく勉強になりました。そうした店舗業務とは別に本部の業務として、広報をさせていただいて、コーヒー講座の企画などもさせていただくなど、とてもやりがいのあるポジションに就かせていただきました。けれども、外食産業は、どうしても長時間勤務という問題がありまして、家族との時間が全くとれず、子供が小学校に上がるまでに京都に帰るか、ここで働くか決めようと悩んでいました。そんな時に、今の店が手放されるというので、そのご縁もあって、独立することにしました。この場所を選んだのは、もちろん実家から近いということもあるのですが、僕にとっては、小さい頃から生活していた町家の雰囲気がそのまま残っていた懐かしい空間だったということがあります。私の妻は、奈良出身なんですが、彼女にしてみれば、京都=町家というすごい憧れの対象でした。また、お洒落なコーヒー屋さんが次々と出来ていて、一から店舗を作るのはなかなか難しいと思っていたのですが、この町家自体に個性があって、面白いことが出来るのではないかというのもあったので、生活しながらお店にしようと購入を決めました。京都でコーヒーの販売店をする上で、この紫竹という場所というのは、上賀茂神社と大徳寺、今宮神社の間位にあり、観光地から歩いてこられるところではありません。ですので、しっかりと地元の人に使っていただかないと続かない、難しい場所だと思っていました。ただ、周辺には、昔から有名なお肉屋さんの川北さん、お蕎麦屋さんの小川さん、新しいところでは玄似通のバームクーヘン屋さんとかパン屋さんなど、しっかりとしたお店というか思いを持ってお店をされてる方が沢山おられました。私のお店だけではなかなか来てもらえないエリアなんですけどエリアとして知ってもらえたら絶対面白い場所になるなと思ってまして、取材をしてもらうときや、プレスリリースの時には、なるべくエリアを取り上げてもらえるようなアピールをしてきたつもりです。サーカスコーヒーになる前のお茶屋さんだった時も、この店は大通の角にあって、目印になるような場所だったんです。サーカスコーヒーもそんな風に地元のランドマーク的な店になれば嬉しいなと思っています。

コーヒーの生産に関しては、サステイナブルという言葉はとても重要だと思っていまして、生産者がきちんと生産できる環境が整えば美味しいコーヒーができる。美味しいコーヒーが出来れば高くても消費者に買っていただける。こういうシステムが出来ることはすごく大事なことだと思っています。コーヒーを通じて日本の大量生産、大量消費の消費スタイルを見直す機会にしていただければありがたいなと思っています。
これからの方向性ですが、多店舗展開をしていくつもりは全くなくて、しっかりと地元の商店としてお店を細く長く続けていきたいなと思っています。
また、最近、妻が大学のリカレント教育に参加することになりました。サーカスコーヒーというお店も妻という存在があって成り立っているので、女性活躍社会に向けて、妻のような立場の女性が少しでも貢献できたら嬉しいなと思っています。

また、コーヒーは世界とダイレクトに繋がっている商材なので、コーヒーを飲むことを通じて環境とか世界中の国々で抱えている問題に関心を持って貰うきっかけになり、それを理解することで、コーヒーが今まで以上に味わい深い飲み物になると思っています。そのために、毎日ブログを毎日更新し、関心を持って貰えるようにしています。
以上で私のお話とさせていただきます。

<意見交換>
大島)面白いなと思ったのが、地域ごとにコーヒーの風味がちがうということで、このことは知りませんでした。うどんみたいだなと思いました。お話しの中でも地域の人に愛されるようにとか地域に好まれるようになど、すごく地元を意識されているなということが伝わりました。お客さんは、紫竹界隈あるいは北区乃至は、京都市内の人が多いのでしょうかお伺いします。
渡邉)定期的に自転車で買いに来てくださるお客さんも多いですし、プラスアルファーというか東京など遠方から来ていただく方も多いです。商圏は広いのかなと思います。いつも車で来られる方もいらっしゃいます。スーパーで100g100円くらいのコーヒーを売っている中で、5倍くらいの値段のコーヒーを選んでいただけるようにするためには、地元を意識しながらも、ある程度広い地域から来ていただくということは考えています。ネットの注文にしても広域の方が多いです。

