KYOTOGRAPHIE 共同代表 仲西 裕介氏

始まりの始まりは海外一人旅から

九州は小倉で生まれ東京の大学に進んだ仲西氏は、元々はフリーの照明家で、東京で映画や写真などの撮影、舞台の照明演出等を手掛けていた。建築のインテリアとしての照明デザインも手掛ける。大学卒業後、プロダクションに所属してテレビ番組の演出をしていたが、阪神大震災が起きた年にプロダクションを辞めて、震災のボランティアに参加し、その後、世界中を旅して歩いた。旅は学生時代からずっと行っていたが、プロダクションを辞めた後は、旅の費用を捻出するためにフリーランスの照明の仕事を始める。当時、日当が一番良い仕事であった。照明は危険だし体力勝負のところもあり、知らないとよく分からない仕事でもある。照明をやりながら世界中を旅をしていたが、全てのことを旅から学んだと思っている。

 

京都で国際的な写真祭をやろう!

そして、東日本大震災が発生する。大きな地震の度に価値観が変わってきたような気がする。撮影の仕事は商業的な目的で作られることが多く、購買意欲を高めるために作品を制作してきたことに嫌気がさしていた。また、東日本大震災で福島の原発事故が発生して、福島の発電所が東京のためだけにあるということを初めて知ってショックを受ける。そこまでして、みんなで東京に集まって住まなければいけないのかと疑問に感じて、東京を出ようと思った。

コマーシャルの仕事は、悪く言うと消費者をその気にさせてモノやサービスを買ってもらう仕事だと気付いてしまった。そうではなく、本当の意味でのものづくりが必要で、そのためには、東京への一極集中ではなく、東京以外の所から海外に直接情報を発信していくようなプラットフォームが必要なんじゃないかと思うようになる。当時、特に東日本は放射能の影響がどれくらいあるのかということを全く知らされてなくて、何が本当に正しい情報なのかということさえ分からなかった。今の新型コロナ肺炎でも、よく分からないけど、とにかく怖いからマスクをしているという状況があるが、それと同じで、何が正しい情報か分からないからどんどんと悪い方向に考えるようになってしまってパニックに陥っていた。それで、正しい情報を伝え、正しいこととは何なのかということを話し合うようなメディア、日本で起きていること、海外で起きていることをオープンに話し合うようなメディアが必要だと考え、写真というメディアが最もふさわしいと思った。写真は、今、起きていることや過去にあったことを直接見せることができるメディアなので、写真の国際的なフェスティバルを日本でやることで、そういうことが可能になるんじゃないかと思った。そして、東京以外の都市から世界に向けて情報交換していくとしたらどこが良いかと思った時に京都しかない、京都でやれば世界の人が注目してくれるし、人を集めることもできると考えた。同時に日本の文化も海外に発信できると思って、京都で国際的な写真フェスティバルをやろうと決心した。

 

そして京都に移住する

そして、2011年に京都に移住してきた。仲西氏が京都に来る前に、既にパートナーのルシールは3歳の娘と一緒に放射能から避難して京都に移住していた。震災の後、二人で一緒に「境界」(この世とあの世の境界)という写真作品を制作した、これは日本の怪談を写真化したものである。日本の怪談や幽霊話は、自然が人間にしっぺ返しをする話がほとんどで、地震という自然災害を受けた人間との共通項を感じ、いろいろな怪談の話を写真作品にした。

そして、その作品を、第1回ニュイ・ブランシュ京都という、一夜限りの現代アートの祭典で展示した。いままでは撮影や観光で何度か京都に来ていたが、アーティストとして作品を持って来たのは初めてだった。いろいろなアーティストや伝統工芸の職人さんなどとお会いして、話しているうちに、今まではよそ者は近寄れない町だと思っていたが、意外と住めるんじゃないかと思って、不動産広告を見ていたら、東京よりはるかに安くて、住環境が断然東京より良いので、これは住んでみる価値があると思って、いきなり住み始めた。ちょうど、東京での生活に嫌気がさしていたときでもあり、仕事のことを考えることなく京都に住んでみようと決めた。最初のうちは、撮影の仕事がある都度、東京と往復する生活だった。

