第3回西陣R倶楽部
話題提供 「つづれ織工房おりこと」織り子 森 紗恵子氏
日時:平成30年5月21日(月)午後7時5分~午後8時15分
場所:TAMARIBA

「つづれ織工房おりこと」の森紗恵子と申します。よろしくお願いします。
最初に私のプロフィールをご紹介します。私は、滋賀県大津市生まれです。京都との関係は、京都精華大学の人文学部に通っていたことから始まります。その授業に京都学など京都に関係するものが多かったので興味を持っていたのではないかと後になって思います。2005年に西陣の綴織の織元(いわゆるメーカー)に就職し、帯や袈裟を織る職人として従事していました。2008年に「京の伝統産業わかば会(京都市から若手の伝統産業従事者の育成資金を受けた者の有志で構成する会)」に入会しました。

西陣織の職人は師匠のところで働いた後、独立しますが、それは、出機という働き方であり、出来高制で仕事を頂きます。私の場合、2012年に出機として独立し活動を始めたときに、少し考えて、修行した会社の織物だけを織る「出機」の形態で帯を織っていくだけでなく、オリジナルなアクセサリーなども制作していくことで、普段、綴織に触れる機会の少ない方にも見ていただく活動として「つづれ織工房おりこと」を立ち上げました。その後、わかば会の会長をしたり、「京都職人工房(多様な職種の若手の職人さんの集まり)」に参加したり、京都市の委員会に参加したりしています。

皆さん、綴織のことはあまりご存じ頂いていないようですので、「爪掻本綴織(つめかきほんつづれおり)」のご説明させていただきます。西陣織の技法の一つで正式名称を「西陣爪掻本綴織(にしじんつめかきほんつづれおり)」といいます。西陣織というのは西陣という地区で織られた織物の総称で、そういう織り方があるわけではありません。今、伝統工芸品として認められている西陣織は12種類あります。その内の一つが綴織です。その中で織り方によって、機械綴、手綴、爪掻綴に分かれます。私は、その中の爪掻綴を織っており、それしか出来ません。爪掻綴織は、自分の爪を小さなヤスリでギザギザに削り、横糸をその爪でかき寄せて織物を織っていくので爪掻といいます。皆さんには、爪掻本綴織は「鶴の恩返し」の様なものですというご説明をしますと、皆さん、何となく理解していただけます。全部、手で織っています。鉄ではなく木造の織機で織っていますというと、皆さん、何となく理解していただけます。

普段は、帯とか、お坊さんの袈裟などを織っています。絹糸が基本ですが、金糸・銀糸はポリエステルで出来た糸で織っています。本金を使うことはめったにありません。けれども、こうした帯や袈裟に触れていただく方は非常に少ないので、お茶の懐紙入れや額に綴織の布地を入れて飾っていただく額装などの作品を制作して、さきほどお話ししたわかば会の作品展などに出品しています。他に、立体的な作品を作ってみようと思って、ウェディング用の髪飾りやジュエリー作家さんとコラボした指輪やピンブローチ、女性用のバレッタなどを創っています。ここに作品を持ってきましたので、回してご覧ください。

西陣の町家との関係をお話しします。きっかけは結婚を機にどこに住もうかと考えたことでした。皆さんご存じのように西陣織は分業制になっていて、私が仕事をする際に協働する糸を染めていただく職人さんや糸を帯の幅に整えて巻いていただく職人さんも西陣地区に多く住んでおられます。それなら西陣地区に住んだ方が便利だなということで西陣を選びました。次にマンションか一戸建てか、あるいは新築が良いのか中古が良いのか等、いろいろと考えました。伝統産業に従事している自分としては町家にあこがれを持っていました。町家を残していくということも、伝統産業に残っていて欲しいということと、ほぼ同じことではないかという思いで、町家を選びました。元々、伝統産業も職住一体の暮らしであり、職人の住まいを工房として使ってきました。その生活の形態も残していきたいということで伝統工芸を生かした職住一体の暮らしを目指して、西陣の織屋建てを選びました。

