有限会社 フクオカ機業 代表取締役 福岡 裕典氏

繊細で人を美しく装うという西陣織の原点に立って、新素材のカーボンファーバーを西陣織で美しく織り上げ、自動車の内外装やゴルフシャフトなどの新分野を開拓する挑戦者!

<四代目>

明治35年創業の老舗の4代目である。初代はジャガード織機を京都で最初に導入した会社の創業者。挑戦者の血筋である。元々は浄福寺通辺りに1,000坪の敷地を構えて多くの織機を置く織元であった。当時は旧ソ連から輸入する木材の見返り品として、洋服の生地を旧ソ連に輸出をしていたという。

大正に入ってからは生地ではなく、マフラーやストールといった商品を製造して輸出をしていた。さらに、第二次世界大戦中は焼夷弾のパラシュートの生産などをしていた。

戦後はいち早く昭和21年に法人化しネクタイ、マフラー、ストールの生産を再開する。その後、海外で安い製品が生産されるようになってきたことを契機に徐々に製品転換をして昭和40年頃から和装に特化するようになる。

4代目は平成元年、19歳でフクオカ機業に入社。しかし、同級生たちの多くは家業を継ぐ人間は少なかった。昭和40年代には西陣の織屋も生産拠点を海外に移すようになっていたが、今は、海外生産されたものは西陣織と位置づけないようになっている。モノづくりにとって生産は非常に大事な行為であり、西陣地域で行うべきで、外注することは自己否定をしているようなものだと考える。

 

<フクオカ流の商慣習>

バブル崩壊後も平成10年ごろまでは昭和の雰囲気が残り、受注量もそこそこの状況で推移していた。西陣の業界は他の業界と異なり、メーカーが上代価格を決められない。原価計算をして採算がとれる範囲で価格設定をし、それを問屋が倍の値付けをし、さらに何軒かの問屋を間を通ることによって、気が付くと市場価格はとんでもない値段となっていたりする。しかも、長期の手形での取引が当たり前となっている。委託販売で商品を提供すると問屋さんが催事などで使用し、忘れたころに傷んだ商品が帰ってくるということもあるので、フクオカは委託はお断りし買取制にしている。今後の業界のことを考えると買取制にしてメーカーも問屋も双方がリスクを背負っていくという商慣習を作り上げるべきだと考える。そうしないとメーカーも問屋も本気で売ろうという気にならない。自身が人間国宝の元で修業しており、製品の品質が高いことが、それを可能にしている。

西陣織には、年間300億円程度のマーケットが残っているので、やり方次第で未来があると考えている。贅沢な催事を催して、買い手一人に売り子が7人も8人もついてあの手この手で買わそうとする商いは、お客様はついていけないので、催事に行かなくなるという悪循環になっている。お客様は使わないだけでお金は持っている。モノが有り余っているので消費者もどこにお金を使ってよいか分からなくなっている状況にある。モノづくりをしている者が、消費者の購入意欲を喚起する商品をいかに作れるかが課題である。

若者が車の免許を取らなくなっている時代であり、時代の覇者である自動車産業でさえ、生産の合理化や業態転換に必死で取り組んでいる。西陣もそうすべきだと思っている。フクオカでは、織り方を工夫して、軽くて締めやすく、華やかで格調の高い商品づくりをして、お客様の支持を得ている。糸染めから紋づくりまで全て自社で行うことで差別化を可能にしている。自身が、デザインから配色まで全て手掛け、染も一から勉強して思うような色を出せるようにし、紋は社内の人間にデザインと配色のイメージを指示して作らせている。さらに、横糸を湿らせてから織ることにより、キシッとした織上がりになり締めやすい帯になるようにするなどの工夫をしている。

 

若い人は重たい帯は嫌がる。軽くて締めやすい帯にすると着物を着てくれる。若い人でも着物が好きな人は多いが、着方が分からない、重い、高いという理由で着てもらえていない。それを少しずつクリアしていく必要がある。フクオカとしては、商品としての課題はクリアし、流通の課題解決のため、現在の工場にお店を構えて直接販売する準備をしている。消費者と職人が直接対話することで、西陣織の技術と価値を知ってもらいたいと思っている。また、月に1、2回は、大学や行政から海外の方々やデザイナーの要望を踏まえ得た工場見学の依頼を受け入れ、フクオカの商品や考え方の発信に貢献してもらっている。