 

写真祭構想の具体化に向けて

ルシールと話をしているうちに、京都で国際的な写真フェスティバルをやるという構想が盛り上がってきた。いろいろな人にやってくれないかと頼んだが、誰も引き受けてくれなかった。アートフェアは写真が売れるのでビジネスとして成り立つが、アートフェスティバルは、アーティストの紹介とか、写真の可能性を見せていく文化的なイベントなので、ビジネスとして成り立たないというふうに見られていて誰もやってもらえなかった。けれども、正しい情報を伝えるメディ、正しいこととは何なのかということを話し合うようなメディア、日本で起きていることとか、海外で起きていることをオープンに話し合うようなメディアを作らなければならないという使命感を持っていた。また、震災以降、落ち込んでいた日本を盛り上げるために新しいものを作らなければいけないとも思っていたので、自分たちでやろうということになる。

フリーランスで照明をやっていた仲西氏とフリーランスで写真をやっていたルシールさん、大きなイベントとかやったこともなく、やり方も何も知らない二人がやり始める。本当に大変だったと振り返る。スポンサーを集めるにしても最初の元手は必要になる。会社なら準備できるが、個人でやるという無謀なことにチャレンジした。おまけに京都への引っ越しで手元資金は全くない中でスタートした。

なんの後ろ盾もない個人がやっても、行政からの助成がある訳もなく、日本の文化的イベントを開催する常套手段である実行委員会形式も、経済団体や学識経験者、行政などに繋がりがないので立ち上げることもできず、資金調達に苦労する。

 

KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭

2013年に第1回KYOTO GRAPHIEがスタートする。

震災をきっかけとして、アートの力で社会を変えていくという目的で始めているので、赤字が出たからといって止められない。達成しにくい目的なので毎年、頑張って継続している。また、日本では環境問題とか社会問題を扱うプログラムだけでは人が見に来てくれないので、現代アートとかファッションなど、人が集まるようなプログラムもやりながら環境問題や社会問題を見てもらうという作りにしている。また、そういった多様な作品を京都の町全体を使って表現している。作品に合った建物を探して、作品と建物がさらにマッチングするように空間を設えていくというやり方をしている。民間では美術館などが借りられないという事情もあったので、それを逆手にとって、美術館とかギャラリーから作品を持ち出して、普段、生活に使うような場所で見せることによって、アートをより身近なものに感じてもらう、普段アートを観ないような人にも観てもらえるような機会を作った。アートが、アートを分かる一部の人のものではなくて、全ての人々に観てもらうということによって初めて文化になると考えた。

展覧会ツアー:金氏徹平×金島隆弘

©Yoshikaqzu Inoue-KYOTOGRAPHIE 2019

普段アートを観せないような場所、例えばお寺とか町家、古い洋館、現代的な建築などを使っている。さらに、伝統工芸の職人さんの技術やインテリアデザイナーのデザイン、最先端企業の技術を織り交ぜながら、その作品のメッセージが一番良く伝わるように空間を作っている。

ベンジャミン・ミルピエ「Freedom in the dark」supported by Zadig&Voltaire 誉田屋源兵衛 黒蔵

©Takeshi Asano-KYOTOGRAPHIE 2019

KYOTOGRAPHIEの場合は写真を展示するだけではなくて、パブリックプログラムと名付けて、トークイベント、ワークショップ、シンポジウム、キッズプログラム、さらにプロがプロに教えるマスタークラスやポートフォリオデビューといって若い作家たちが自分の作品を専門家たちに見せる機会をつくるなどいろいろなイベントを同時に開催している。写真というメディアのいろいろな可能性を実験している。毎年、春に開催している。今年も春に開催すべく準備をしていたが、新型コロナの影響で秋に延期せざるを得なくなる。