この家は、元々は金襴という織物を織っておられた方の住まい兼工場でした。私は、表の畳の部屋を工房にしていますが、元々は奥の土間を工場にしておられました。土間には金襴の織機を置いていた跡や工業用の電気配線の跡や機織機の足を切った跡なども残っていました。私の爪掻綴織の機械は小さく軽いので、表の畳の間を工房にして、奥の土間の部分を他の職人や友達に使ってもらえたら良いなと思って、そのまま残しています。この家の良かった点は、水屋や井戸、オクドさん等が非常に良く残っており、通り庭もそのまま、土間の状況で残っていることでした。町家を探してたくさん見て回りましたが、土間に床を張って上げられていたり、水屋やオクドさんがキッチンセットになってる町家が多かったです。この町家は改修はされていますが、基本的な構造や意匠は良く残っていたので、その思いを汲みたいと思ってこの町家に決めました。

改修にあたっては、京町家まちづくりファンドを始め、様々な助成制度を活用しました。そうした改修の結果、京都市から歴史的風致形成建造物に指定していただきました。小さな町家ですが、住居兼工房として活用している町家も大切であるとして、指定していただきました。改修は2013年に始めたのですが、終了したのは2015年で2年の月日をかけました。基本的な構造部分は専門家に工事をしていただきましたが、工費を節約するためにも、自分たちでも出来るところは自分たちで作業をしました。構造上問題ない土壁を塗ったり、いろいろと時間をかけて作業をしました。入居の次の年から、織物と合わせて町家も見ていただける場所として見学や体験イベントを開催しています。また、若手の職人同士の交流の場としても活用しています。

将来の町家への期待ですが、町家は伝統産業の住まいであり職場でありましたので、京都の魅力を発信するにふさわしい場所になると思っています。職人の仕事の場所としても非常に良いが、町家自体も伝統的な技術で造られています。町家を残すことが、伝統的な大工職人の仕事に繋がっていくと考えています。

更なる活用方法を考えていますが、織物や他の職人仲間の作品の展示や町家と伝統産業の両方を体験できる工房としての活用の継続、土間でのイベント開催、奥の間をお茶などのイベントの場として使ってもらえたらと思っています。

町家が伝統産業の若手職人の工房として再生・活用されることにより、伝統産業の活性化だけでなく、若手の職人がまちづくりに関わることによりまちづくりが活性化します。若手の職人が小学校に教えに行くことにより、教育にも関われます。さらに、伝統産業の若手職人が活躍することで伝統文化を支えることにもなります。そうした様子を見に来たいという観光客もおられるので観光振興にも貢献できます。そうした活動の拠点として町家を保全していきたいと考えています。そのためには、行政の分野を超えた横断的な取組をしていただきたいと思っています。

京都以外の人にとって、寺社仏閣だけでなく町家の町並みがあるということが、こうあって欲しいという京都らしさを分かりやすく実感できることになると思います。町家が残ることで京都の魅力が発信され、伝統産業の活性化にも繋がると思います。

西陣の活性化を考える委員会に呼ばれたときに、他の委員の方から「どうして、そんなに町家の再生や伝統産業の活性化に使命感を持っているのか」と聞かれました。よく考えると、別に使命感を持っているわけではないのです。ただただ、「私の住む世界がこうだったらいいな」と思っているだけなのです。

私の親世代は、昔、こうした町家に住んでいました。そして、町家を残そうとした人もいるでしょうが、町家の暮らしが嫌で四角い白い綺麗な家を新築する人も少なくありませんでした。子供の世代も、白い家が好きな者もいますが、自分が経験したことがない町家の世界にあこがれる者もいます。私は、後者でした。そして、綴織を選んで無かったら京都でなくても良かったかもしれません。伝統産業の仕事をして京都で暮らしている以上、町家のある町並みは必要なことだと思っています。