大島)通販や卸もされているのですか。
渡邉)通販も卸もしています。カフェなどでも使って貰っているところもあります。

大島)私と渡邉さんは同世代だと思いますが、私達の親世代は、結構、コーヒー飲みますが、出町の輸入食品をご愛用されていることが多いと思います。その出町の輸入食品を利用されていた地域の人が買っていただいているという実態はあるのでしょうか。
渡邉)直接、その話を聞いたことはあります。「出町までいっていたけど、近くできて良かったわ」など。

大島)親世代の当時は、美味しいコーヒー豆を焙煎して売ってくれる店が他になかったのですよね。それから、サステイナブルのところですが、カカオも似たような状況にあるのかなと思うのですが、将来的にはチョコレートを食べられなくなるかもしれないと言われている中で、コーヒー豆をフェアトレード的なところで仕入れておられるのか、独自ルートで仕入れておられるのかお伺いします。
渡邉)豆の確保に関しては、フェアトレードの物ばかりを意識しているということではなくて、クオリティが一番だと思っています。美味しくなかったら誰にも選んでもらえません。そのため、大手の商社さんではなくて、個人で世界を回られているような方がおられて、その方との信頼関係と、その方と現地の繋がりの中で豆を確保しています。ダイレクトトレードみたいなことをしようとしたこともあるのですが、個人で行くと、物流にしても本当にフェアな関係はなかなか難しいので、私は、それを伝えるポジションに徹しようと思いました。餅は餅屋ではないですが、良い豆を扱っておられるところで仕入れています。また、フェアトレードも、別の見方で取り入れたりしています。昔はスペシャリティコーヒーとサステイナブルコーヒーは別物だったのですが、今は、サステイナブルな関係が出来ていないと美味しいコーヒーが出来ないということなので、一緒だと考えられています。

大島)土用の日にウナギが減っているとか、高くなっているとか話題になっていましたが、お隣の中国の経済成長が著しい中で、消費嗜好が変わってきていることが大きな要因であると言われています。コーヒーやチョコレートが将来的に難しくなると言われている要因も、同じようなことがあるのでしょうか。
渡邉)そういうことももちろんありますし、例えば、ブラジルとかでも経済発展し、コーヒーなどの農作物は手間も暇もかかって、収入も安定しないという理由で若い人達がコーヒー栽培をしなくなって、普通に働きに行く傾向にありますが、同様の状況が色々な国で生じています。そのために生産量が落ちていくということと、中国など高品質の豆を求める人が世界的に増えてくることの両方が進行しています。今は、良質のコーヒー豆を取り合いをしているような状況で、その中で、私が取引をしているバイヤーの方は現地の人とも信頼関係を築いて貰っていると思っているので、そこのルートは、大切にしています。やはり、最後は人間関係かなと思います。

大島)そういう意味では、一杯のコーヒーの中に世界の問題を含んでいる話ですね。良いコーヒーを作った生産者がちゃんと儲かるというふうになれば良いということですね。
渡邉)そうですね。そのためには、生産者も努力が必要だと思います。