シンポジウム「震える地球」―——日々の生活から環境問題を考える

©Yoshikazu InoueーKYOTOGRAPHIE 2019

 

ミックスメディアワークショップ「White Discharge」をつくってみよう!

presented by Petit Bateau

©Yoshikazu InoueーKYOTOGRAPHIE 2019

アルバート・ワトソンによるマスタークラス

©Yoshikazu InoueーKYOTOGRAPHIE 2019

 

柔軟で強力な運営体制

KYPTOGRAPHIEの組織は柔軟で強力である。仲西氏とルシールさんの共同代表の下に2名のスタッフが常駐している。他のスタッフは全員フリーランスであるが、アートだけでなく世界的なコンサルティングファームや金融グループでの経験者など経歴も人種も性別も多様である。そして、本番の半年前には10名、4か月前には20名、2か月前には30名とスタッフは充実していき、本番中はボランティアスタッフを含めて300名体制で運営している。こうしたスタッフも多様で、子供や高齢者も加わっている。

 

会場の選定と依頼

最初、会場選びは飛び込みで行うが、ほとんど門前払いであった。それでも、「本気かどうかを試されているんだな」と気付き、断られても断られても何度も何度も訪問する。本気度を見せていくうちに認めてもらい、貸していただけるようになった。貸していただいたからには良いものを作らなければいけないと思って展示のクオリティを高くすると、次の年にも貸していただける。共感していただける多様な会場で開催できたことも、京都だからこそできたフェスティバルだと思っている。他の町でやっていたら全然違ったものになっていたという。


アルバート・ワトソン「WIld」presented by BMW 京都文化博物館別館

©Takeshi Asano-KYOTOGRAPHIE 2019

当初、京都の町全体を使ってアートイベントをやろうと思うと相談すると、京都人の皆さんから「そんなことは京都では絶対無理だから止めておけ」と言われた。今から思えば、京都のことを何も知らないからこそできたと思っている。

金氏 徹平「S.F.(Splash Factory)」 京都新聞ビル印刷工場跡(B1F)

©Takeshi Asano-KYOTOGRAPHIE 2019

会場についてはいつでも京都の人に「面白い場所はないですか」と聞くようにしている。京都新聞社の地下の印刷工場跡の場合も、たまたま京都新聞の方から「うちの会社の地下に最近まで印刷工場があったが今は空っぽになっている」という話を聞き、見せてもらうとものすごい空間だった。町の真ん中にこんなすごい空間は東京でもあり得ないと思い、直ぐに貸してもらうよう嘆願する。しかし、法的な制約があり展示場として借りることは難しかったが、工場見学という位置づけで開催にこぎつける。今でも自転車で市内を走りながらいい建物を見つけたら、交渉を試みる。

 

アーティストの招聘

招聘する海外のアーティストは、皆さん有名な方々で普段は手が届かない方達ばかりだが、京都で作品展示ができるという魅力も手伝って実現しているとも言える。これも京都の力だと思う。一度は京都に行ってみたいとか、京都でなにかしてみたいと思っているアーティストは多い。京都のおかげで、こんな若いフェスティバルでもすごいアーティストが参加してくれる。一方で、最初は作品展示の文化的ギャップがあった。西洋では写真はフレームに入れて壁に掛けるものだが、日本の伝統的な建物は襖や障子、砂壁ばかりで作品を掛けるスペースがない。そこで、畳に座って作品を見る書見台のようなものを作ったり、和紙にプリントした写真で襖を仕立てたり、掛け軸にしたり、いろいろな方法を考えた。しかし、日本に来たことがないアーティストは、まず、靴を脱いで座敷に上がるということが理解できないし、畳という草のカーペットという存在も良く分からないので、作品を床の低いところに展示するというと「私の作品を足蹴にされるようなところに置くな」というリアクションになる。靴を脱いで、畳に座って作品を見るという目線の高さが理解できないので、それを説明することが難しい。スカイプでいろいろなスケッチや図面、写真を見せたり、しぐさを見せたりしても、なかなか理解してもらえない。しかし、実際京都に来てもらうと、こういう写真の見せ方があるのかと感心したり、このほうが自分の作品のメッセージを伝えるのにふさわしい方法だとか言っていただける。やはり、現実の日本家屋の中に身を置いてみないと分からない空間価値だと思う。