今、西陣から町家が無くなっていっています。町家を残していくためのよそ者の提案ですが、町家をその家が継承していくことは難しくなっていると思いますので、町家を必要としている他人に売るという選択も必要ではないかと思っています。
とりとめない話になりましたが、これで私の話を終わりにさせていただきます。

<意見交換>
佐野)確かに、町家の継承ということは非常に難しいことです。私も20数年前に町家倶楽部ネットワーク(当初:西陣活性化実顕地をつくる会)の活動(空き家をアーティストに提供する活動で約200件の成果を上げた)を始めたときに、町家所有者は黙って売ってしまわないで、町家が欲しい人、住みたい人がいるのでその人に譲って欲しいと思いました。けれども、色々な家庭の事情があって、町家を人に譲ることが恥ずかしいことだとか、カッコ悪いことだとか、世間に顔を指したくないということで、そろっと不動産屋さんに相談して売ってしまわれる。あるいは、相続がかかっていたり、家庭内でもめているなど様々なことがあるので、親の家が空いてしまった際に、どうぞ使ってくださいとか、この家を町家として買って貰えませんかとか、堂々と言えないような状況がありました。今は少しは変わってきていると思うんですが、当時はずいぶんと難しかったです。最近、京都市は、町家を解体する前に届け出なければならないという条例を制定するなど少しずつ変わってきている。意識が変わってきていると思います。一方、私は京都の田舎で、田舎体験ハウスなどもやっていました。東京と違って京都は元々が田舎なので、田舎体験ハウスははやらなくて、結局、長期滞在者に貸してしまいました。そのとき、京北あたりの空き家を探して、貸してくださいとお願いしました。ところが、田舎で人に家を貸すということは村のコミュニティとの摩擦が生じます。誰が来るのか分からないので不安だ、あるいは先祖に申し訳ないという声が上がります。近所に親戚がいっぱい居ますから、先祖伝来の家を売るなどとんでもないとか、家の後ろにお墓があるとか、色々の事情が出てきます。そういうことでなかなか家が売れずに朽ち果てていきます。どっちが先祖に申し訳ないかという話です。それでも、家を貸すことは最近出来るようになってきましたが、売るのは相変わらず難しい。村を挙げての宗教行事などがあり、寺の檀家や神社の氏子として責任を果たす必要があります。ここに違う宗教の人が入ってくると、コミュニティが崩れてきて困るんです。そういうことで、未だによそ者に家を継承していくことには壁があります。質問ではなく、私が感じていることをお話ししました。

宗田)仏壇とお墓は、それこそお寺さんに任すこととして、仏壇の整理を含めて継承に取り組んでおられる不動産屋さんにご意見を聞きましょう。

吉田)今、森さんがお話になった、不動産をそれを必要とする方に譲っていくといいうことは非常に大事なことなのですが、難しい部分もあります。また、西陣が衰退している中で若い方が入ってきたということは非常に嬉しいので、私達も町家を保全・再生するためにもっともっと若い人にアプローチしていきたいと思っています。ただ、不動産の価格が上がってきているので、それを何とか、賃貸で安く若い人に貸していくという方法で利活用をしていっていただきたいと日々、頑張っています。けれども、まだ、町家に対する知見が十分でない不動産さんもおられますので、我々も宅建業協会の中で町家の普及促進にみんなで頑張っていこうと取組を進めています。それと、綴織ですが、弊社の2階に上がる階段の踊り場に綴織のショールを額装しています。これは紫絋織物が約20年前に作成したもので、紫絋の山口伊太郎氏と中国のオウキンザンという方が共同で制作したものです。非常に細い絹糸を使った見事な作品ですので、お帰りに是非、見てください。

寺田)少し下世話な質問になりますが、森さんが制作される綴織の帯の市場価格はどのくらいでしょうか?また、年間、どのくらい織れば、生計が成り立つものでしょうか?