寺田)お店の真ん中に1954年製の焙煎機が座っていますが、この焙煎機のこだわりをお伺いします。また、お店のショウウインドウには、コーヒー豆ではなく、コーヒーに関するグッズが飾っていますが、その理由についてもお伺いします。
渡邉)焙煎機に関しては、半年前に替えたところです。それまではオープンの時からもう少し小型の日本製のものを使っていました。最近、焙煎する量が増えてきたので、小型の物では間に合わなくなったで、いろいろと探している中で、この焙煎機に出会いました。今から70年くらい前にドイツから運んできたもので、現在の鉄板やアルミ板で作られているものとは異なり鋳物で作られており、すごく熱効率が良く遠赤外線の効果もあります。釜自体の蓄熱性がすごく良くて、業者の間で取り合いになっていました。それがたまたま手に入りそうになりましたので、思い切って投資しました。ですから、この質問はすごく嬉しいです。日本全体で10台くらいしか動いていない機械なので、焙煎した豆の持ちや表現などが違います。ショーケースは、昔のお茶屋さんは、ショーケースに季節の物を飾ってあったと記憶しています。そういうふうな使い方が出来ればと考えています。
宗田)渡邉さんによると、この界隈には、サーカスコーヒーを始め肉の川北さんなどビンテージ系のお店が増えてくるだろうという予測をされ、私もそこに期待しています。一方、京都全体で見ると、寺町通が画廊や骨董から始まって和紙屋さんなど個性的なお店が集まって一種の文化ゾーンを作っています。紫竹を含む西陣界隈のまちづくりのためにも、築後100年近いサーカスコーヒーの建物を「京都を彩る建物」などに認定して貰うなどして、建物一つ一つのビンテージを上げていくとか、そういうお店と連携するとか、いろんなイベントするとかして、こういう文化度の高い地域を演出していくことがこの会のねらいでもあると思うのですが、是非、実現したいですね。
渡邉)「京都を彩る建物」とは、どのような物ですか。
宗田)歴史的な建造物は、景観重要建造物や文化財等に指定して、建物を改修する際に財政的な支援をして貰ったり、相続の際に税金の減免をして貰ったりして、その文化的価値や景観的な価値を保存します。けれども、いきなり文化財などにすることには踏み切れない所有者に対しては、一旦、ハードルの低い「京都を彩る建物」い認定して、定期的に京都市の文化財保護課の職員が訪れて、文化財指定を始め様々な相談に乗っていく制度です。自薦、他薦で認定されます。そういう建物の認定の標識設置をして、文化的な建物の中で文化的なコーヒーを買っていただくということがイメージがふくらみます。
大島)この家は、角切りがされていますね。
寺田)おそらく、この家は、この地域の区画整理と同時くらいに建築されたものとおもわれます。戦前の最も古い時期の区画整理です。
吉田)昭和10年くらいの区画整理です。その南の地域が、その少し前の昭和5~6年の区画整理です。
寺田)コーヒーの美味しさは、コーヒー豆の品質で決まるのか、焙煎の機械で決まるのか、あるいは焙煎の具合によって決まるのか、はたまた、コーヒーを入れる人の愛情で決まるのか、その何れでしょうか。
渡邉)一番は、淹れる人の思いだと思いますが、現実的には生豆の品質によって5~6割は決まると思います。お米と同じことだと思います。お米もいくら上手に炊いても、古米は美味しくありません。けれども、焙煎の具合によってマイナスになることがあるので、そのようにならないように、あるいは、豆の美味しさをより引き出すように焙煎して、お客様の口に届けることが大切だと思っています。
吉田)どこの国のコーヒーを仕入れておられるのですか。
渡邉)世界中です。南米、中米、アフリカ、アジア。インドネシアもマンデリンというコーヒーが有名です。今度、インドネシアの東ティモールにコーヒー豆の栽培状況を見に行きます。フェアトレードについて、実際にはどうなっているのかを見に行ってきます。
大島)コーヒーは淹れ方によって、違いが出ると思うのですが、コーヒー抽出のスクールなどはされていないのですか。コーヒー好きの中には、コーヒー豆はもちろんのこと、抽出の装置、機械、そして淹れ方まで、人には触らせないという人もいます。
渡邉)不定期ですけどしています。店頭でも、個別に聞かれるとお答えするようにしていますし、ブログでも発信をしています。スクールは定期的にやらないと行けないと思っているのですが、なかなか出来ていません。僕も、こだわりのコーヒー屋をしているのですが、実はそういったマニアックな人は苦手ではあります。もっと自由で良いじゃんと思ったりもします。
寺田)お客様と生産地ツアーを企画したり、この界隈の食に関わるお店と連携して町歩きツアーを企画したいと思いますが、是非、ご参加いただければ嬉しいです。また、コーヒーのワークショップなどのご予定なども教えてください。