 

<フクオカ流の新商品、新業態>

細尾さんは、インテリアファブリックとして上手くブランディングされて、しかも自社で織っているので、西陣織のこれからの在り方の良い事例だと思う。一方、帯生地をドレスに仕立てるという取り組みは良くあるが、着物は着物として、帯は帯として使って欲しいと思っている。ちゃんと着付けをして気軽にお出かけできるような環境を作っていく必要があると思っている。

基本的には同業よりも異業種の方たちと交流し、新規事業を立ち上げ取引をしている。1998年に開始したカーボンファイバーの織物作りもその例である。きっかけは阪神淡路大震災で、建物の補修工事でカーボンファイバーが使われていたことである。そこから、カーボンの織物開発を始めるが、折れや擦れに弱い難しい素材で、織機にかけるとストレスでカーボン繊維が切れてしまう。

このため、カーボン織物の開発に5年の期間を要した。やっと、織れるようになった頃に、建物の補修工事の目途も立って供給先が無くなり、新しい用途開発をした。

当時、炭素繊維を使った水質浄化の研究をしておられた群馬高専の先生と共同研究をして、カーボンファイバーのシートを開発し、2003年から全国の湖沼の水質浄化の取組を始めた。

当時は、マスコミにも取り上げられるなどスポットライトが当たっていたが、炭素繊維が毛羽立ち人の肌に触れると痒くなるという事実が判明して、カーボン繊維のメーカーからそういう使い方をしないで欲しいという要請があり2008年に断念する。

そこで、改めて西陣織の原点に立ち返って基本的な考え方を整理し、西陣織とは「繊細な織物で人を美しくする」ものであるというコンセプトを明確にした。そして、フクオカは絹糸や着物のこだわることなく、基本の織るという西陣の技術を別の素材、分野に生かして新商品開発をしている。

カーボンファーバーという素材は強化素材であり、美しさは求められていなかったが、京都市の産業技術研究所と組んで研究開発補助金の支援を得て、ジャガード織機で織り柄を出して、軽くて強い女性向けのビジネスバッグや長財布等を開発した。

伸縮率がゼロに近い炭素繊維を伸縮率の高い絹糸と一緒に織ることを可能にする技術開発を2010年位に行った。ビッグサイトのファッション展に出すと、今までにない素材ということで興味を持ってもらい、百貨店や有名ブランドで製品化しようという話になったが、2011年の東日本大震災でとん挫することになった。

2013年頃に、興味を持ってくれていたスポーツメーカーのゴルフシャフトや釣竿、自転車にエポキシ樹脂でコーティングしたフクオカのカーボン織製品が使われるようになり、少しずつ西陣カーボンの知名度が上がってきた。

3~4年ほど前から自動車業界が興味を持つようになり、ある自動車メーカーから高級スポーツカーに使いたいという要請をもらい、一緒に開発を進めている。コンセプトカーに使ったりしている内に、日本の他の自動車メーカーさんからもお話を頂くようになり、コンセプトカーに使ってもらうようになった。今は、スポーツカーのインパネの素材として量産化に向けて開発中である。

美しい折柄がでる特許技術でフクオカでしかできない素材である。車体そのものをこの素材で作るとなると、フクオカの生産能力をはるかに超えることになる。高級車のインパネの量産化だけでも、今の工場では生産しきれない。工場の増設が求められている。海外の自動車メーカーからも引き合いがあり、どのように進めるか検討中である。この間、3億円ほどの開発投資を行い、1/3くらいは補助金が入っている。

現時点では2022~2023年のモデルに搭載する方向で検討中である。工場増設も急ぎの課題であるが、あくまで西陣での生産にこだわりたいと思っている。(フラットエージェンシーさんとどのようなスキームで事業化できるか協議したいと思っている。一度、社長とそういう話をしたいと思っている。)

 

<業界の活性化と人材の育成に向けて>

福岡さんのテーマの一つは人材育成であり、京都はモノづくり都市であり、若い人を育ててその時代に合ったモノづくりをその職人たちがやっていくということにある。もう一つは京都産業の活性化である。北は伝統産業が沢山あるし、南は世界に通用する先端産業、ベンチャー企業が多く立地している典型的な産業都市である。伝統産業と先端産業の企業が一緒にモノづくりをして、メイドイン京都の素材開発をしていくことである。自動車部品事業者に納入することは簡単であるが、メーカーと直接、取引しようとすると安全性など品質に対するハードルが一気に上がる。従業員10人の町工場が世界の自動車メーカーと対等な取引をしてオプションではなく、メーカー標準仕様として搭載されると業界全体に大きな刺激となると考えている。自分の会社でも何かできるのではないか、頑張ってみようという気持ちになって欲しい。それが福岡さんの狙いである。