森)本当に耳の痛い質問です。デザインの細かさによるので、ピンキリです。簡単なデザインから鳳凰が飛びお花が散らされているものまで様々で、価格も数十万円から百数十万年程度まで幅があります。そして、複雑なデザインの帯は1本織るのに1ヶ月かかりますが、それだけではなかなか生活して行くことが難しいという状況です。

寺田)希少性があり手間がかかるものなので、1本数百万円程度の値付けかと思っていましたが、以前と比べて、ずいぶんと求めやすい価格になっているという印象です。

宗田)着物に関しては、流通のところで見えにくい状況がありましたが、渡文さんが西陣織工業協同組合の理事長になられてから、ずいぶんと変革されてこられた。今年に入って、経済産業省の指導を受けて、京都織物卸商業組合とも連携して流通の合理化・近代化に本格的に取り組まれています。古い商慣行が廃止され、価格の透明化が進むことが期待されます。

大島)これは、皆さんが聴きたいと思っておられることと思いますが、そもそも、何故、綴織の世界に入られたのでしょうか。そして、町家で仕事をされることで、仕事が繁盛するようになるのか、売り上げの向上に繋がるのかという点についてお伺いします。

森)私自身も綴織については何も知らなかったです(笑)。私自身、理詰めで考える部分と感情で走る部分の両方を持っています。元々は、パソコンを使ってエクステリアのデザインをする仕事をしていたのですが、実際に造るのは職人さんで、お客さんと話しをするのは営業さんで、私自身は一体何をしているのか分かりにくい状況でした。自分の手で何かを造る仕事と思って職人という世界に飛び込みました。なので、この仕事がお金にならないということは後で知りました(笑)。そして、職人さんなら京都だと思って、京都のハローワークに行きました(笑)。確かに職人を募集している会社は多かったのですが、未経験者を入れてくれる会社はほとんどありませんでした。そこで、未経験者を受け入れてくれる会社に飛び込んで、お師匠さん達に仕事を教えて貰いました。お師匠さんが3人おられる工房に1年間通って、仕事をしながら技術を覚えていったのが始まりです。そこから12年くらい続いています。それから、町家との関係ですが、結論から言うと町家で仕事をしていることが直接、売り上げの向上に繋がっているということは今のところありません。特に織物の世界は大変に厳しい状況ですが、陶芸とか漆のように、組合もしっかりしていたり、親方から仕事がうまく回るように繋がっているという職種もあります。けれども、修行期間の賃金が低いということは、どの職人にも共通しているので、町家を低い家賃で貸していただけたら嬉しいなと思います。どの職種の職人に共通しますが、家を継いでおられる方以外で、新たに職人の世界に入ってこられる方は、私のようなよそ者が非常に多いです。よそ者の多くは、職人になったきっかけが、私のように手で造ることが好きであったり、京都にあこがれがあったりという方が多いので、町家を住居にするということは自然な成り行きではないかと思います。見に来ていただいたり、観光に来ていただくことが直接、売り上げに繋がりかというと非常に悩ましいところです。作家ではなく職人の場合は、会社からの仕事を受けていますので、手が止まると、結果的に生産性が落ちてしまいます。けれども、今までのように、ずっと仕事場に籠もっていて今までと同じ仕事量があるかというとそうではない業種が非常に多いです。家を継いでおられる方でも、そのまま、ずっと続いていくということは非常に厳しくなっています。ということは、少し外に出てでも世間の皆様にこういう仕事があるということを知っていただくことをしないといけないのではないかと考えています。ということで、観光の方のご要望に随時お応えすることは難しいのですが、自分たちの時間が許す範囲で来ていただいて、見ていただくということは何かに繋がっていくのではないかと期待をしています。