渡邉)今のところワークショップの予定はないです。それから、コーヒー豆の産地は、町から車で5時間とかかかる山の上にあったりしますので、なかなか、一般の人が生産地ツアーに行くことは難しいです。今回、僕が東ティモールに行くのも、フェアトレード団体の人が企画したツアーで、そこそこの費用と日数がかかります。ですから、一般の人にその様子をお伝えすることがぼくの役割かと思っています。今回も、お客様が聞いてきて欲しいということを代表してお聞きするためにツアーに参加しようと思っています。また、地域のコラボレーションなどは面白いと思います。この前も小学生の町体験でも来ていただいて、目の前でコーヒーを入れて飲ませるとブラックでも美味しい、美味しいと行って飲んでくれます。そういうものの大人バージョンがあっても絶対に面白いなと思っています。大人の町体験みたいな企画はすごく面白いと思います。
寺田)京都は日本一コーヒーを飲む町だと聞いていますが、そういうコーヒーのメッカのような町で、他の老舗を含めた競争を如何に勝ち残って行かれようとしているのか。また、その際、どのような階層をターゲットとして想定されているのかお伺いします。
渡邉)もともと、コーヒー屋さんが多いまちで、近くにコーヒー屋さんが出来ると毎回どきどきします。常に不安がいっぱいですが、結局は、お客様が選ばれることなのです。ですから、サーカスコーヒーの味わいであったり、夫婦でやっているお店の雰囲気などの特色を大切にして、発信し理解していただけるようにしていくしかないと思っています。また、コーヒーが本当に多くの人の手間をかけて作られていて、京都の町で飲めるような状態になるまでの物語を理解して貰って一杯の価値を知っていただくことも大切なことだと思っています。京都では、ずいぶん昔からコーヒーが飲まれています。前回、今の形の西陣織の歴史は100年くらいしかないとお聞きして、それだったらコーヒーの歴史も変わらないと思いました。そういう意味では、もう少し文化的な視点でコーヒーが扱われないのかなと思ったりします。それこそ、昔のコーヒー屋さんと今のコーヒー屋さんがトークイベントをやれば、すごく面白いのかなと思ったりしています。
佐野)サーカスコーヒーで焙煎しているコーヒーは色々なところに卸しておられると思いますが、どちらのカフェに卸しておられるか教えてください。飲み比べに行きたいと思っています。
渡邉)サーカスの2軒隣のカフェで使って貰っていますし、最近、「スーパーかみとも」の裏の「コアラ」にも卸しています。四条木屋町を下がった「キルン」にも卸しています。豆自体は河原町のバルや東急ハンズに入れています。
佐野)私もコーヒーが好きなのですが、「カフェ バッハ」とか「ヴェルディ」や「コラソン」などに行きます。例えば、「コラソン」さんはコーヒーが余り熱くなく少しぬるいんです。「ヴェルディ」さんは熱々かぬるめか聞いてくれるんです。それそれ、同じ豆を入れていますが、店によって味が少しずつ違います。難しいですよね。
渡邉)難しいです、それこそ同じお店でも淹れる人によって味が違います。僕が以前働いていた店ではご指名がありました。それが、確かにそうなのか、ご自身の思いによるものなのかは分かりませんが、そういう現実はあります。
佐野)コーヒーが好きな人は、本当にこだわりがありますね。僕は個人的には北野の天神さん出している「マサイの風」というカフェが好きなんです。彼は田舎の方に焙煎場を持っているんです。本当に店によって違うのでどのようにして選んだら良いのかと考えたりしています。
渡邉)それは、その店の一番のお勧めであるブレンドを飲んで、自分に合うか合わないかだと思います。値段ではなく、自分に合う合わないなので、お店のお勧めのブレンドが美味しくなければ、そのお店のコーヒーは自分に合わないと判断しても良いのではないかと思います。
佐藤)今、お話しを聞いていて味わいの難しさというのは中国茶も一緒だなと思いました。また、先ほどは京都では良くコーヒーが飲まれるというお話しでした。けれども、京都のイメージはお茶やと思うのです。世界中の人も京都といえばお茶だと思っておられるのではないかと思います。だけど、京都の人がコーヒーを選ぶ理由は何ですか。
渡邉)何ででしょうね。元々、京都の人の新しもん好きという文化と合わせて、コーヒーが出始めた頃に西陣の旦那衆が豊かであったので、それが買えたからではないかと思っています。ハイカラなものを好んだ人達によって楽しまれたのではないかと思います。また、当時、観光に来られた方の休憩をする場所として喫茶を生んだのではないかと思います。京都には宇治茶もあり、お茶文化のはずなのに皆コーヒーを飲むというところが別の新しいものを好む京都らしさでもあると思います。それが僕も面白いと思っています。
佐藤)お茶とコーヒーが一緒に出来ることで、何かあるでしょうか。
渡邉)最近、お茶とコーヒーをブレンドしたようなものを作っているお店もあるのですが、少し無理矢理感があるなと思っています。僕も、この店が元々、お茶屋さんだったので、ここにもお茶を買いに来ていた人がいると思ってお茶を販売しようと考えたりしていたのですが、匂いの面でバッティングするんです。香りを食い合うというか、同じ場所で、コーヒーとお茶を同時に淹れることは難しいと思います。例えば、京都のお茶文化とコーヒー文化をイベントにまとめることなどは出来ないかと思います
寺田)以上で、本日の話題提供を終了させていただきます。渡邉さんに大きな拍手で感謝したいと思います(拍手)。