アルフレート・エールハルト「自然の形態美ーバウハウス100周年記念展」

supported by Alfred Ehrhardt Stiftung Berlin 両足院(建仁寺山内)

©Takeshi Asano-KYOTOGRAPHIE 2019

海外アーティストへのフォローとして、和の空間で和の食事をしてもらったり、お茶会を開いたりしている。その人の作品を展示させてもらうだけではなくて、その人に、日本、京都を体験してもらって次の作品作りに活かしてもらうようにしている。実際に、KYOTO GRAPHIEがきっかけとなって、日本、京都で作品を作っているアーティストはたくさんいる。

 

スポンサーを集める

スポンサーについては、日本の企業は、窓口からアプローチすると上までいくのに何年もかかる。そのため、KYOTOGRAPHIEのビジョンに何か関連している企業を調べ、その企業の上の方の人に紹介してもらえる道筋を探してアプローチしている。この場合は、20年以上住んでいた東京でのネットワークが役に立っている。当時から社交的でいろいろな人を知っていたが、自分のためにはそのネットワークを使ったことはなかった。KYOTOGRAPHIEのプロジェクトは社会のためであったり、アートのためであったりして、自分のためにやっているわけではないので、思いっきり自分のネットワークを使って営業することができる。それにしても、日本企業は決定権を持つ人に会うまでに時間がかかる。海外の企業は意外とすっと合わせてもらえる。それでも、2011年の東北大震災以降、会社員でもなく、長髪でスーツも来ていない自分のような者でも、ちゃんとした企画書と資料を持って行くと、日本でもちゃんと対応してくれるようになってきた。企業も、社会のため文化のために何かしなくちゃいけないという機運が高まってきたのではないかと思う。そういう意味で、共感していただけた企業と協働してやっている。こういう作品を見せますと伝えて納得してもらった上で一緒にやっている。アートの存在意義や在り様が変わってきている。アートが外に出て、いろいろな人や事柄と繋がる時代ではないかと思う。

 

京都で活動する意味と効果

大学では海外一人旅ばかりしていたが、旅をした人の視点は違うと思う。今の日本に一番必要なのは、18歳以上が全員、一度は海外に出ることであると思う。島国日本だけで育つと、日本の常識が世界の常識だと思ってしまって危険なので、どこでも良いから海外に出ることを義務付けても良いのではないかとさえ考える。

今の日本がだんだん排他的になっているのは、他の人のことを知らないからで、韓国の人や中国の人と実際にちゃんと交流したことがある人は見る世界が変わる。そういう意味では京都は可能性がある。伝統を受け継ぎながら革新的なものを受け入れてきた町であるからこそ面白いものが生まれてきた。多様性を評価する寛容さがある町で、最終的には選ぶけれども、それまではよそ者の様子を見てくれている。そのため、KYOTOGRAPHIEが京都で活動するときに一番、気を付けてることは、高いクオリティを維持することだった。そうでなければ認めてもらえなかったと思う。京都は見せ方を大事にしてきた町なので、それに気を付けているうちに、自分たちのクオリティも上がり、海外の写真祭に比べるとクオリティが高いという評価を得ている。

京都は、本当に素晴らしい町だと思っている。岡崎の文化エリアもコンパクトで市民に近いし、御所や鴨川など町中に自然が多くて、直ぐに大原などの郊外にもアプローチできる。でも、最近は京都に移住してくる人が増えてきていて、京都の良さが損なわれないように気を付けたい。観光地のわりに本当に住みやすい町なので、オーバーツーリズムの影響で商業化が進み、東京のような町にならないことを祈りたい。