大島)京都デザインウィークにも参加されていたのですね。その仕掛け人で、公開することと産業を振興することについて人一倍悩んでおられる北林さんに一言伺いましょう。

森)北林さんのおかげで、JRの体験ツアーにも繋げていただきました。

宗田)北林さんのお話の前に、森さんの町家は京町家まちづくりファンドで支援させていただいたんですが、そのファンドで支援させていただいた中には、能面をされておられる方や花かんざしなど、伝統産業に携わっておられる方がおられる。伝統産業の中でも、本来の工芸品を扱っておられる方は、いろいろな職種から成り立つ西陣織とは違って、公開しやすい。けれども、数が少ない。そういう意味では、どのような業種があって、どのような形で観光客を受け入れられるのか、それを産地としてどのようにデザインしていくか整理しないといけないと思う。

北林)JRの見学会に関して言えば、まず、知られていないところで普通に交流することが大事だということで行っている。もう一つは、全国に伝統産業のスターとして登場していただく必要があると思って開催している。やっぱり、スターをつくらないといけない。ここで、僕の質問です。僕の考えではスターは貧乏であってはいけないと思っています。たとえば、森さんが今の手掻綴の仕事で豪遊できるようにするためには、どうしたらよいと考えておられるのか?時代の担い手として京都で爪掻綴をやっている人は限られているわけで、そういう人が豪遊できる状況でないと若者が誰も入っこない。スターがベンツに乗ったり、うまいものを食ったりしてうらやましい、だから自分も職人になって、ゆくゆくはトップになってああいう生活をしたいということが本当のところではないかと思う。各分野にそういう人がいなければいけないと思っていて、どうしたらそうなるのか、僕自身が悩んでいる。答えにくいかもしれないけど、答えられる範囲で答えてください(笑)。

森)私も教えて欲しいところです(笑)。私の所属しているわかば会の中でも、何人かそんな人がいます。けれども、今の若者にとって、豪遊できることがあこがれる存在となるための条件ではないのではないかと思います。私自身が、そういう状況を目指していないので、なんとも言えませんが、京都に住んでいたら車はいらないのでベンツが欲しいわけではありません。たとえば、SNSで発信するときに、商品のことだけではなく、どうやって作っているのかということも掲載しています。その延長で、町家の生活はこんなに楽しいのですということも載せたりします。こういう生活もありではないかという発信をすることで、若い人に興味や関心をもっていただくことが出来るのではないかと考えています。私は、西陣織でお金を儲けるためにこの世界に入ったわけではありません。お金を儲けることよりも、自分の手で作っているとか、それを発信しているということに重点を置く方に興味を持っていただくことが必要なのではないかと考えています。全然、答えになっていないのですが(笑)。

宗田)伝統工芸品を造っている人達は世界的にそうなのです。お金持ちにはならないのです。伝統工芸品を作る人が収入を得るには作家になるか、自分のブティックを作るかしかないんです。ところが、西陣織の場合は、戦後のガチャマン景気があった。さらにいうと、西陣織は本来の意味での伝統産業ではない。明治にジャガード織機を導入して創りだしたものなので、室町時代からの伝統からは断絶している。さらに、戦前と戦後では違っている。中には相当古い会社もありますが、戦後にガチャマン景気で出来た会社が多いのです。その時代には、父親からベンツを買ってやるからといわれて跡を継いだのだが、その後の不景気で、先代と同じように言ってやれなくなったので、豪遊できるような状況に戻らないといけないと言っているだけです。それは伝統産業や工芸品の世界では無いのです。西陣だけの話です。桐生や大島では、そんな話は出ていない。もう産業としては消えていて、数少ない作家とブティックしか残らない。だから、森さんのような仕事の仕方が伝統工芸品として残っていく正しいあり方です。それを伝統産業といって一括りにしているので、有るべき方向性が見えなくなるのだと思います。