一方で、年々、職人が高齢化しているので職人を育てないといけない。しかし、今の若い人にはきちんとした賃金体系と休暇制度とやる気を出させる仕掛けが必要になる。帯だと最終、誰が買うのか分からないが、カーボンゴルフシャフトや釣竿などだと、どういうメーカーがどういうものを作ってどこで売っているか分かるので、仕事を続けるモチベーションにつながる。それこそ、自動車に採用されると職人は喜び、次、頑張ろうということになってくる。帯でも、婦人雑誌などに名前入りで掲載されると若い人は喜ぶ。織るだけだと半年で織れるようになるが、一人前になるには5年くらいかかる。フクオカでは若い職人さんを雇用しており、20才代が2人、30才代が2人、40才代が1人、70才代が1人という構成である。

フクオカにいるともっともっと面白い仕事ができるかもしれないと思うと、続けてくれるのではないかと思っている。また、時には若い人に帯柄のアイデアを出させて、それが商品化されると喜んでいる。

そのためにも協力者の存在が不可欠である。一人では何もできない。今までは京都市や京都府の人が一生懸命、協力してくれた。これからも行政の協力は必要になって来るが、もっと色々な人の協力が必要になって来るので、(フラットさんにも色々な意味で協力してもらえるとありがたいなと思っている。どこかのタイミングでゆっくりとお話しできたら良いなと思っている。)

 

<西陣地域の活性化に向けて>

現在150坪の工場に織機を12台置いており、新工場の規模は、200坪程度を想定している。そのための色々なアイデアを頂けるとありがたい。概算では、新工場建設に2億円必要になる。そのうちの1億円は補助金で賄いたい。いまのところ、そういう補助金はないが、京都市と京都府が協力して新制度を創設してほしい。残りの1億円の半分はフクオカが負担し、半分は自動車メーカーと合弁会社になってしまうので、できればフクオカ1社で2億円を準備できるような環境を作りたいと思っている。そのためにももう少し話が具体化していかないと、工場を作っても稼働していないという状況を作ってはいけない。やはし、自動車メーカーは、いつでも体制が整った状態でしか商談のテーブルに座らないので、そこが難しいところである。それで何度か商談を逃したことがある。これで成功事例を作って若い人が頑張れる環境を作りたい。フクオカは、必ず細尾さんと比較されるところがあって、細尾さんは元々、問屋さんでメーカーではない。それに対してフクオカはメーカーであり、メーカーとして成功事例を作りたい。

昨年、京都市のプロジェクト推進室の西陣活性化の委員会の委員となって色々な意見を申し上げる中で、旧西陣小学校を職人養成の場にすることを提案した。旧校舎をそのまま活用し、若手の職人を育てる場と発表の場にしたら良いと思う。そのためのスポンサーを探すことも検討課題である。京都の先端企業がスポンサーとなって職人を育て、そこで両社で開発した素材を西陣から発信して世界に売っていくという構想である。

そして、大黒町を中心に西陣の活性化の仕組みを作りたいと思っている。フクオカから近いし、理事長の店もあり、何よりも石畳で風情がある。他府県の方にはすごい人気であるわりに、観光客で溢れ返るという状況でもない。大黒町に進出してきたテムザックのロボットで周辺をゆっくりと散策してもらい。渡文や刺繍屋、ゆかたの紫織庵、ビロード美術館な度を楽しんでもらい、大黒町から発信していけるような仕組みを作りたい。そのためにも、銀閣寺から金閣寺までのLRT以外の新しいモビリティの開発や堀川通の交通環境の向上が望まれる。

店名

有限会社フクオカ機業

名前

代表取締役 福岡 裕典

住所

京都市上京区浄福寺通五辻東入る一色町35番地7

電話番号

075-441-0235

営業時間

9:00~18:00

定休日

土、日、祝日

webサイト

http://www.fukuoka-k.co.jp

その他