 

公共との関係

今のところ行政からの資金助成をもらわずに、この取組に共感する民間企業と個人の方からの支援だけで何とかやっている。日本の文化に貢献していると思うが民間運営のため文化庁からの支援もなかなかもらえない。この取組を一般市民に広めることには一生懸命だが、アカデミックな業界や行政機関だけに認められても意味がないので、ことさらアプローチもしていない。

しかし、海外の国立博物館や美術館のものすごいコレクションを借りてくることができるイベントに育っているが、京都での受け入れ施設の設備水準がミュージアムコンディションを満たしていないので貸してもらえないという状況がある。そのため、京都市美術館や京都文化博物館などの市や府が所有する施設を貸してほしいがなかなかハードルが高い。今年、京都市美術館は素晴らしく改築され生まれ変わったので、今度は是非貸していただきたい。

 

アーティストの育成

もともと、仲西氏自身がクリエーターで食べていくのが難しい職業だったので、アーティストがちゃんと食べていける国にしたいという気持ちがあった。そのためには、アーティストをきちんと評価してもらわないといけない。無名とか有名とか関係なくこんなすごいアーティストが居て、この国が精神的に豊かになっているということを理解してもらいたい。そして、その作品を買うということが、自分の生活空間を豊かにするだけでなく、アーティストを支援することになり、次の作品を作らせているという自覚を持ってもらうことが大事だと考える。フェスティバルはアート作品を売るイベントではないが、最終的にはそこに繋げていきたいと思う。日本人は、ギャラリーが作品を売っているところだということを知らなくて、作品がタダで見れるところだと思っている人が多いので、そういうところを変えていきたい。皆でアーティストを支援して、アートが社会にポジティブなメッセージを伝えたり、危機感を持って警告したりして役に立っているということ伝えていきたい。

 

KYOTOGRAPHIEの目指すところ

世界的なアートコレクターが京都に来ているが、ハイエンドのアートギャラリーが無いので、茶道具とか骨董品を買って帰る。きちんとしたアート作品を提供することができれば、それを求めて世界中のコレクターが京都にやってくるようになる可能性があると思っている。今、京都でもアートフェアが増えているが、ちゃんとした目利きが居るべきだという。厳しい目で選ぶということが大事で、そのことこそ京都らしい気がする。若いアーティストの作品でもちゃんと選ばれているという状態が必要だと考える。京都はそういう土壌のある町だと思うが、今は、東京オリンピックを契機として儲かれば何でも良いという風潮にあることが残念である。京都のような文化的な町は短期的な結果を求める町ではないと思っている。文化は永続的に続くものだから、長い目で育てていく取組が必要である。京都は、そういうものを皆で守り、支え合うという意識があったので文化が保たれてきたが、自分だけがよけえれば良いとか、一人勝ちを目指すような人が出てくるとバランスが崩れてくる。

KYOTOGRAPHIEを継続していく上で最も気を付けていることは、誰かが凄く上がって、誰かが凄く下がるということではなく、皆にとって良いコラボレーションをしていくということ。写真だけではなく、京都の多様な人たちと一緒にアートフェスティバルを作ることを目指している。ただ写真だけが盛り上がれば良いというのでは京都でやる意味がなく、京都のいろんなものが同時に盛り上がっていくようなことをやってきたし、今後もそうありたいと考えている。

クロージングパーティー@京都モダンテラス

©Naqoyuki Ogino-KYOTOGRAPHIE 2019

店名

KYOTOGRAPHIE

名前

共同代表 仲西祐介

住所

京都市上京区相国寺門前町670-10

電話番号

075-708-7108

営業時間

定休日

webサイト

http://www.kyotographie.jp/

その他