清川)先ほどから町家の話が出ていますが、僕の今の仕事は町家のあり方と密接に関わっています。町家に付随する家財道具や調度品が残っていて、それを断捨離しようとしているのだけどどうしようかという相談がたくさんあります。特にお仏壇をどうしようかという相談には悩みます。立派な仏壇があって、昔ながらのご先祖供養の場所が残っている。それを東京に住む息子の所には持って行けないのでどうしようかという相談が日に日に増えています。これから、そういう古いものを上手に残していくことが出来るのかということが課題となってきます。町家だけではなく、生活に関わる全てのものが同じ状況にあります。その中で、我々の漆は、縄文時代から使っていた技法なのですが、それを100%使わなくても、その魂だけでも残していく、思いだけは組み込んで一つでも二つでも残していってもらえたらと思いながら、森さんのお話を聞いていました。とても良い取組をされているので、是非、頑張ってください。

村上)先ほどのご質問についてですが、私の携わる教育の分野というか、子供達に関わる分野も儲かることを目的にした業態ではありません。ほとんどの方が非営利活動として取り組まれているかと思います。もしお金を目的に始められると躓いてしまう方が多いのではないかと思います。やはりやりがいというか、思いの部分で仕事をされている方が多いのですが、私自身は、その思いの部分はもちろん、誰もがこの仕事で生活が出来るという状況をしっかりと作ることで、より多くの方が興味を持って、参画しやすくなるのではと思っています。豪遊したいのではありませんが、誰もが生活が出来る業界に変えていきたいと思っているところでしたので、いろいろと考えさせられるお話だなと思って聴いていました。

荒谷)西陣織は長い歴史の中で完成されたものだと思うのですが、デザインが商品価値を高めていく一つの道だと思っています。品質とデザインが合わさって購買に結びつくと思っていますので、どのような視点でデザインをされているのかお伺いします。
森)そこは、私も模索中で、デザインについては考えているところです。私の職人仕事としては、織元さんが昔からデザインされてきたものをそのままお預かりしてお返ししてという形になるので、基本的には古い意匠が使われます。当然、どの時代にも合うデザインが使われるのですが、やはり、少し時代を反映されているのかなという部分もあります。私としては、帯や袈裟を織る際には守っていきたいと思っていますが、一方では、皆さんに受け入れてもらって、手に取っていただけるようなデザインとは何かと考えています。色合いであったり、身近に身につけていただける物であったり、その中にできれば古典柄もどこかに盛り込みながら創っていけたらと考えています。それも、完全に和風というものではなく、どこかに感じさせる物が出来たら良いなと常に考えています。柄という言い方をしましたが、モチーフだったり、色に名前が付いていたりするところもすてきだなと思っているので、そういうところも取り入れていけたらなと考えています。

寺田)世界中で、織物をうまくデザインして、現代生活の中にうまくとけ込ませている事例などを研究したり、情報収集されたりしておられるのかお伺いします。

森)情報は入れようとしています。展示会や展覧会に行ったり、ネットで検索したりして情報を集めたりしています。また、織物に特化していうと、様々な人と交流することで、色々なヒントを得たりすることがあります。織物に限らず、ヨーロッパやインドなど海外のデザインの情報は常に入れようとしています。

宗田)織物にはそんなにたくさん種類があるわけではなく、主要な織物は祇園祭の懸装品に集約されている。ボストン美術館など世界の美術館には様々な織物が収用されている。また、インドに行ったら高度な織物があるかというとそうではない。更紗など比較的軽い物がある程度である。そういう意味では西陣は高度な技法という意味で特殊な地位にある。それを帯の値段でもう一度やろうとすることがそもそも無理な話がある。京都の西陣織以上に高く売れている織物なんて世界中に無い。そこを分かりながらやっていくことが必要だが直ぐにということは難しいですね。

福馬)弊社(らくたび)は今、京町家を2軒運用しています。1軒は紫野でオフィスとして活用し、もう1軒は、蛸薬師通で貸し会場として運営しています。色々な人に、京町家を活用して貰いたいと思っていますが、そのための広報活動をどうしたら良いか悩んでいます。SNSでの発信はしているのですが、なかなか集客出来ていません。今、お話にあった伝統産業としての広報活動など、どのような方法で広報活動をしているのかお伺いします。

森)そうした効果的な広報は個人では難しいです。年間、何度か公開している内のいくつかは北林さんの京都デザインウィークの中で取り組んだり、あるいは、JRの企画された旅の一環で行われる町家見学会に自宅を提供したりしています。こちらから主体的に企画しているというのではなく、公開や見学の要請にお応えしている状況なのです。ただ、おりことの事業としては、どうしても公開していかなければ事業として成り立たなくなると言う訳ではありません。年間、何回か公開すると決めたら、その予定に合わせて段取りをしているという状況です。逆にらくたびさんで、何かイベントをされるときにはツアーで使っていただけるとありがたいと思っています。

平元)京町家を次に使いたいと思われる方にバトンを渡して継承してことも理想的だと思うのですが、今、現在はそういう形だけではなく、そこに住み続けなければいけないので建て替えるという選択をされる方も少なくなく、この界隈でも建て替えが進んでいます。余り見栄えも良くない白い四角い住宅に変わっていっています。それは、何故かと考えると京町家は住みにくいというか、不便だからです。水回りが土間であると、高齢になると移動がつらくなります。そうすると、そこに住み続けなければいけない人は、建て替えなければならなくなります。さきほど、SNSで京町家に住んでいたら、こんなに楽しいよということを発信しておられるとお聞きしましたが、京町家に住んで良いところだとか、今後、高齢になっても住み続けてためにどうしていったら良いとお考えになっているのかお伺いします。

森)私達が町家を探すにあたって、その町家にずっと住み続けていくということを考えていました。そうすると年を取ってから、不便な箇所はもっと不便になるだろうと考えました。そうしたことを考えて改修した部分をご紹介します。この町家は、通り庭やオクドさんが残っていましたし、トイレは家の外にありました。それで、台所とお風呂を奥のトイレの有ったところに設置してトイレを通り庭の中に設置し、それらを、ぐるりと廊下で繋げました。私達はどうしても土間を残したかったものですから、そのように改修しました。ただ、住むだけなら土間は必要ないので、土間を上げておられる方は多いと思います。私達の場合は土間の段差部分は残っているので、年を取ったときにもう一度考えないといけないと思っています。その選択肢の一つに、将来的にはこの町家を欲しいと思われている方に譲るということも考えています。そして町家に住んで便利なところですが、表からこの奥まで土間が続いています。そこで、自転車をこの奥の土間まで乗り入れて駐輪させることが出来ます。何台も駐輪できるので、お客様に来ていただき易いということがあります。楽しんでいる部分としては、耐震上問題のない部分は土壁を塗ったり、棚を付けたりと自分たちでDIYをしています。そうすることで、この町家のどこが弱いかということを自分の目でみることができます。水に塗れて腐朽した部材は入れ替えましたが、そのように、構造材が表に見えておりどこが弱いのか分かっているということは、安心材料の一つです。また、棚を設置するに際しても、夫の実家のある滋賀県で古民家を解体している現場に行って、直接お願いして床板を貰ってきたりして楽しんでいます。また、トイレをお風呂に変えたときに残っていた屋根瓦で葺いていったのですが、最後に10枚ほど足りなくなりました。このときに、友達の京瓦の職人さんに頼み込んで、これと同じ瓦を10枚だけ焼いてもらいました。その人には、後日、鍾馗さんをつくる体験をさせて貰いました。他の職人さんに助けて貰いながら楽しんで家に触っています。その鍾馗さんの顔は信楽の狸の形にさせて貰いました(笑)。けれども、寒い、暑いはどうしようもないので、どうしたら寒くなくなるのだろうかと考えて工夫しています。冬には表の工房の部屋を居間としても使っているので、そこに籠もってしまえば、寒さも気になりません。そのように、日々、どうしていったら良いかと考えるだけで楽しませてもらっています。

寺田)まだまだ、お話はつきませんが、ここで一旦、中締めとさせていただきます。もう一度、森さんに感謝の気持ちを込めて大きな拍手をお願いします。